第216話 日常と言う風景

「ん……んんっ……。あ……れ……? あれっ!?」


 勢いよく体を起こしたエステル。

 周りに目を向ければ寝息を立てるルリーテとエディットの姿。

 カーテンの隙間から差し込む日光石の日差しに思わず目を細めた。


(セキ……帰ってきた――よね? あれ……? わたしの……妄想?)


 寝台ベッドから転げ落ちるように下り、足音を潜めることもなくリビングへ駆け出した。

 だが、エステルを迎えたのは温かな風に揺られるカーテンだけだ。


(――あ……。こ……困ったな……帰ってきてセキがいて……なんて……)


 肩を落とすだけでなく、足元からも崩れ落ちそうなほどの脱力感。


(――ダメ……こんなんじゃダメだ! しっかりしろ……!)


 脱力感を締め出すように頭を振るうも、変わりはしない。

 深い嘆息を残し顔を洗いに足を進めた時だった。


「――すげーな……セキ。夜から驚きを通り越しすぎて、反応リアクションもネタが尽きちまったよ……」


「すごいのはだよ……空元気でもないよりマシとはいえ……あんなに飲むことになるなんて……」


「我が寝てる間に行くのはおかしいのではないかの」


「ああ。次はカグツチも一緒にいこーやっ! あそこの店は店主のこだわりも強いから美味うめー酒が色々揃ってるからなっ」


 エステルたちが使っていないはずの部屋から、聞き間違えることのない響きが奏でられていた。

 エステルが扉を開けて飛び込むのはこの直後のことである。



◇◆

「治療中の期間、飲むな。とは言いませんが……適量というものがあります。血流がどうなるか――」


 チピではなく、グレッグがエディットの対面で正座をしている。

 理由が理由とはいえ、エディットの言葉は癒術士としての責任感から発せられている。

 そのことを承知しているが故にグレッグは膝の上で両手を握りしめ耐えることしかできなかった。


 ちなみにセキもかさねに切断された足が完治していないが、現状を見るに告げるタイミングは今ではない、と視線を逸らしている状態だ。


「心配するなど失礼かとも思いましたが……少々遅かったのでこうしてセキ様が無事に戻られて何よりです」


 弾む心が言葉ではなく、所作に現れているルリーテ。

 朝食の準備に普段以上の手間をかけていることが伺えた。


「や~……昨日はちょっと弱気な所を……――」


 エステルは歯切れが悪そうに頭を掻いているが、昨夜とは比べ物にならないほど表情に活力を取り戻している。


 顔色、と言う点では三者共に問題があるようには見えない。

 だが、気持ちが本当に晴れているのか。

 そこがセキにとっての気掛かりとなっているが、掘り返すような言動は逆効果と考え、普段以上に仕草等に注意を払っていた。


「お待たせしました」


 ルリーテの声と共にエディットの説教がぴたりと止む。

 六種ろくにん掛けの木角卓テーブルに並ぶは、朝食とは思えないほどに豪華な食事――となっているのはセキの座る位置だけであった。


「えっと……ルリ。おれのもみんなと一緒で大丈夫だよ……?」


「然したる手間ではありませんのでどうぞお気になさらずに」


 ルリーテは愛でられた宝石の如く、眩い輝きを放つ笑顔を向けきっぱりと言い切った。

 カグツチとチピは一切の反応を示さず、黙って卓の上に座している。

 そこへセキの隣に座ったグレッグが不用意な行動に出る。


「お? セキの料理は豪華じゃねーか。――っつーか、同じだけど焼き加減が違うものがあんのか? どれ一個試しに――」


 グレッグがフォークを片手にセキの料理へ手を伸ばした瞬間――

 目視困難な速度で木角卓テーブルに突き刺さったのは、今はルリーテの武器となった小太刀である。

 音もなく摩擦の一つも起こさずにフォークの先を切り落としており、思わずグレッグが錆びた歯車のように首を軋ませながらルリーテを見た。


「グレッグ様。他の方の料理に手を出すのはお行儀が良いとは言えません。注意してください」


 先ほどの宝石の輝きはどこへ行ったのか。

 笑顔でありながらも、グレッグは体の芯を無理やり氷柱に挿げ替えられたかのような寒気を覚えた。


「――お……おう……そ、そうだよな……行儀が悪かったな……」


 このやりとりは、渡航準備期間のスピカ村でも起こっていた。

 ステアの助言なのか、ルリーテは食事の際、同じ素材でありながら焼き時間等を調節し、異なる食感がいくつも楽しめるように趣向を凝らした料理を出すようになったのだ。

 もちろんセキの料理だけであるが。

 そこへ手を伸ばしたのはカグツチである。

 伸ばした指先の爪があっさりとなくなり、偉大なる竜は、震える、という感覚を覚えたのだ。

 そしてチピはチピで不用意に向けた嘴のほんの僅か先に小太刀を突き刺されており、半精霊でありながらも小水を漏らすという芸を披露するに至っていた。


 そんなやりとりさえも微笑ましい。

 セキは一同が介した食事の風景に思わず頬を緩め、弧を描く自身の口元を隠すことなく、喉を震わせた。

 すでに自分にとってこのような光景が日常である、ということに改めて心に温もりを感じていた。

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