第76話 過ぎ去った暴風圏

「〈最上位地魔術アルベルド〉」 


 優に身の丈の五倍はあろう巨大な岩石が、壁面でにやにやと歪んだ笑みを浮かべた三名の探求士を、通路はおろか周りの壁面部も纏めて押し潰した。

 悲鳴と絶叫が一瞬調和ハーモニーを奏でていたようにも聞こえたが、今は静寂を取り戻している。


「こんな神秘的な場所にも蝿は湧くみたいだね」


「お前、相変わらず容赦しないな……」


 アドニスの迷いなき蹂躙に、三枚の薄切苦無クナイを指に挟み込んでいたセキが半眼まじりの顔を向けた。

 その光景にセキの武器を抱えていたルリーテが、アドニスの詩を聞いた途端に武器を零す。

 現状を振り返ればこの惨状を引き起こすには、それ相応の術が必要なことは理解していた。が、詩を自身の耳で聞き、現実として目の当たりにした衝撃は理性で抑えきれるものではなかった。


「べ……最上位ベルド級……」


 めり込んだ巨岩に目を奪われ瞠目するルリーテだが、我に返ったのか慌ててセキの武器を拾い直している。


「ああ――そうか……セキは魔術で戦わないからね。でも……最上位この程度の術はセキと共に行動するなら慣れておいたほうがいいだろう」


「この筋肉バカの言うことは気にしなくて大丈夫だよ? ルリたちが頑張ってるのはおれがよ~く知ってる……焦らずに一歩ずつ進んでこう」


 セキの女性への甘さを知るアドニスは、やれやれといったように鼻から息を吐き出しているが、物申すという気配は見せない。むしろ和らいだ目元が、セキらしさを喜んでいるようにも見えた。


「それじゃ、少し邪魔が入ったけど、またいずれどこかで――」


「これからが勝負ですわね。それではみなさま……ごきげんよう」


 エステルたちに会釈をし、颯爽と歩き出すナディアとアドニス。

 その後ろ姿をセキは台風が去った後のように辟易とした表情で見送る。

 エステルたちは深々と一礼しながらも、闘志を宿した瞳で二種ふたりを見据え、その姿を脳裏に焼き付けていた。



◇◆

「治療は後でもいいんだけど……」


「動かないでください。接合がズレるので」


「はい……」


 ナディアたちを見送ったエステルたちはまだ広間から動いていない。


 当初、セキが精霊との契約を優先しようとするも、エディットが落ちていた腕を見つけており、すぐにでも治療を始める、とあらん限りの目力を込めて告げられたのである。

 エステルもそれに同意。ルリーテに至ってはセキの治療に反対するわけもない。契約を行う者が動く気配を見せない以上、セキには成す術がなくおとなしく治療を受けるハメになっていた。


「わたしが安易に決闘を受けちゃって……セキありがとう。それとごめ――」


 エステルの瑞々しい光沢に彩られた唇をセキの指の腹が抑える。

 その仕草にエステルは目を瞬かせるも、釈然としない思いからか唇を抑えた指先を軽く甘噛みしながらセキを見つめた。

 獣さながらの仕草ではあるが、セキとは愛くるしさが段違いである。


 また、隣でその様子を見ていたルリーテから、喉の渇きを覚えるほどの圧が発せられるが、心配そうにセキの肩で治療を見守っていたチピだけが、その威圧感に小水を漏らすだけに留まったのは不幸中の幸いと言えよう。


「謝ることじゃないし、パーティなんだから。それに……何があるかわからないから、常に心構えが必要なのはその通りなんだけど……運が悪すぎるというか、いや、おれが居る時に出会えたから悪くはないのか?」


 しどろもどろで伝えたい内容の言語化に苦戦するセキ。エステルは指先から歯をどけようとせず、可愛い唸りを喉から鳴らしながら眉間に皺を寄せているままである。


「まぁ……セキさんが言いたいことは……ハーィさんでしたっけ? 受ける受けない以前にあーなっててもおかしくなかったわけでして……誰が悪いじゃなくてあの方に出会ったあたしたちの運が悪かったのかと……」


「エステル様への侮辱は然るべき報いを受けるべきと思っていましたが……まさかあのような結末を迎えるとは……」


 全員が揃って壁にめり込む巨岩に視線を向ける。実際にハーヴィたちがどうなっているかを確認したわけではないが、とてもあの状況で対応できたとは思えない、というのが共通認識である。


「まぁ悪い中でもいいほうだとは思うよ……だってあいつは『天稟の悪鬼スプリガン』の契約者だから。なんであいつが降霊しなかったのかは分からないけど、周りへの被害、というかこの場合パートナーかな? そこらへんまで巻き込まないように考慮したのかもしれないけど……」


「すっ――天稟の悪鬼スプリガンですかっ!! じゃあやっぱり今みなさんとこうして一緒にお話できてる以上、運が良いのですね……」


 セキの言葉にエディットが多量の唾と共に口を開く。珍しく治療の手際を誤っている様子で、こっそりとやり直している姿が見受けられた。

 エステルも放す様子がなかった口元がセキに告げられた衝撃に瞳と共に口まで開いている。

 ルリーテは、アドニスの姿を脳裏に思い浮かべているのか、自身を抱きしめるように震える両手を二の腕に食い込ませていた。


天稟の悪鬼スプリガン』は精霊の一種である。

 四大の土獣グノムと同様に土の属性を司る精霊であるが、醜悪残忍極まりない精霊としても有名である。

 精霊の自我というものはとても薄いものではあるはずなのだが、その姿から不名誉な印象イメージが先行していた。

 だが、その契約者がその汚名をそのまま着るかと言えばそうではない。

 精霊との相性。つまり天稟の悪鬼スプリガンの好みもその見た目以上に癖があると言われている。

 天賦の才、いわゆる生まれつき資質が優れた者を好む、というのが通説であり、事実として天稟の悪鬼スプリガンと契約した者は、耳目を驚かすような傑物の類が名を連ねていた。


 セキは目論見通り天稟の悪鬼スプリガンの名前によって、エステルたちの思考に空白を刻むことができたことに内心安堵していた。

 自身の降霊しない理由を説明すれば事情がややこしく、さらにカグツチが竜という事実はあまりに重すぎる。

 精選前に取り乱すようなことを避けるために、ぼかし続けてきた以上、契約を終え 南大陸バルバトスで落ち着いてから説明をしたい、というのがセキの本音であった。


(カグツチが竜なんて言ったら天稟の悪鬼スプリガンどころの話じゃなくなるからなぁ……それと……アドニスあいつの魔力も濃度が尋常じゃなかったけど……まるでカグツチみたいな……――いや、今は考えることじゃない)


 この場での説明を避けたいセキは、自身の降霊しない理由を問われる前に話の筋道を提示した。


「あんなのに出会った後だから切り替えが難しいかもだけど、もう少なくともここであいつの心配はいらないし、改めて契約に集中していこう。それに……やけにこの誕生地全体が静かだし……」


 言葉を失ったエステルたちに変わり、セキがきっかけを告げる。小さく頷いたエステルが口を開いた。


「うん……! それと……この静けさはきっと一斉誕生の前触れだと思う」


「卵を見つけられるかは運次第ですが、少しでも奥へ進んでみるのが良さそうですね」


 エステルに賛同するようにルリーテも奥への通路へ目を向ける。アドニスたちが消えた通路以外にも複数の道が視認できており、その先に何が待ち受けるのか心が震えると同時に、期待に鼓動を高めている様子だ。


「セキさん。腕は繋げましたが使わないでください。今は狐袋花ジグタリスの根で痛みを抑えていますが、一時的なものです。ちゃんと繋がっているかを確認するために痛みと共に指先まで動くことを確認しないといけないので……」


「うん。ありがとう。ルリの経過を見てたから想像はついてた……でも、クエスト中というか、その場で治療してもらえるのはやっぱ心強いな~」

(痛み……か……)


 セキは添え木で固定された左腕とエディットへ交互に視線を送った。エディットは瞳で弧の字を作りながら視線に答える。


「それじゃおれのせいで時間を取りすぎたし……エステル。動こうか」


「治療はちゃんとしなきゃだからそれこそ気にすることなんてないよ! それに……もうあれ以上怖いものなんてないから! 一番奥に続いてそうな雰囲気のあるあの道を行こう……!」


 根が垂れさがりつつも、その先にぼんやりと明かりを灯す空洞を指差す。精霊がいるかいないかなど、ここからは運の要素が色濃く出てくる状況だ。

 で、あるならば先ほどの『最悪』と言っていい事態の反動で、幸運が巡ってきてもおかしいものではない。むしろ、幸運が来なければ帳尻が合わないよ、と言うのはエステルの思いである。


「魔獣も誕生した精霊を狙って活発化しそうですが……覚悟を決めましょう……!」


「そうですねっ! 魔獣がこれだけいるということは、逆説的にそれだけ魔力も濃くて精霊さんもたくさん生まれるはずなのでっ!」


『チピピィッーー!!』


 岩に預けていた腰を上げ、契約への熱意のこもった視線で通路を見据える。精神的な疲労は今までの比ではないが、アドニスという困難を乗り越えた今、疲労を誤魔化せる程度には気持ちは弾んでいる、というのが少女たちの本音である。


 夢にまで見た精霊との契約へ向けて、改めて少女たちは足を踏み出していた。

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