第141話 老知猿

 咄嗟に体を捻るも、老知猿エルダーエイプの爪はルリーテの肩へ突き刺さり、白肌を容易に抉り取る。


「――うぐっ!!」


 背後へ仰け反る形となったルリーテが、踏みとどまろうとするも、樹木の根に引っかかりそのまま仰向けに倒れ込む。


『ギュキィーーー!!』


 歓喜の雄叫びを上げながら大樹を蹴り、巨躯がルリーテに覆いかぶさろうとした時。


「――〈星之結界メルバリエ〉!!」


 風の膜がルリーテを包み込む。


 ――だが、その膜を認識した瞬間。


 老知猿エルダーエイプは尻尾を枝に巻き付け、魔力渦巻く結界に触れることなく、枝の上に退いたのだ。


「ルリッ!!」


 咄嗟に詩を行使したエステルが、肩からの出血を抑えるルリーテの元へ駆け寄ると、


「助かりました。そして……油断をしていたわけではないのですが……」


「ううん。わたしでも同じ結果になってたと思う。でも……ひとを使ったの……?」


 枝の上で大口を開き、ねぶるように舌を出す老知猿エルダーエイプ

 すると、


『キキッ!! キキキキッ!! ……タスー……ケーテー……』


 片言でありながらも、はっきりと聞き取れる『声』を口にしたのだ。

 見上げる二種ふたりを嘲笑うような仕草に思わず歯を軋ませる。


「意味が分かっているわけではなかったのですね……ただ……こう発声することで獲物エモノが近寄ってくると学んだのでしょう……小賢しい……」


 視線が絡み合うも老知猿エルダーエイプは依然、忌々しいほどに口角をあげまるで品定めをするかのように少女たちを見つめている。


 ――だが、思い出したように空を仰いだ次の瞬間。


『ギュキーーーッ!! キィィィィィィィッ!!』


 歓喜の声とは明らかに異なる叫び声を放った。


「――まずいよっ!! ルリ走れる? あれは仲間を呼んでる!!」


 ルリーテを先行させ、エステルが背後を受け持つ形で咄嗟に走り出す。

 この木々の密集する立体的な空間で猿系の魔獣に囲まれることは、今の彼女たちにとって致命的である。

 みなまで言わずともそれを理解したルリーテも、出血を気にする素振りすら見せず、力の限りに地を蹴りだしていた。


『ギッキィィーーーッ!!』


 そうはさせない、と告げる代わりか。

 大樹の枝を捩じりきった老知猿エルダーエイプが、背を見せたエステル達へ向かい力任せに枝を投げつける。


「――〈星之導きメルアレン〉ッ!」


 枝が迫りきる前にエステルが詩を詠みあげる。

 怒号を響かせた爆発に、枝が四散するも、その爆煙から顔を覗かせたのは老知猿エルダーエイプだ。


『キキーーーッギュッキィ!!』


 歪な爪が地を這いエステルの直前で、跳ね上がる。


「はやっ……――うぐっ!!」


 徽杖バトンを構えるよりも一瞬早く駆け抜けた爪は、エステルの腹部から胸部にかけて朱色の傷跡を深々と残す。


「しつこい猿ですね……――ッ!! 〈刃の下位風魔術ラミナス・カルス〉ッ!!!」


 暴風を刃に纏い横薙ぎに振るうも、持前の跳躍力を駆使し難なくルリーテの頭上を飛び越えていく。

 森から抜ける道に立ちふさがった猿と改めて対峙する少女たち。


「ルリ……!」


「はい。同感です。倒してから出ましょう」


 この変幻自在の攻撃を逃げながら受け続けるのは得策ではないと悟った両名は、仲間を呼ばれ焦る気持ちを必死に抑え、目の前に佇む敵を排除することを選択した。


 少女たちが作り出す空気の変化を瞬時に悟ったのか。

 老知猿エルダーエイプは軽く屈むとまたもや跳躍の姿勢に入る。


 より確実に。より狡猾に。

 自身の優位な状況を作り出すべく木々の枝に向かって跳びあがった時、さらに頭上から響く詩声があった。


「――〈爪の下位炎魔術ウィグス・ファルス〉」


 炎の鉤爪を纏う少女が、無防備な背中へと飛び込んでいく。

 咄嗟に空中で体を捻るも、老知猿エルダーエイプの脇腹を炎の爪が抉り抜いた。


『ギャキィィィィ……――ッ!!! ギッ!! ギィィィィィィ!!』


 地に落ちたと同時に弾かれたように距離を取る老知猿エルダーエイプを尻目に、エディットがエステルとルリーテの前に降り立つと、


「木登りが得意なのはあなただけではないということですっ」


 涎滴る牙を剥き出しに、憎悪の瞳を向ける猿を見据え、言い放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る