第215話 本音を語り合う合図

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……――お゛……お゛れは……」


 グレッグは街に不慣れなセキを路地裏の店へ案内していた。

 エステルと利用した隠れ家的な店。

 多くを語らず、配慮を兼ね備えた店主の居る名店だ。


 そして今――

 事の顛末をグレッグから聞いたセキが泣き崩れている所である。


 動種混獣ライカンスロープの奇声というわけではない。

 路地裏という闇夜の静寂に潜む、静謐ささえも漂う店の雰囲気に一切の配慮をできないセキの声である。


「ぞ……ぞんな……ごどが……あったなんて……ごべん゛ん゛……らなかったじゃまないような態度だいどを……」


 セキとグレッグ以外に客はいない。

 街行く種々ひとびとの喧騒も遥か彼方。そんな居心地の良さを見出すはずの店に、セキが鼻を啜る音ばかりがこだましていた。


「いや――むしろあの態度は絆を感じることができた……。それに……エステルたちがいたから区切りと言える最後を迎えることができたことは感謝してる。でもセキ……。お前の憤り――仲間が傷付く元凶であったことも……事実だ」


 覚悟を宿した声。目を見るまでもない。

 ありのままを告げる中に、言い訳を挟む余地を見出す意味はない。

 そうグレッグの心が叫んでいることをセキは正面から受け止めていた。

 だからこそ。

 涙化粧の顔を拭い、体ごとグレッグと向き合った。


「……んや……もうエステルたちの行動を誇りに思えるよ。そしてテノンと……グレッグ。お前の行動には敬意を――ね」


 語彙の乏しいセキが精一杯の誠意を口にすると、手にしていた煙根タバコを灰皿で潰し、腰を上げた。


「まだ気持ちの整理も付かないうちなのに……話してくれてありがとう」


「あ……ああ。――ってもう行くのか……?」


 涙と鼻水が拭いきれていないうちに立ち上がったセキ。

 そんな突発的な行動にやや面食らったグレッグ。


「状況とかぜんぜん違うけど……でも……こういう時はしばらく時間を置いたほうがいい」


 苦い、という言葉では表すことができない体験を踏まえたセキの想い。

 と、同時に事情を知らなかったとはいえ、そんな心境のグレッグを連れ回した、という自身の胸の内に充満した

 それは、おいそれと解消できるものではないことも自覚していた。

 自分の身に置き換えた時、ここまで誠意を見せることができるのか――とも。


「自分で意識していなくても……は出てしまうから。色んな所に……。連れ出したおれが言うのもあれだけど、ひとと話して解消することもある。でも……逆に一種ひとりで落ち着く時間だって、同じくらい大事だと思うから……」


 セキの本心から漏れた気持ち。

 どちらも等しく大事なのだ、と。

 ひとに縋り続ければ自分の力で立ち上がれなくなる。

 空いた穴を自分だけで埋められるほどひとは強くない。


 鯨の捕食が如く、大きく開かれた穴を『復讐』で埋めようとしたセキの想いであり。

 それだけで埋まらなかったという幸運に恵まれたからこそ、今ここに居る、という自覚があるからこその言葉だった。


「治療についてはおれからエディに説明して――」


「オレもお前の事情は知らねえが……なんだか妙に納得できるな。同じくらい大事か……。うん……。ならまずは……――」


 言葉の重みを察したグレッグが腑に落ちたように何度も深く頷いた。

 そこで……セキの配慮に被せるよう、酒の残ったグラスを持つ。

 席を立つ前に残った酒を呷るのかと思いきや。


「一杯……じゃ済まねえな。いっそ……――とことん付き合っちゃくれねーか?」


 向けられたグラス。

 哀愁の中にあっても輝きを失うことのない強烈な意思


 呆気にとられたセキが、狼狽気味に空のグラスへ目を向けた時、店主はすでに新しいグラスをセキへ差し出していた。


 セキはこのような埋め方を知らない。

 故に先ほどまでの悲しみを知る強者の姿はすでになく、視線を揺らし戸惑いを隠すこともできない無知な青年がそこに居た。

 それでも……受け取ったグラスを恐る恐るグレッグへ向けた。




 店に響き渡った音色は、本音を語り合う合図だ。

 グラスが触れ合った微かな震えが体の芯に伝わり。

 耳から流れ込んだ少し甲高い音が心に届き、浸るべき余韻と成る。


 店主は浅い嘆息に見合う緩んだ頬を隠し、表のプレートを裏返すべく扉に向かって歩き始めていた。

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