第67話 精選開始

 正午。

 散り散りとなっていた探求士たちも誕生地前で一堂に会していた。

 滾らせた血を解き放つ瞬間を今か今かと待ち構える探求士たちは、騒めきはなくとも無言の威圧感を無自覚に垂れ流していた。


「諸君! きみたちの積み重ねた成果を十分に見せてくれたまえ!」


 周りを警護していた騎士や探求士の姿はなく、海からその姿を覗かせる精霊の誕生地の表層に立つヤーカスの声が響き渡る。


「さぁ……精選の開始をここに宣言する!」

 

 ヤーカスの宣言と共に、怒号とも咆哮ともとれる叫び声がそこら中から沸いている。ヤーカスからその場から離れると、雪崩のように探求士たちが誕生地の表層へと降り立っていった。


「いよいよ開始だね……ここはキーマさんに教えてもらった通り流れが途切れるのを待とう」


 最後尾付近に位置取っていたエステルたちは雪崩の流れに身を任せることなく、その切れ目を待っていた。

 この大種数おおにんずうで入ればたしかに魔獣も流れの中で絡めとれる可能性は高い。

 だが、それと同時にパーティ分断の可能性も高くなる。

 ましてや今回は自パーティ以外は敵と言っても過言ではない条件が付いている以上、初動は慎重になるべき、とエステルは事前にこの旨をメンバーに伝えていた。


「うん……。たしかにあの流れは興奮してるうちは心強いけど、誰か一種ひとりの悪意であっという間に阿鼻叫喚に変わりそうな危うさがあるなぁ」


『チピィ……?』


 エステルの隣に立つセキも、煙木タバコを吹かしながらその様子を眺めており、動く気配を一切感じさせない。その間セキの肩に止まるチピは動き出さない面々を不思議そうに眺めていた。


「表層からすぐに侵入できる中層からは表層で見えている何倍もの大きさがあるそうですからね。そして精霊の卵と孵化したての精霊が漂う深層に至ってはさらに広いとのことなので、ひとの多さで詰まるということもなさそうです」


 エステルから一歩後ろに立つルリーテも、状況と情報を重ねて冷静に判断を下している。本心では万全となった右手を使いたいという思いが強いようで、視線を落としつつ、右手を握っては広げその時をじっと待ち構えていた。


 徐々に喧騒が誕生地の中へと移り変わり、同様の考えを持っているであろうパーティたちも動き出す準備をする姿が見え始める。


「そろそろあたしたちの精選も開始でしょうかっ」


 エディットが鼻息を荒げながら両の拳を胸元で握りしめた。

 一度大きく息を吸い込み瞳を閉じるエステル。吸い込んだ息を全て吐き出すと同時にその目を見開いた。


「――うん! みんな……行こう!」


 掛け声と共に誕生地の表層へと歩を進め始める。周りの面々もその言葉に返事に喉を震わせることなく、表情を引き締め続いていった。


 土が積もり草木が生い茂る表層へと降り立つ。視界に収まるほどの広さではあるが、所々に大きく口を開ける中層への穴が見えなければ、大地と見間違えるほど緑が溢れ、植物と潮の入り混じった香りが鼻孔をくすぐっていた。

 いくつかのパーティが侵入する穴を吟味する中、エステルたちも侵入口の目星をつけた。


「エステル。先におれが下りて様子見てくるから待っててくれる?」


「――あっ」


 エステルの返事を待たずに飛び降りるセキ。早速頼ってしまった、とは思いつつも、必要以上に遠慮するのもパーティとしておかしいか、と頭を抱えているうちにセキが穴から音も立てずに姿を現した。


「魔獣はいないけど、どうだろ。穴は変えたほうがいいかも?」


「中層の珊瑚の通路が閉じていたり複雑だったのでしょうか……?」


 ルリーテが戻ってきたセキに迫るとエステルとエディットもルリーテの問いに耳を傾けていた。


「そういうわけではないがの。単純に魔獣の食い残しの腕と足があっただけだの。見たところ二、三にん分と言ったところかの」


 誕生地内部で衣嚢ポケットから這い出したのか、セキの頭に乗るカグツチが表情も変えずに見たままの真実を告げる。

 セキもその言葉に黙って顎を引き肯定の意を示していた。

 エディットは黙禱を捧げるかのように瞼を下げ、エステルとルリーテは背筋に氷柱が通ったのか、体温が下がったということを自覚したように血の気が引いている。


「だ……大丈夫。覚悟の上だから……それに慣れていかなくちゃいけないから」


 後味の悪さを誤魔化すように唇を噛むエステル。徽杖バトンを握る力が必要以上の力みを表すように白く血の気が引いていることが見て取れた。


「エステル。探求士や冒険をする以上、避けて通れないけど、ひとの死に必要はないよ」


「はい。あたしたちは命を奪う奪われるをこれから幾度となく繰り返しますが、その苦さや後味の悪さは慣れるのではなく背負うものです。それに……慣れることなんてないんです……当たり前のように受け入れてしまったらそれは感情が壊れてしまっただけなんです」


 潜り抜けた死線の数だけ死と向き合ってきたセキ、死と隣合わせが日常の北大陸キヌークで育ったエディットの言葉の重みにエステルは思わず膝が折れかける。


「背負う覚悟が……必要なのですね……」


 ルリーテは膝の折れかけたエステルとお互いを支え合うように立っている。お互いの空いていた手を握り合い言葉と共に力を込め合う。

 その温もりとたしかな感触に揺らいでいたエステルの瞳にも決意が宿る。


「そうですね。魔獣にもそして……ひとの中でも、無作為に悪意を振り撒く死んだほうがいいような存在はいるので、向き合い方は難しいとは思いますけど」


 普段のエディットとは明らかに異なる、体の芯を水に浸すような冷ややかで淡泊な口調。

 見た目に引っ張られがちだが、自分たちの倍以上の期間を魔獣の脅威に晒されながら生き延びたエディットの言葉はエステルとルリーテに深く刻まれ、それと同時に頼りなく震えていた足にも力が宿ったことを実感した。


「うんっ……ありがとう! それならあっちの穴から入ろう……!」


「了解。それじゃおれから入るよ。これは決意うんぬんじゃなくってただおれが前衛だからってことで」


「はい。セキ様の後に続きますのでお気を付けて……!」


 エステルの指差す方向へ視線を向けるとセキが迷う素振りを見せることなく、穴の中へとその姿を消した。

 後にエディット、ルリーテと続き最後に残ったエステルは一度雲一つない蒼穹を仰ぎ、歯を食いしばると勢いよく中層へと続く穴へと飛び込んでいった。



◇◆

 降り立ったエステルに飛び込んできた光景は、半分海に浸かっているにも関わらず魔力の膜で覆われ、海を通した日光石の光が差し込む神秘的な景色――ではなかった。


 三匹の珊蠕虫コーラルワームと二匹の珊蜥蜴コーラルリザードの断末魔とその食い散らかしたであろう、ひとだったものであった。


「こいつら明らかに穴から入ってくるやつを待ち伏せてたね。周りにも何匹か魔獣の死体が転がってるから最初は数の暴力でねじ伏せてたんだろうけど……」


「まぁこやつらからしてみれば、口を開けてれば勝手にエサが落ちてくるんだからの。貪欲に食を求めるならここを張るのは魔獣にしては頭を使ってるかの」


 セキが小太刀を軽く振り紫色の血を払う。続けて息絶えた珊蠕虫コーラルワームに手を向けると、その巨体を貫いた薄刃苦無クナイが手元へ引き寄せられていた。

 エディットとルリーテは目を瞑り、祈りを捧げているようでエステルもそれに倣った。


 しばしの静寂が流れた後、目を開いた少女たちは改めて中層内部を見回している。

 異常な繁殖を伴った珊瑚に包まれた空間でありながら、隙間から海水が浸食することはなく、漏れてくるのは暖かな日差しだけである。


 足場として踏みしめている場所も珊瑚だが、踏んだ感触として脆さを感じることはなく、表面の苔が剥げてもその下に大地のごとく張り巡っている強靭な珊瑚の塊はこの誕生地の魔力の濃さを物語っているようだった。


 人工的に掘られた洞窟のように高さが一定ということはなく、自由に繁殖した珊瑚のまさに気分次第というように、身の丈の十倍以上の高さの場所もあれば、通るためには這いずる必要があるほど低い箇所も見受けられる。


「すごい綺麗で神秘的だけど……少し……怖いかな。正直言うと……」


「逃げ場のない圧迫感みたいなものを感じますよね。北大陸キヌーク割れ目クレバスに落ちた時のような不安さがあります」


 エステルの思わず漏れた呟きに、背を預ける形で辺りを見渡していたエディットも同調している。


「それに地上と違って周囲の警戒時に上もいつも以上に確認が必要ですね。珊蜥蜴コーラルリザードは大丈夫でしょうが、珊蠕虫コーラルワームは平気で内部を食い荒らして頭上から襲ってくる可能性もありそうです」


 ルリーテは様々な高低差がある天井の珊瑚を見上げながら喉を鳴らした。エステルとエディットもその言葉に頷きながら同じようにまじまじと天井を見上げている。


「ダイフク。ここはご主人様のほうにいってな。お前もしっかり索敵頼むぞ」


『チピピッ!!』


 主にセキの肩に居る場面が多かったチピだが、セキ自身がかなり縦横無尽に動くことを想定したのか、エディットの側へいくよう促すと片羽を高々と挙げエディットの肩へ羽ばたいた。


「お主は立体的に動けるこういう空間のがやりやすそうだの」


「相手によるけど苦手ではないね。天井込みで距離を詰める選択肢が増えるのは助かる」


 セキがどこに視線を合わせることもなく漠然と周囲を見渡し警戒を続けていると、エステルが天井から視線を外していた。

 そして徽杖バトンを構えると矢継ぎ早に詩を詠んだ。


「――〈星之観測メルゲイズ〉。……〈一星観測リーメルゲイズ〉」


 静かにその姿を現した星を確認するとルリーテも続いた。


「〈弓の下位風魔術アルクス・カルス〉」


 左手に構えた弓に魔力が通る。翠の魔力がうねりながら弓を包み込み、仄かな煌めきと共に発射の時を待つ。

 セキに教えを受けて以降、エステルとルリーテは索敵段階から星や強化魔術を備える癖がついていた。


「行こう。もうここは誕生地であると同時に魔獣の巣窟でもあるんだから……」


 地上方向とは正反対の海側へと足を向け、表層としては見えず中層以降の海に隠れた部分を目指す。


 エディットが隣に並びつつ、ルリーテ、最後尾にセキが続く。

 気負いがないと言えば嘘になる。

 焦っているかと問われれば頷くだろう。


 だが、それは自信がないということと同義ではない。

 エステルは憧れるだけの夢物語を現実の物語にするために知識と経験を積み上げ、冒険を共にする仲間を得てこの場に立っている。

 その全てをここでぶつける覚悟も決まった。


 エステルパーティの精選が今まさに始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る