第140話 森の洗礼

「森の中……だね」


 雑草の絨毯の上、背丈の高い木々が生い茂る森の前で少女たちは立ち止まった。


「それほど奥と言う感じではありませんが……ここは自然魔力ナトラが濃いのでしょうか。視界としては見えていても靄がかかっているような感覚を覚えますね……」


「まだ日光石が照らす時間なのに、背の高い木々が密集しすぎて薄暗いのも、気味の悪さに拍車を掛けてますよね……」


 言葉では言い表せない奇妙な感覚。

 それは森に対する違和感なのか、それとも――


「受付のひとも言ってたけど、見通しが良い所までってアドバイスももらってる。だから……お互いに見通せる範囲までを条件に入ろう。わたしとルリで入るからエディはここからわたしたちの姿が見えることを確認していてほしい」


「なるほど……そうですね。見つからない場合は急いで戻って事情を説明して探索隊などにお願いしましょう」


「はいっ! 了解です! お二種ふたりとも十分注意してくださいね!」

『チ~ピィ~……?』


 どのような事態なのか不明である以上、無茶をした挙句に自身たちも同じ状況に陥る危険は十分にありえることである。

 それを踏まえたエステルの案にルリーテとエディットも異を唱えることもない。

 少女たちが気を引き締めつつあるが、そんな中、チピだけは不思議そうに首を傾げていた。


「――ケーテー……」


 森の前まで来たことで声の方角も大方の見当がついている。

 このか細い声が届く範囲であれば、森の奥まで踏み入れることはないはず、それが彼女たちの共通認識だ。


「よし……ルリ行こう。エディも森の外とは言え背後とかに注意しててね」


「はいっ。チピ、後ろの確認は頼むよ!」

『チピ!』


 エステルは徽杖バトンを握りしめ、ルリーテは小太刀を抜き放つ。

 エディットが見守る中、一歩、また一歩と茂みの中へ入り込んでいく。


「ちょっと暗いけどこれならまだ見えるね」


「はい。動く物も特に見当たりませんので」


 時折、背後を振り返りエディットと視線を交わしつつ、薄暗い木々のアーチを潜り抜けていくと、


「エステル様。ここで待ってていただけますか? 声はあの大樹の側から聞こえています。わたしが行きますので、辺りの警戒をお願いしたいです」


 ルリーテが袖口を掴みエステルを引き留める。


「うん。わかった!」


 エステルの同意を得たルリーテが小枝を踏みしめつつ、声の元へ赴く。

 エステルはサテラを自身の周囲に舞わせつつ、プラネをルリーテの背後へ付かせながら、様子を見守っている。


「タスーケテー」


 はっきりとルリーテの耳に届く。

 少々甲高いが女性というよりも男性が振り絞ったような声は、たしかに大樹の裏から聞こえていた。


 大樹に手を付き、一度辺りを見回したルリーテ。

 特に異変はない、と背後のエステルへ視線を向けると大樹の裏へその足を向けた。


「大丈夫ですか……? わたしたちは近くにいた探求士です。あなたの声を……――?」


 ルリーテが覗いた先。

 大樹の根本には誰の姿もない。


(反響するような物があるわけでも……)


 ルリーテが熟考に入ろうとその艶やかな唇へ指をあてた時だった。


 それは偶然目に入っただけである。

 

 一筋――いや、一滴の雫が眼前に垂れたことに気が付いた。


(……? 雨はなかったはず、朝露のような?)


 ふいにルリーテが見上げた時。



 ルリーテの倍以上の巨躯が大樹に張り付いてた――



「キッ――キギャギャギャギャギャギャギャッ!!」


 堀の深い瞳は充血したように鮮血に染まり。

 喜びに満ち溢れ、口角が吊り上がりきった口から溢れ出る涎と鋭利な牙を覗かせる獣。


 『老知猿エルダーエイプ


 警戒を怠ったわけではない。

 注意を張り巡らせてなお、彼女たちは騙されただけなのだ。


 その代償の取り立てと言わんばかりに、その身を硬直させた少女へ向けて、迷う暇さえ与えることなく、歪な爪が振るわれた。

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