第68話 落胆と矜持

「こっちは苔が生えたままだから、ひとが通ってなさそう。行ってみよう!」


 エステルを先頭に珊瑚の道を進む一行。

 深層に向かうためには中層の地面を繰り抜いて進むか、自然と下る穴ないし通路を見つけ出す必要がある。

 地面を繰り抜いて進む場合、その音で魔獣や他の探求士に位置を知らせてしまう可能性も考慮してまずは自然道を見つける方針を立てていた。


「はい。通っていないということは魔獣がいてもおかしくありません。十分注意しながら進みましょう」


 ルリーテは魔術で強化した弓に矢を添えた形でエステルの背後に控えている。

 エディットは自然体ではあるが、いつでも動き出せるよう研ぎ澄まされた集中力をその耳へ傾けていた。

 セキは魔力探知ができないため、目に加えて、自身に対する視線を感知できるよう肌感覚にも意識を割いた警戒態勢を敷いている。

 身の丈の倍ほどの横穴を突き進むといくつかの通路と合流するような大空洞へと抜けた。


「迷路みたいですね……いくつか足跡もあるし同じように迷ってるひともいるんじゃないですかね」


 エディットが足元の踏み散らかされた苔を見下ろしていると、別の横穴から足音が聞こえてくる。音の間隔からして歩いているわけではなく明らかに走っている速度テンポであることもはっきりと伝わってくる。


「魔獣に追っかけられてる……?」


 横穴の音に意識を割きつつもセキは周囲への警戒を怠らない。やがて音が大きくなると穴からは二種ふたりの探求士が姿を現した。

 長剣を握りしめた短髪の適受種ヒューマンの男と短剣を両手に持った受精種エルフの男である。

 二種ふたりはエステルたちの姿を確認すると、勢いを落とさずに駆け寄ってくる。


「こっちは危険だ! あの奥は魔獣の巣窟になってやがる! 引き返したほうがいい!」


「何ボサッとしてんだ!」


 背後を振り返る素振りも見せず、勢いのままに疾走する二種ふたりの男たちはエステルたちとの距離を縮めてくる。


「他のメンバーはいるんですか? それとも二種ふたりだけですか!」


「他のメンバーはバラけちまった! だが今は探してる場合じゃねえ――逃げ切ってから考えるべきことだ!」


 エステルの問いかけに受精種エルフが答えた時、男は一足飛びで距離を詰めながらその手に握る短剣を下から上へと薙いだ。

 しかしエステルは自身の体で半円を描くように回転し、その勢いのままに徽杖バトンを横一文字に振り払うと、男が片手に持っていた短剣を弾き飛ばした。


「ちいッ!! ガキの癖に一丁前に警戒してやがったのか……!」


 続けざまに適受種ヒューマンの男が長剣を振り上げた時、長剣は激しい音と共に撃ち抜かれその剣身の欠片が宙に煌めいていた。


 エステルの背後に控えていたルリーテが一歩飛び退きつつ、のために腰円套ウエストマントから矢を引き抜いている。


「なッ!? この小娘がぁ! 弓なんぞ距離を――」


 距離を詰めようと前傾姿勢となった瞬間だった――


 自身の腹が爆発したかのような衝撃を覚え珊瑚の壁へと叩きつけられる。何が起きたか理解できずに腹を抱え、嘔吐物を撒き散らしながらのたうち回る適受種ヒューマンの男。


 その光景を見た受精種エルフの男は、思考に空白を刻まれたように呆然とその姿に視線を送っていると、その顎にエディットの蹴り上げが炸裂し、後方へと弾き飛ばされていた。

 顎を抑えながら起き上がろうとするも、眼前に徽杖バトンの先端を突き付けられるとそのまま体を硬直させている。


「メダル狙いで来た以上、恨みはなくとも覚悟はあるんですよね」


「ま……待ってくれ……! お、俺たちはメダルを持ってねえんだ! 他に仲間がいるのは本当でそいつらが持ってるんだよぉ……!」


 そういいながらメダルがないことを示すように、自身のあらゆる衣嚢ポケットを裏返して見せているが、セキがそこに一歩詰め寄り、


「メダルがないならその命で償うしかないだろ。運がなかったな」


 力を込めるように指先を軋ませる。男を見据えるセキの目はまるで意思の希薄な昆虫のように冷ややかなものであり、熱や温もりを一切感じさせるものではなかった。


「か、勘弁してくれ! ほんの出来心だったんだよ!」


 膝をつきながら両手を無様に挙げ自分本位な言葉を並べ立てる。その姿にセキの意思の宿らない瞳に明らかな嫌悪感が滲み出るが。


「セキ。いいよ」


 エステルが徽杖バトンを持たぬもう片方の手でセキを制止しながら、その艶やかな唇を震わせた。

 息を吐き出しているのか肩が心なしか下がったように見えた。


「それならあのひとを連れて立ち去ってください。次はありません」


 怯える男の目をはっきりと見据えながら告げたその言葉は男にとっても想定外だったのだろう。

 一時、目を見開くも我を取り戻したかのように立ち上がり嘔吐物と共に横たわっていた男を担ぐと、負け惜しみの言葉さえ告げずに走り出していった。


「やっぱり……わたし甘いかな……あんな覚悟もないひとたちのメダルなんて集めても誇れないなって思っちゃって。持ってないなんて言うのも本当か嘘かもわからなかったけど……」


 セキたちに向き直ることなく背中を見せながら弱弱しく喉を震わせる。


「いえ、エステルさん自身で線引きをした上での決断ならあたしは問題ないと思いますっ! それはエステルさんのこだわりと言えると思いますよ」


「うん。流されずにエステルが考えたっていうのが大事だと思う。それにしても見事に奇襲に備えてたよね」


 エステル自身の考えにエディットもまた自身の考えを告げる。それはエステルの行動を否定するものではなく、その決意に満足しているような言葉だった。


 セキは奇襲で武器を振らせることもなく先手を取ることも可能だったが、エステルたちの緩めない高い集中力に気が付き、初手を見送っていた故の賛辞だった。


適受種ヒューマンの男が飛んで行ったのはセキ様でしょうか?」


「あ、うん。腹に拳を入れたから意識じたいははっきりしてると思う」


 ルリーテは何を言わずともエステルの決断を当たり前のように受け入れており、既に意識はセキの行動に移っていた。


 エディットが受精種エルフの男へ意識を向けていることを把握していたため、ルリーテは適受種ヒューマンの男を自身で倒すべく注視していた、にも関わらず弾け飛んでいく男に何が起こったかを把握することができていなかった。


 消去法でセキの仕業ということは分かってはいたが、目で追うことすら叶わなかった事実に自身の未熟さを痛感するように唇を嚙み締める。


「うん。ありがとう……考えてみたら正々堂々挑んでくるなんて普通に考えてないよね……よし……! 気を取り直して進もう!」


 当初の宣言通りメダルに固執するようなことはなく、精霊との契約に注力する心構えが垣間見える。

 大空洞から足跡のない通路を選択しようとするが、あいにくどの通路にも先客がいるようだ。

 エステルが通路の前を見定めて比較的苔が荒らされていない通路を選択すると徽杖バトンを構え直し奥へ進み始めた。


「でも思ったより魔獣との遭遇は少ないな。入口に多少いたけど残りは深層まで追っかけて行ってる可能性はありそうで嫌だけど」


「でも、卵も深層にたくさんあるっていうからセキの言うこともあながち間違いじゃないと思うなぁ……」


 セキが最後尾で時折肩越しに背後に視線を向けており、さらに低い頻度でエステルやルリーテのお尻に視線が飛んでしまっているのは致し方のないことである。

 その視線に気が付くこともないエステルは前方に視線と意識を集中しながら、徒歩よりもさらに速度を落として慎重に進んでいた。


 だが、前方の通路の先から激しい爆発音と同時に三名の探求士が向かってくる。先ほどとは異なる適受種ヒューマンの男が二種ふたりに、美しい長髪をなびかせる受精種エルフの女が一種ひとり息を切らし、時折背後に怯えたような視線を向けながら疾走していた。


 受精種エルフの女は怪我をしているのか、足を引きずるように走っており、男たちは守るように背後を固めている。


「ルリ!」


 エステルの掛け声と共に弓を構えるルリーテ。それに気が付いた適受種ヒューマンの男が叫ぶ。


「――待ってくれ!! 魔獣に追いかけられてるんだ!!」


 真実なのか、それとも不意打ちのマニュアルが存在するのか、既視感を覚える光景である。

 男の言葉に耳を傾けることもなく、ルリーテは引き絞った弦から指を離す。


「なっ! 待っ――」


 その行動に声を上げ、苔で滑る足を踏ん張りながら急停止を試みるが、解き放たれた矢は勢いを落とすことはない。

 翠光の尾を引く矢は、男の肩口をすり抜けるとさらに奥、通路の先から姿を現していた二匹の珊蝙蝠コーラルバットを貫いた。


(あれ~? エステル最初から真実だって見抜いてた?)


 セキは受精種エルフの女以外に対して拳を叩き込む準備だけはしていたが、心配が杞憂となった今、エステルの判断の早さに些かの戦慄を覚えていた。


「あ……ありがとう……ほんとに助かった……」


 膝に手を付きながら感謝の言葉を並べる適受種ヒューマンの男。残りの二種ふたりは体力の限界に近かったのか荒げた息を吐く度にその顔を大量の汗が滴り落ちていた。


「その様子だとかなりの数の魔獣がこの先にいたんですか?」


 エステルは無警戒に近寄り背中をさすりながら問いかける。急かすような口調ではなく、相手のタイミングを伺うような思慮深い空気を演出していた。


「この先は……少なくとも十匹以上の魔獣が確認できてる。だが……深層に繋がっていそうな下向きの空洞も確認できてる」


 エステルの問いかけに軽く息を整えた男が、途切れ途切れに回答を口にした。


「俺たちじゃあの数は突破できそうにないから他を当たる予定だ……あんたたちの実力は分からないがあまりお勧めできないぜ」


 もう一種ひとりの男も安堵の吐息と共にエステルたちへ向かって頭を下げながら思いを告げていた。


「情報ありがとうございます。あっ……エディ――いいかな?」


「エステルさんが気に掛けるならあたしは構いませんよ」


 エディットは腰に下げた小袋から薬草を取り出すと、受精種エルフの足に痛々しく刻まれた爪跡の治療を施している。


「あ……ありがとう……私たちは癒術士もいないからここからどう切り抜けようか迷っていたんだけど……」


 地に座りながらエディットに足を預けている女性が、おずおずと感謝の言葉を綴る。

 噛んでほぐした薬草を傷口に沿って当てながら手早く包帯を巻き付ける。淀みない手慣れた手付きにそれを見ていた男たちも感嘆の息を漏らしていた。


「これでひとまず安心ですが、痛みが引くまでに数十分かかります。それまでは腰を落ち着けておくことをお勧めします。痛みが引いたらこれを飲んでください」


 エディットは青緑の液体が詰まった親指ほどの小瓶を差し出す。言われるがままに女性はその小瓶を自身の手の平に乗せる。


「傷の治療までしてもらって本当に助かった。これならまだ諦めずに精霊との契約に挑むことができる! これは俺たちからの感謝の印として受け取ってほしい」


 適受種ヒューマンの男がエステルに歩みより、差し出した手の平の上には金色に輝くコイン――そうギルドメダルが乗せられていた。 


「あはっ。気持ちだけもらっておきます。今回はたしかにメダルのせいでギスギスした雰囲気もあるかもしれないですけど……でもやっぱり同じ探求士同士、困った時はお互い様ということでどうですか?」


 両八重歯を覗かせながら放った言葉に面食らった表情を見せる三名だが、不思議とエステルの朗らかな笑みの前に食い下がることも忘れてしまったようだ。

 改めて感謝の意を示すと三名は並んで、エステルたちが来た道へと進んでいった。



「もうなんだろう。ごめん……今みたいな知らない同士でも探求士だからこその助け合いに憧れてたというかなんというか……」


 先ほどの堂々とした姿の面影はなく、もじもじと絡めた指先に視線を落としながらルリーテたちへ頭を下げている。


「ふふっ……ええ、分かっています。今のがエステル様の憧れていた矜持……なのでしょう?」


 ルリーテは口元に手を当てながら反応するが、その瞳は優しい三日月を描いている。エディットも肩の力を抜きながら、大きく息を吐き出すもほころばせた口元は嘘をつけない様子だ。


「あははっ。エステルかっこよかったよ?」


 セキはその行動を誇らしげに眺めていながらも、つい茶化すような物言いをすると、頬に濃い目の紅を差したエステルに苦し紛れと言わんばかりに肩を何度も叩かれるハメとなる。


 張り詰めた空気の中で、ふいに訪れた束の間の優しい時間ときを過ごす。

 だが、深層への道がこの先にあるのならばここで足を止めている場合でもないことは、誰もが理解している。

 四種よにんが口元を結び直した時、言葉を発さずともその足は、通路の先へ自然と歩を進めていった。

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