第73話 儚き者たち

 地響きと共に岩と土の地へと降り立ったアドニスが見たもの。

 それはすでに大太刀を左手に備え悠然と歩むセキの姿だった。

 刹那の刻の狭間でセキの右手が大太刀の柄へ向かう。


「――〈岩壁の最上位地魔術ウォルゼン・アルベルド〉!!」


 セキの行動をその目で捉えた瞬間思考を挟むことなく、アドニスは左手を振り上げ詩を詠んだ。

 と、同時に悲鳴にも似た高密度の金属同士が擦れ合う甲高い音が、静まり返っていた空気を揺らした。


(ぐっ……! さすがに受けるよな――降霊される前に致命傷なんて虫が良すぎたかっ!)


 セキがすれ違った直後、分厚く強固に見えた岩の壁は真一文字に切り裂かれ、アドニスの誇る強靭な左手の角は、微かな刀線の軌跡を刻み、僅かな煙さえあがっていた。


 次いで行動を起こそうとしたセキの視界に飛び込んできたものは、その巨躯に見合わぬ速度で自身に襲い来るアドニスの姿だった。

 左半身を前に、自慢の角で前方の防御を補いつつ、距離を詰める。


(左の巨角に、右手のだろ……! 往なした直後に伸ばした右手をもらう――)


 『逆角さかづの』とは、業鬼種オグルの中でも秀でた者だけに生える角である。通常業鬼種オグルの角は左右の手の甲に生えるが、逆角とは『手の平』から生えた強者の証そのものだ。

 資質に見合った強靭な魔力によって硬化された角は、下手な武具など物ともせず、突けば容易に穴を穿ち、叩き付ければ受けた武器ごと体がひしゃげる。相手にとって厄介極まりないが故にセキは最大限の注意を払った。


 セキが大太刀を天地逆に構えながら地を蹴り出す。

 アドニスの間合いに入ったことを肌で感じたセキが右手に意識を向けた時、その右手は高々と振り上げられ、逆角があったはずの右手には片刃の片手短斧ショートアックスが握られていた。


(――ッ!! ざけんな! なんで戦斧アックスを!!)


 セキの一瞬の戸惑いなど意に介さず、無常なほどに迷いなくその腕を振り下ろす。術を詠んだわけでもない純粋な膂力によって繰り出されたその一撃は、岩と土が入り混じった足元を容易く爆散させた。


 相手の攻撃を読み切り、自身の得意な至近距離クロスレンジでの攻防に持ち込もうとしていたセキは一度大きく距離を取ることを余儀なくされ、爆発煙に塗れたその巨躯を遠巻きに見つめていた。


 右手で握りしめる大太刀は、漆黒の刀身に炎の揺らめきに似た真紅の刃文を浮かび上がらせている。

 ふちはばきの間に物理的なつばはなく、溢れ出た鮮やかな赤色の魔力がつばの役目を果たしていた。


業鬼種オグル逆角誇りはどうした、てめぇ……死にかけたぞ」


「女性の手も気軽に握れない誇りなんて、払い落したよ。きみなら納得してもらえると思うけどな」


 アドニスは戦斧を左手に持ち替え右手をセキに向ける。その手の平には、放射状に広がった痛々しい傷痕が刻まれていた。


「――ああ。女性の手を握れないなんて、それは種族の誇り程度の些細な問題とじゃ天秤は釣り合わない」


「ハハハッ……! さすがセキだ。よく分かってる。さぁ――もう遠慮は要らないり合おう」


「おめー本性漏れてんぞ」


 この精霊誕生地にて、自身の全てを賭けて臨む死闘への期待に隠しきれない高揚感をたしかに感じている二種ふたり

 自身が倒れることが仲間への危機に直結する以上、引くことなど頭の隅にさえ、留めておく必要はない。


 自身が獲物となるか、相手を獲物と化すか、先の見えない決着に向かい一匹の獣と一匹の鬼が咆哮と共に激突した。



◇◆

「はぁっはぁっ……!!」


 大広間から通路へと引き返したエステルたちはわき目も振らずに戦闘区域からの離脱を図っていた。

 通ってきたはずの道に積み上がる魔獣の死体はどれも両断されており、魔力の凝縮が始まっている。


「これだけの魔獣が潜んでいたのですか……」


「バカ正直に襲ってくるような魔獣が初日で駆逐されたので、より慎重で狡猾な魔獣たちが動き出したようですね」


 通路の先を見据えながら走り続けるルリーテとエディットは息を飲んだ。いくつかの別れ道を経て広間へと進んだ以上、別の分岐を選べばまた新たな通路へと繋がるという憶測の元、腕を振るが二種ふたりに比べてエステルは大幅に遅れを取っていた。


「エステル様……! 遅れているようですが、大丈夫ですか?」


 ルリーテが肩越しにエステルへ声を飛ばすも、エステルは走りながら苦虫を嚙み潰したようにその顔を歪ませている。

 魔獣の死体が至るところに落ちる通路に、地を蹴る音だけが反響する中、一つの足音が止まった。


「エステルさん!? さっきの威圧でまだ調子が戻ってないんですか?」


 足音が止まったことを察したエディットもその身を翻した。足元へ視線を落とすエステルに駆け寄るエディット。その場で足を止めて振り返るルリーテ。




「――っぱり……やっぱり違う……! わたしはセキの所に戻る」


「エステル様何を言ってるんですか!」


 エステルは二種ふたりに向けて顔を上げることなく、自分自身に言い聞かせているように言葉を紡いだ。


「これはわたしたちの戦いなんだよ! どんな理不尽なことがあっても、どんなに怖くても挑むのはわたしたちでなきゃいけない! 逃げるなら一緒に逃げるべきで……セキだけに任せるのは違う……!」


 エステルが叫ぶように己の心を打ち明けると、エディットは目の前に歩みより視線を交わすように見上げた。

 その姿を無言で見つめるカグツチとルリーテ。


「でもそれはセキさん自身の願いを踏みにじることにもなります。セキさんはあたしたち……エステルさんの夢に繋がる第一歩である精霊との契約を叶えるためにあの場に残ってくれたんですよ」


 エディットの頭に乗るチピも心配と不安が混濁した表情を浮かべながら、エステルの姿をその瞳に映している。

 エディットは交差させた視線を揺らすことも、逸らすこともなく、エステルの瞳を見据えながらセキの想いを代弁していた。


「分かってる……それにわたしが戻ったところで邪魔になることも分かってる……! でも――それでも……これで精霊と契約ができたとしても……わたしはお母さんに胸を張って伝えることなんてできない!!」


 エステルの言葉にその身を跳ねさせたルリーテ。旅立つ自分たちを最上の笑顔で見送ってくれたステア。心配も不安も様々な思いがあったはずだ。それでも応援してくれたステアの目を真っすぐに見つめながら伝えることができるのか、ルリーテは己の歯を軋ませた。


 エディットの脳裏に浮かぶ今は亡き仲間たち。

 仲間たちに今のままで報告をできるのか、墓前に手を合わせる資格を持ちえるのか、自問自答が進むに連れ、見開かれた瞳は今の状況を受け入れていた自身を戒めるように歪み瞼を下げる。


 やがて……瞑目した瞳を開けた時、エステルを説得していた頃の面影はなく、エステルの気持ちを汲み、そして亡き仲間へ恥じることのない自分でいたいという、譲れない思いを瞳に宿す毅然とした表情を見せていた。


 カグツチは少女たちが下したであろう決断に口を挟むことなく見守っている。

 戦いという観点で見た場合、この決断はただの自殺で行為である以上、口を出すべきという思いが少なからず芽生えていることは自覚していた。


 だが、仲間のために強大な敵に立ち向かうという思いを無下に断ち切ることもまた、違うのではないか――

 自身の戦闘において協力という概念を一切持つことがなかった強者故に、エステルたちのような吹けば飛ぶような儚き者たちの決意の重さを測りかねていた。


「エステルさんの言う通りですね……わたしたちでもできる援護を考えるべきだったのかもしれません……」


「エステル様。エディ。相談があるのですが――」


 腹をくくった少女たちがセキの元へ向かうために思考を切り替えた時、ルリーテがそれまで以上に神妙な面持ちを二種ふたりに向けていた。


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