第74話 獣と鬼

「ガァアアーー!!」


 全ての感覚を目の前に居る鬼へと集中し、獣の如き咆哮と共に絶え間ない斬撃を繰り出すセキ。


 十枚の薄刃苦無クナイを、体中に埋め込んだ磁熱石で自由自在に操る。

 時に自身の周りに竜巻のごとく舞わせ、時に放たれた矢のごとく相手を射た。

 また放つだけでなく、足裏に引き付け、繰り出す蹴りは容易に鬼の鋼の肉体を切り裂いていく。


 セキは戦闘の主軸を刀に置きつつも刀で仕留めることに拘らない。

 斬撃に気を取られているならばさらに距離を詰めて肘を叩き込み、斬撃を受け止められたならば、その小さな体の身軽さを生かし体重を乗せた蹴りを見舞う。

 肘を入れる際も、蹴りを放つ際も、十枚の薄刃苦無クナイを身体のオプションとでもいうように引き寄せ殺傷能力を上乗せする姿は、生まれつき牙や爪という凶器を持った獣の戦い方によく似ていた。


 そして、縦横無尽に空を切る薄刃苦無クナイ、踊るように舞う体術ばかりに気を取られていれば、間合いごとに入れ替える大太刀と小太刀の餌食だ。


 普段の居合い主体の構えは既に面影はなく、四足歩行の獣同様に、片手を地に食い込ませるほどに前傾に構え一切の後退を捨てた挙動から繰り出されるしなやかで、かつ強靭な斬撃は獰猛な獣が獲物に襲い掛かる姿を彷彿とさせた。

 二本の柄、大太刀と小太刀の刃にも磁熱石は仕込まれており、大太刀を薙いだ瞬間に大太刀の刃を解き放ち、小太刀の刃を引き寄せながら間合いを詰めるその姿はあまりに淀みなく流麗であり、全てが一連の動作として成立していた。



「オォオオーー!!」


 襲い掛かる獣をその暴を以って薙ぎ倒すべく鬼は叫ぶ。

 その鋼の肉体を用いた近接戦だけでなく、間合いごとに見合った凶悪な魔術を乱発し、既に解放感に溢れた広間の風景は過去のものとなっていた。


 足元はおろか、壁や天井から、捻り出したように螺旋を刻んだ円錐状の岩が突出しており、土砂崩れが起きたかのように岩屑が至る所に積み上がっている。

 かと思えば、抉り取られたように岩盤が繰り抜かれたようにぽっかりと穴になっている箇所や、爆発で弾けとんだかのように荒々しい傷跡を残す場所も見受けられた。


「オォーーッ!!!〈隆起の最上位地魔術フィライズ・アルベルド〉!!」 


 アドニスの詩に呼応した地が、セキに向かって牙を剥く。足元から胴体に向かって突き出される岩の突起。

 セキは片足を支点に翻りながら、襲い来る岩を薙ぐ。


「――――〈沈下の最上位地魔術フィライズ=リ・アルベルド〉!」 


 間髪入れずに詩を詠むアドニス。セキの支点としていた足元が突如沈み込む。


(――チッ!! まで扱えるようになりやがってッ!!)


 舌打ちをしている間に足の裏へ引き寄せた薄刃苦無クナイを沈み込んだ岩場の壁面に突き刺しながら蹴り上がる。

 と、そこに待ち構えるアドニスはその右手に握りしめた戦斧アックスをセキの胴体目掛けて薙ぎ払った。

 風の魔術を詠んでいるかと錯覚するほどに、戦斧アックスは大気を巻き込みながら唸りをあげる。


 セキは胴体を横薙ぎにきた戦斧アックスを、下から跳ね上げるように刀を当てると同時に刀の下へ自身の身体を滑りこませる。

 勢いをそのままに向きを上逸らしされた戦斧アックスは、セキの髪の毛の先を焦がすように掠めていく。

 攻守逆転とセキが逆手に構えた小太刀を振り上げようとしたその時だった。


「――〈螺旋の最上位地魔術ドレア・アルベルド〉」 


 アドニスの左腕に螺旋状に回転する岩が収束していた。

 攻撃に移ろうとしていたセキが上体を捻りながら、躱そうと試みるも耳をつんざく螺旋の風切り音と共に突き出された岩の先端が、セキの左腕に突き刺さると肉を巻き込み、いとも容易く腕を引き千切った。


 セキは千切れた腕を省みることはおろか、呻き声の一つも上げずに残された右手に握った大太刀を跳ね上げるも、二の腕を浅く斬るに留まり、アドニスが地を蹴ると距離を取りお互いが向き合う形となった。


「腕を持ってったんだから少しは気を抜いて斬られろよ」

(なんで降霊しない? いや――今時点で腕を失ったおれが考えるべきは……片腕でアドニスあいつをどうやってぶった斬るか、だ)


 軽口の裏で思考の渦をフルに回転させる。必要以上の会話は厳禁だ。なぜならセキの精霊となるカグツチの力はこの大陸で顕現させることができない、という枷を気取られるわけにはいかないからだ。

 セキは肘から滴り落ちる雫に気を向けることも、打ち捨てられたように地に落ちている腕を一瞥することもなく、目の前に立つアドニスを視界に収めていた。


「ハハッ……きみこそ腕をなくしたらもう少し動揺するほうがいいと思うんだけど?」


 腕を引き千切ってなお、油断の欠片さえ居座る隙間がないほどに張り詰めているアドニス。

 致命傷を避けつつも、無数に刻まれた切り口から血を惜しみなく流し、鋼の筋肉を朱色に染め上げながら、セキの軽口に乗った。

 だが、その間も右手の斧を握る力に一切の緩みはなく、左腕の角から迸る魔力は濃度を増すばかりであった。


「おれの腕一本でお前の首なら安いもんだよ」


「僕は器用じゃないからね。せめてきみの体が一部でも残ってくれることを祈ってるよ」


 互いに口にする言葉は相手を威圧する意味を含まない――ただ、自分自身を鼓舞するためだけの意思表示だ。

 交差する視線に焦げ臭ささえ感じるほど大気は渇き、他の誰もがこの世にいないと思えるほどの静寂が二種ふたりを包み込む。




 先に動くはセキ。

 風と踊るように距離を詰めるも、間合いに入る前に大太刀を振り抜く。

 と、同時にアドニスの心臓へ一直線に刃を解き放つも、角に弾かれる。


「〈岩壁の最上位地魔術ウォルゼン・アルベルド〉!」


 即座に術を詠み、岩の壁で視界を遮ったアドニスは、自ら立てた壁に戦斧アックスを叩き込む。

 爆発と共に無数の石礫が、地や壁にその身を埋もれさせる勢いで弾け飛んだ。

 

 ――しかし、壁の奥にセキの姿はなく、アドニスの目がさらに地へ向けられようとしたその時、視界に一粒の朱色の雨を捉えた。

 反射的に顔を上げたアドニスはセキの右手に握られた不可解な刀に僅かに思考を奪われた。


 アドニスの思考を奪ったのは、セキが磁熱石で連結させた薄切苦無クナイである。薄切苦無クナイの一枚一枚を『切先』と『柄頭』で連結させ、鞭のようにしなる刀として振るったのである。


 左腕を顔前に備え、盛り上がった肩の筋肉で首さえも覆い尽くす。

 だが、セキの狙いは首ではなかった。薙ぎ払われた刀はアドニスの右太腿を外側から食い散らかすようにその刃を滑らせた。

 半分に満たないまでも深々と刻まれた傷に、持ちこたえていた右足の力が抜け態勢を崩し、戦斧を握ったままの右手を膝につくアドニス。


 重力に導かれるままに落下するセキは振り払った勢いのままに背中を見せ、もう一回転した時、連結した薄切苦無クナイは解放されており、右手に握られた柄に収まっていたのはアドニスの首を刈り取るための小太刀だった。


「その首もらうぞッ!!」


「易々と獲れると思うなァァーーー!!」


 白銀の刀尖がただただ横一文字に流れるだけの光景。

 だが、それは音さえも置き去りにするほどの恐るべき速度を以ってふるわれた。


 しかし――

 アドニスが咄嗟に首元に寄せた左腕が、その一撃をすんでの所で、受けていた。

 全てを角で弾ききったわけではなく、指の間がぱっくりと割れそこから直線の亀裂が生じたように角までの肉が切り裂かれている。


「さすがだよッ! でも――僕の首には届かないッ!」


 そういい放ち右手の小太刀を振り切ったセキに目を向けたアドニスは、セキが左腕から大太刀を斬り上げようとする姿に見惚れた。


「首が無理でもこれならに届くよなッ!!」


 正確に言えば生えているわけではない、小太刀を薙ぐ直前に左腕を死角に置き、磁熱石の磁力を以って無理やり傷口へ『茎』を突き入れたのだ。

 握りしめることのできない大太刀を固定するために、躊躇なく傷口の中へと引き寄せながら漆黒と真紅が入り混じった刀尖をアドニスの命へ向けて走らせた――




「〈三星連結アーメルリエゾン〉! ――――〈三芒星トライアーグ〉!!」


 切先がアドニスの肉体を切り裂く直前。

 三つの頂点にプラネを置き、魔力で形作った三芒星が突如出現した。

 だが、セキは動じることなく、三芒星もろとも叩き斬るべく大太刀を振り上げたが、三芒星の魔力を難なく切り裂いた際のほんの僅かな失速は、アドニスが背後へ仰け反るに十分な時間だった。

 セキは薄皮一枚を斬った直後に飛び退きながら、詩の声の主へ思わずアドニスに向けていた殺気そのままに視線を移す。


 そこには青ざめた表情と小刻みに震える体で、必死に徽杖バトンを握りしめるナディアの姿があった。

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