第75話 パートナー

「覚悟を決めよう……ッ!」


「はい。必ずセキ様のために一瞬の隙を作ってみせます」


「通路の出口。有り得ないくらいに岩が入り乱れてますね。でも……この岩を壁にすれば作戦通りに――!」


 エステルたちはセキとアドニスが死闘を繰り広げる広場へ疾走していた。

 通路から広間に飛び出た瞬間、その惨劇に心臓を鷲掴みにされるも、足を止める様子はなく土砂と岩屑の先から聞こえる、叫びにも似た金属音のぶつかり合いへと赴いた。


 そこで目にした光景。

 それは千切れた腕に刀を突き入れたセキがアドニスへ斬りかかった瞬間である。

 そして同時にナディアが割って入った姿も視野に納めた時、エステルたちは思わずその身を曝け出していた。



 セキがナディアへ視線を移した時――それはアドニスがセキの背後の岩から飛び出したエステルたちを捕捉した瞬間でもあった。

 セキが一身に受けていたアドニスの威圧が、エステルたちへ襲い掛かる。それは会敵した際の無意識に垂れ流していた恐怖とは比にならぬ、不純物の一切がない澄んだ絶望だ。


 だが、セキとアドニスは相手のパートナーから瞬時に目を背け。各々のパートナーに目を向け直した。

 セキはおろかアドニスさえも、声を出せない驚愕の色をまざまざとその表情に現した時、ナディアはセキの殺気に震える膝を戒めるように、徽杖バトンを投げ捨て、代わりに拾った石の欠片を自身の太腿へ突き刺した。


「ナ……ディ――」


 アドニスがかろうじて震わせた喉から声を絞り出そうとするも、ナディアは無理やり震えを止めた足でセキの前へ駆け出した。


 セキとアドニスという圧倒的な強者があろうことか、身体を動かすこと敵わず視線だけでその行動を追うに留まった時――



 ナディアは両膝を地に落としセキの前に跪いた。一瞬セキの顔を見上げた後、両手で握りしめてた数枚のギルドメダルを差し出すように首を垂れた。




「この決闘はわたくしたちの負けとさせてください」


 セキの思考が止まる。パーティとして決闘を受けた以上、ナディアの行動は横やりですらない。

 そして仮に横やりだとしても、戦いにおいて仲間の援護などあって当然という考えを持つセキにとってはナディアの行動じたいが全てにおいて意表を突かれる結果となっていた。


「ナディア。必要ない……僕は負けないから――」


 先程の命への王手を差し引いてなお、引く気を見せないアドニス。

 容易に勝てる相手ではないことを理解している故に、最悪差し違えればいいという覚悟を握りしめている以上、アドニスの頭に敗北はない。


わたくしは貴方のパートナーとしてここにいるのです」


 セキとアドニスがその言葉の真意を見出そうとするも、言葉以上の意味を掬い上げることができない。

 だが、セキの背後に佇むエステルたちはその掬い上げた意味に目を剥いていた。


「そして今はわたくしの精選なんです。共に命を賭けているならいい……でもアドニス、貴方だけが命を賭けるなんて間違えてる――わたくしは貴方に守ってもらいたくて一緒にいるんじゃない。共に戦いたくて一緒にいるのです」


 地に伏したまま紡いだナディアの想いは、アドニスの喉を締め付け、震わせることも許さない。

 アドニスの揺るぎなかった瞳が、水流に翻弄される小石のように忙しなく泳いだ。


「でも今のわたくしではこの方と相対しては貴方と共に戦えない。こちらから仕掛けておいて都合のよいことを言っているのは分かっています。だからこれでどうか……アドニスに預けていたわたくしたち自身のメダルももちろん含めて……」


 ナディアは許しを乞うように頭を上げることをせず、瞼を下げながら額を地に押し付けている。

 波打つ艶やかな金色の髪さえも、砂利と土に塗れた地に落としたまま微動だにしない。

 エステルはその姿、その言葉に、自身の渇きかけた唇に思わず歯を立てる。

 共に戦うことを選んだエステル。

 この場を収めることを選んだナディア。

 どちらが正解など結果論に過ぎないが、少なくともエステルにとって今のナディアの姿は、実力が足らずともパートナーとして歩んでいく覚悟を持った誇り高き姿として、眩く映し出されていた。


 セキは大きく息を吐くとナディアの元へ足を運び、その気品となまめかしさを同居させた肢体を投げ出す姿を見下ろし、


「そっちの仕来しきたりだと決着の代償は勝手に決められるの? おれは今までにそんな経験は一度もないけど――」


 その言葉に瞳孔の開きと共に、アドニスのくすぶっていた威圧が一気に噴き出した。

 極限に濃度を高めた魔力が鎮座していた岩さえ震えさせるほどに――


「ち――違いますわ! こ、これは最低限の提案です――もちろん貴方が望む代償を……で、ですがどうかアドニスではなく、わたくしに代償を求めてください……それならばどのような代償でも……」


 思わず顔を上げたナディアが瞳に涙を浮かべながら懇願する。その浮かべた涙を揺らすように震える姿は、怯えた小動物のようにか細く儚い姿だった。


 エステルが息を呑みながら駆け寄ろうとした時、セキは膝をつき見下ろしていたナディアと視線を合わせ、


「……よかった。それならこれは必要ない。きみに求める代償なんてものもはなからない。決着は引き分け――だと思ってるから。決着が付いてないなんて言葉を使うのもややこしいしね」


 セキはメダルを握らせるようにナディアの指に自身の手を添えた。

 セキの答えを中心に空気が弛緩していくことを各々が肌で感じているのか、強張らせた体から気が抜けていく。

 セキも同様に気を緩めると、左腕の傷に突き刺していた刀が音を立てて地に転がった。その音を皮切りにエディットだけが辺りを見渡しおもむろに駆け出す。


「お前にはもったいないパートナーだな」


 ナディアの手を握り引き起こしながら、皮肉交じりの賛辞と流し目をアドニスへ贈る。


「あいにく今、鏡を持ち合わせていないんだ。すまないね」


 手の平で天を仰ぎながら口角を上げるアドニス。

 紙一重の差でナディアの後塵を拝することになったが、エステルたちと向き合った瞬間に、その瞳に宿した覚悟をアドニスは見ている。

 それがナディアのように場を収めるものなのか、それともセキの力となるべく駆け付けたかは定かではないが、この獣と鬼の空間に再度足を踏み入れるには、生半可な気持ちでは不可能なことをアドニスは理解していたからだ。


 ナディアは戦闘の有無に限らず、この二種ふたりの間柄を垣間見ることができるやりとりに、胸を撫で下ろした。

 エステルはセキに駆け寄り、背中へその額を押し付けながら、血が自身の手に滴ることもいとわず、温もりを分け与えるようにそっと左腕の傷口に添えた。

 ルリーテがそこら中に散らばっていたセキの薄切苦無クナイと小太刀を集め、足元に落ちていた大太刀も拾い上げながら、血に塗れた茎や刀身を自身の袖で拭っている。


「一段落、と言いたいけどむしろこれからが本番だよな」


「ああ。お互いに想定外の戦闘だったはずだし……何より、きみのせいで周辺の精霊なんて逃げてしまっただろうしね」


 周辺一帯を凹凸だらけにした張本種ちょうほんにんは、ナチュラルに罪をセキに押し付けようと試みているようだ。


「刀を納めて頂き感謝いたしますわ。それにエステルと……」


 ナディアが一歩前に歩み出ながらスカートの裾を摘まむ。続けてエステルに視線を移すが、戸惑いの色をその顔に見せると、


「あ、こっちはルリ、あっちで駆けずり回ってる子がエディです」


 背後にいたエステルもセキの前に出てナディアの目を真っすぐに見つめ返した。


「エステル、ルリにエディね。今回はお互いパートナーに頼る形になってしまいましたわね……でも、次に会う時は章術士として恥じない姿を見せられるように励みましょう」


「――はいっ。わたしたちも次に会う時はセキの影、ではなくセキの隣に立っていられるように頑張ります!」


 ナディアが差し出した手を両手で握り返すエステル。

 その姿を見つめるアドニスは安堵の吐息を漏らす。

 セキは頬を緩めてはいるが、何かに備えているのか薄切苦無クナイに手を伸ばし始めている。




 そこへ空気を切り裂くように壁面から声が響いた。


「うふふっ。精選中にお友達ごっこをしてる間抜けがいると思ったらエステルじゃな~~~い」


「くくっ……まぁ健闘を称え合ったところで結果が伴わなければ意味がないことを理解していないのかもしれないな」


「お前ら言い過ぎだろ~? エステルって子以外も可愛いし、男以外だったら俺面倒みちゃうよ?」


 壁面を見上げると傲慢な態度に見合った、期待通りの蔑みの言葉を放つハーヴィ。

 そして連れである法衣ローブの男と鎧の男の姿も確認できた。

 上部から見下す瞳は、エステルとナディアの決意を嘲弄からかうように醜く歪んでいた。

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