第69話 精霊との邂逅

「セキは下がり気味にそのまま背後の警戒を! ルリ離れて! そのまま珊蝙蝠コーラルバット珊海蛆コーラルスレーターを! エディはこっちお願い!!」


 エステルの声が珊瑚の洞窟内へ響き渡る。想定外の事態に備える意味と、自分たちの力で精霊と契約を行えることを示す意味も含めて、セキは戦闘区域から離れた場所での警戒を行っている状況だ。

 セキは脱力したように両腕を下げているが、その指先では薄刃苦無クナイを挟み込み、いかなる状況でも補助に入れる準備をしていることが伺える。


「はい! 撃ちますよぉぉ!! 〈中位火魔術ヒルライザ〉!!」


 エディットは珊蜥蜴コーラルリザードの群れの上で淡く輝く星。プラネに向かって魔術を放つ。

 エステルは珊蠕虫コーラルワームが地中から飛び出してこようが、その巨躯を生かして押しつぶしてこようが、風に揺られる木の葉のごとくその身を翻し、決して流れに逆らわず、手に握られた徽杖バトンが円を描く。先端から放出されている魔力光の旗が巻き込んだ風と共に踊っていた。

 誘導と翻弄を繰り返しながら走り回っていたエステルが、エディットの掛け声に反応する。


「――〈星之導きメルアレン〉……!」


 プラネの光がうねり出すと同時にエディットの放った火球が直撃すると、火球の炎さえうねりに飲み込み力強い輝きを見せた。


「これでも食らえーー!!」


 『中位火魔術ヒルライザ』をエステルの術で増幅し、特大の火球となった魔力の塊を拡散するように放出すると、プラネ直下に蠢く珊蜥蜴コーラルリザードの群れに小粒となった火球の雨が降り注ぐ。


「タフな魔獣ですね! もう一つ――〈中位火魔術ヒルライザ〉!!」


 五匹の珊蜥蜴コーラルリザードと二匹の珊蝙蝠コーラルバットが火の雨と踊り狂う中心へさらに火球を叩き込む。

 その間に火の雨から逃れた三匹の珊蝙蝠コーラルバットに、ルリーテが風のように流れる疾走で距離を詰めると、その手には小太刀が逆手で握られていた。


「……〈刃の下位風魔術ラミナス・カルス〉」


 暴風を翠光の刃に変え、三匹の珊蝙蝠コーラルバットを瞬く間に両断。小太刀を収め弓を握ると同時に、珊瑚に埋め尽くされながらもその隙間から淡く神々しい日の光が差し込む天井に向けて構えた。


『チピィーー!! ピピィ!!』

「〈弓の下位風魔術アルクス・カルス〉!!」


 チピが相手の居場所を示すかのように天井付近で旋回を繰り出し、ルリーテの視点が自身に向いたと同時に滑空しながらその場を離れていく。

 翠光の竜巻を纏った矢を解き放つと珊瑚の天井をその自慢の七対の脚で縦横無尽に駆け巡っていた珊海蛆コーラルスレーターを容易に貫く。

 甲殻に覆われた身体は並みの武器なら弾き返すほどに強固だが、魔術強化した矢の前ではその甲殻ごと抉られる結果となっていた。


「ふぅぅ……――やっ!!!」


 エディットがエステルに迫っていた珊蠕虫コーラルワームへ掌底を叩き込むと、珊瑚を取り込み強化されたはずの外殻は、軋むような異音と共にひび割れが刻まれる。


「エディ下がって!!」


 エステルの言葉に後方転回で距離を取ると珊蠕虫コーラルワームが怒号にも似た不快な叫び声をあげるが、好機チャンスとばかりにその口内へとプラネを滑り込ませる。


「〈星之煌きメルケルン〉!!」


 エステルの詩と共に珊蠕虫コーラルワームの肉体が膨れ上がる。その叫び声が怒号から号哭に変わった時、膨れ上がった肉体は臨界に達しその身を弾け飛ばすこととなった。


 目視で確認した魔獣を掃討し終えるが、エステルたちは静まり返った洞窟内を見渡しながら戦闘態勢を崩さずお互いに背を預けたままである。

 エディットは自身の長い耳に意識を集中しており、目視での警戒はエステルとルリーテに委ねている様子だ。

 肩で息をしながら一時の静寂が過ぎさった後、エステルの肩が落ちた。


「はぁぁ……動くものは見えないし、足音もなさそうだね」


「ええ。蠕虫ワームは最後まで辛抱強く息を殺して機会を伺っている場合もありますが、どうやら全て討伐できたようです」


「リコダでクエストに通ったかいがありましたねっ。大きさと硬さはたしかにこちらの魔獣のほうが上ですが、基本的な動きが一緒なので!」


 背を預けた状態から顔を見合わせながら胸を撫で下ろす。

 そのまま三種さんにんは離れた位置で見守っていたセキの元へ足を向けるが、


「動かないで……」


 セキの離れた位置から聞き取りずらいほど、抑揚を抑えた声がエステルたちに届き、同時に行動を制止するように手の平を向けている姿が見えた。


 その行動に寒気を覚えるエステル。まだ倒しきれていない? それとも新手が? エステルが思考を巡らせる。


 セキがもう片方の手で三種さんにんの背後を指差す。その方向は深層に繋がっていると思われる空洞の位置だ。


(深層から魔獣が這い上がってきてる? 数が分からない以上、広間に出る前に空洞内で個々に叩く……!)


 音も気配も感じることはできないまま、エステルが肩越しに視線を向ける。ルリーテとエディットも気配を必死で押し殺しながらじょじょに首を回していた。


「あれ……?」


「なにも……いないように見えますが、地中――いえ、足場の珊瑚内でしょうか」


「空洞の奥も特に動きがあるように見えません……」


 三種さんにんが共に怪訝な表情を見せながらも、空洞から目を離すことはなかった。

 そこに音を立てずにセキが忍び寄る。


「空洞からはもう出てる……ちょっと右かな。あの赤紫の珊瑚が二股に割れてるところ――」


 一切の気配なく近寄られたため、囁く声ですら肩を跳ね上げたエステルたちだが、セキの囁きにしたがい瞳を動かしていくと、


「あの……光の粒って――」


「せ、精霊です……生まれたての加護精霊です……!」


「あんなに小さいのになんだかとても優しい光に感じます……」


 日差しを取り込んだ海の光。魔力を蓄えた珊瑚の淡く儚い光。その空間を迷っているかのように光の粒が漂っている。

 動きを目で追っているとじょじょに、だが確実にエステルたちへ近づいてきていることに気がつく。

 少女たちの鼓動は、お互いに聞こえてしまうのでは、と心配になるほど高まっていた。


 セキは少女たちの熱情を宿していた瞳が、すっかり期待と憧れを抱く年相応の瞳の輝きを放っていることに口元を緩ませてた。

 状況を把握したチピも滑空しながらセキの肩に止まり主の姿をじっと見つめている。

 喜びに水を差さぬよう気配を殺しながら距離を取り、この甘美の時間に横やりが入らぬよう周囲に意識を向けた。


「めちゃくちゃ儚い存在だのぉ」


 セキの頭にしがみついているカグツチは、精霊の消え入りそうな光をまじまじと見つめながら呟いた。


「生まれたてホカホカだからだろ? まだ自分が何者になるかもわからない。いや、何者にもなれずただ魔獣に食われるかもしれない存在だからなぁ……」


『チピプ~……』


 セキはその言葉に過去の自分を重ねているのか、少女たちに見られる心配がない状況に憂いを帯びた表情を見せている。

 チピだけがその顔を見上げ物憂げに鳴いた。


「あれは気に入られるとどうなるのかの?」


「加護精霊の状況……と言っても覚えてないから聞いた話だけど……――たぶん今のエステルたちじゃ触れることはできないと思うんだよね。で、精霊も自我なんてないから気に入った何かを本能? で見つけるみたい。自然の木々とか岩。そして……ひととかね。既に契約済の場合は精霊自身も他の精霊の気配を感じ取るみたいで寄ってこないらしい」


 自身の知識を掘り返すように、言葉でなぞりながら喉を鳴らすセキ。


「そこであの光がチカチカと反応するんだ。自然物の場合は分からないけど、ひとの場合はそこで『声』が聞こえる。弱々しいけどとても純粋な声がね。そこで受け入れれば契約完了。拒否する場合は離れていけばいい。加護精霊は相手に執着しないから」


 そんなやりとりをしている間に精霊のか細い光は、右往左往しながらもエステルたちの目の前まで迫っていた。


(恨みっこなしだよ! でもわたし以外だったら黒石茶に甘味を入れずに苦いまま出すくらいは許してね……!)


(緊張しますね……仲間が精霊に認めらえるのは嬉しいですが、わたしでなかった場合、致し方ありません。少々料理に細工をさせてもらいます……)


(だ、誰が選ばれるのでしょうかねっ。心なしかお二種ふたりから、穏やかではない気配を感じますがきっと気のせいでしょう!)


 精霊の光を目で追いながら渇いた喉を鳴らす。高まる鼓動に釣られてあがる呼吸を必死で抑えている。


 ――だが。

 精霊はエステルたちの頭上をふらふらと飛び越えていく。

 落胆の声に喉を震わせることはなくとも、首を垂れ瞼を力一杯下げている姿は三者共通であった。


「ダメだったようだの」


「普段ならそうだけど、今は好機チャンスがまだまだあるんだから、気落ちすることはないよ。本種ほんにんたちからしたらもどかしい気持ちはすごい分かるけど……」


 後方でエステルたちに聞かれぬよう小声で暢気な会話を交わしていると、精霊の光はセキの周囲を回りながらその光を明滅させていた。


「お主が気に入られとるぞ」


「カグツチ――お前、精霊って認識されてねーのかよ……いや、おれの魔力が垂れ流れてないほうが原因か……?」


『チピ~……』


 セキは光を追っていた目をふいにエステルたちに向けた。


 鬼のような形相で唇を噛むエステル。

 少々血が垂れることも意に介すことはない。


 込み上げる怒りをセキに向けることは許されない、と顔を必死で背けるルリーテ。

 だが、握りしめた拳は震え続けている。


 瞳孔を許される限り開き、陰の気をその小さな体に纏うエディット。

 襲い掛かるタイミングを見計らっているのだろうか、にじり寄る気配が収まらない。


 セキは向けていた視線をそっと外し、見ていないことにすることを心に誓った。


『――――――――』


「まぁすまんの。良き出会いに恵まれることを願っとるからの」


 カグツチが精霊の光に向かって語り掛けている。


 セキはその様子を見守った後、未だに周囲を明滅しながら飛んでいる精霊に別れを告げるように一目見ると、背後の横穴へと姿を消した。


 セキが居た場所をしばらく漂っていた精霊だったが、時間と共に漂う高度を上げていき天井の珊瑚の隙間へと潜り込んでいった。


「ダメだった……」


わたしたちには見向きもしませんでしたね……」


「善意も悪意もない純粋な評価って容易にひとを傷つけますよね……」


 三種さんにんは揃って天井を見上げながら思いを漏らしている。半ば放心状態と言ってもいいこの状況は、精霊から距離を取ったセキが恐る恐る戻ってくるまで続くこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る