第72話 業鬼種アドニス

「よおアドニス。なにエステルたち泣かしてんだよ……殺すぞ」


「やあセキ……こんな場所で会うとは思わなかったよ」


 威圧感に見合わぬ温和な表情を浮かべていたアドニスだったが、セキの姿を確認した途端に唇の端がこれ以上ないというほどに吊り上がり、淀みない瞳はセキの一挙手一投足に向けられていた。


 言葉のやりとりだけにも関わらず、大気さえも震えていると錯覚するほどに張り詰めた空気がこの広大な空間を侵食している。


「エステル。足は動くかの? すぐにこの場を離れるがよい」


 胸元のカグツチが囁くように語り掛ける。何に気を配っているかは定かではないが、普段の音量ボリュームとは程遠い。


「で、でもセキが……」


「見知った関係なのか不明ですが、セキ様とあの業鬼種オグルが戦うのならばわたしたちがいたところで……」


「あたしたちに気を割いていたらセキさんも危ないと思います。ここは引きましょう」


 カグツチの言葉に戸惑いを見せるエステルの腕を掴みルリーテが翠色の瞳を向ける。エディットもルリーテに賛同するようにエステルの説得に乗り出していた。

 一瞬即発のひりついた空気が漂う中、唇を噛みしめながら握った拳を震わせていたエステルがセキの背後へと駆け寄る。


「セキ……これわたしたちのメダル」


「うん。ちゃんと増やしてくるからね」


 エステルに振り返ることはせず、アドニスを見据えたまま、下げていた左腕の手の平を向けた。

 そこへエステルがギルドメダルを乗せ、両手でその手を握りしめた。


「せ……――セキより強いひとなんて、二種ふたりしかいないんだよね? ワッツさんに言ってたこと嘘じゃないよね!?」


「そこまで『視る』ことができたんだ? ルリはすごいな……うん。あの状況で嘘を言うわけないよ……」


 セキの返事で心に圧し掛かっていた重りが外れたような笑みを見せたエステル。握りしめていた手から名残惜しみながらも力を抜いた。

 エステルが離れると入れ替わりにルリーテが近寄っていく。

 その手にはセキから貰い受けた小太刀が握られていた。


「セキ様。どのような戦いになるか想像もつきませんが……これを……」


「あっ……たしかにこの状況だと助かる。ありがとね」


 セキは受け取った小太刀を背腰に差し、もう一本の小太刀共々、『柄』を外していた。

 二つの柄を合わせると元々一本であったかのようにぴったりとハマり、今までの戦闘において背負っているだけで、一切触れることのなかった大太刀に付ける。


「あの……それはもうです……だから……ちゃんと後でわたしに返しに来ていただけますよね……?」


「もちろんっ。だからこの場はおくね」


 伝えたい想いが次々に溢れ出すルリーテだが、これ以上の言葉はセキの邪魔になるだけという意識からか、きゅっと口を噤みセキの背中から離れた。


「エステル。できるだけ遠くへ……そして探索を続けて精霊との契約を――」


 セキの意図を汲み取りかねる一言にエステルは口を開くも言葉を紡ぐことが躊躇われた。

 決着を待つことを望まないセキの願いが何を意味しているのか、その意味を確認する意思は、手足の先から響く震えに搔き消されてしまう。


「エステル。気持ちはわかるが……足を進めるんだの。そのためにセキは今あそこに立っているんだからの」


 言うことを聞かない腿を震える拳で何度も叩く。自分の無力さへの戒めとでもいうように。

 やがて震えを無理やり抑え込んだ少女たちは、セキの背中を肩越しに見ながら、元来た道へとその足を踏み出し、悔しさを振り切るように走り出していった。


「『おれより強いやつは今まで二種ふたり』だっけ……まぁ嘘は言ってないよな……」


 エステルたちが走り去った後、アドニスを見上げながら、ぽつりとセキは呟いた。



◇◆

「ナディア――五分だ。五分全力で走ってほしい。彼はいたずらに戦闘範囲を広げるタイプじゃないが、僕は彼を相手に手段を選んでいる場合じゃない。そしてきみは全力で道を戻った後、精霊の探索をするんだ」


「な――何を言ってますの! わたくしが仕掛けた決闘ですのよ! それを当種とうにんが逃げるって――」


 パートナーの願いに真向から反発するナディアだが、アドニスはその目を揺らすことなく、セキへ焼け付くような視線を向けていた。

 回り込もうとしたナディアがその表情を見た時、足元から髪の先まで余すことなく戦慄が走る。


 凶悪な魔獣と対峙した時でさえ、アドニスがこのような表情を見せることはなく、今その顔を向けられているセキがどのような種物じんぶつなのか、頭ではなく、ナディアの体が理解してしまった。


「これまでの決闘と同様なら僕はパーティとして参加するだけに留まることはできた。僕の目的はきみが負けても命まで奪われないための歯止めになるつもりだったからね……でも――彼が相手ならさっきまでの決闘とはもう戦いの次元が違う……――」


「ナディア~……アドニスを~信じろぉ……」


 ナディアの腰の小物入れポーチから間延びした声が響く。ぎりぎりと歯を食いしばりながらもアドニスに背を向け、


精霊の探索をしていますわ。だから後から必ず……きなさい」


「ああ。なんなら僕が追い付いた時にきみの精霊を紹介してくれるとありがたい」


 ナディアはその声に頷くことも顔を向けることもしなかった。徽杖バトンを力一杯に握りしめ、その足に力を込める。

 無常に響くナディアの足音が遠く離れた時、アドニスはセキの連れの少女たちが駆け足でその場から離れ、来た道へ戻っていく姿を確認する。


「なぜここにいるかも、なぜここで戦うことになってしまったのかも今考えることじゃないな……以前も些細な事から命のやり取りに発展したんだしね」


 自身を見上げるセキと視線が交差する。

 自然とアドニスの口は喜びに満ちたように口角が吊り上がり、唾液に塗れた犬歯を覗かせた。



◇◆

「パートナーに死に様を見せるのが嫌だったのか?」


 セキはまだ背中の刀も腰に見える小太刀も握ってはいない。だが……アドニスは首元に切っ先を突き付けられ――いや、切っ先が自身の喉を貫いたとさえ感じた。


「ははっ……! 僕は安心してるよ? あんな可愛い女の子たちに潰れたきみを見せつけるのは忍びない」


 二種ふたりの間に漂う空気さえ怯え逃げ惑っているのか、セキは豊富な自然魔力ナトラの元に生成されているはずの空気が薄くなった感覚さえ覚えた。


 ボタンの掛け違い。ほんの些細なすれ違いがなければこうして対峙することもなかったであろう関係を匂わせる二種ふたり

 ――余計な気を回さずに当初の通り一対一としていれば……

 ――出会うタイミングがほんの少し遅ければ……

 ――開始時点で出会っていれば……


 様々な思いが二種ふたりの脳裏を掠めては消える。

 だが、事実として二種ふたりはこうして互いのパートナーのためにこの場に立っている以上、口喧嘩でじゃれ合うことに意味は見出せない。

 だからこそ残されたすべは互いの共通認識である弱肉強食の理に従い喰らい合うのみだ。


 アドニスが筋肉の鎧を纏った足を踏み出し、側面からその巨躯を投げ出す。


 セキの前方へ不吉な鎌……――ではなく悍ましき角を携えた死神が、地響きを序曲代わりに舞い降りた。

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