第89話 精霊誕生

「エディは納得のいく場所を見つけられたかな……?」


「このように静寂に包まれた緑溢れる空間はそうそうありませんからね。きっとダイフク様が気に入る場所を見つけていることでしょう……」


 エステルたちはセキたちの索敵中も近場を探索するに留めており、この地の精霊誕生の時間に向けて気持ちを高めていた。

 ナディアやドライたちも気持ちは落ち着いているようで、ささやかな会話を重ねながらその瞬間を待っているという状況だ。


「あの騒動が嘘のようだな……あれよりもさらに深い地でこんなのどかな時を過ごせるなんて思ってもいなかった……」


「戦い詰めだったからねぇ……この好機チャンスはモノにしたいさね……」


「くよくよ悩んでも仕方ありませんわっ! むしろ迎え入れた後のことを考えるほうが建設的ですわっ!」


 ナディアは自然体でありながらも、キーマたちへ発破を掛ける会話となっている様子だ。

 だが、ナディアの言う通り、生まれたばかりの精霊に対して堂々とした姿を見せるべき、という心構えは見習うべきだ、そうも感じていた。


 そんなやりとりを続けていた時、エステルは四方八方を密閉された空間にも関わらず、そよ風が頬を撫でる感触を覚えた。

 頬に手を添えながら立ち上がると、周りの木々もゆっくりとその葉を揺らしていることが伺える。


「これ……は?」


 エステルに続いて他の面々も腰をあげて辺りを見回している。

 それは木々の優しい騒めきであり、まるでこの空間そのものが喜びに満ち溢れているような錯覚さえ覚えた。


「みんな……! 卵を見て……!」


 ドライが囁くように、だが力強く発した声に上げていた視線を足元へ落とす。


「……あっ――」

 

 思わず一同声が揃ってしまう光景。


 それは蕾だった花弁が徐々に花開く瞬間だったのだ。

 ゆっくりと……じれったいほどに時間をかけて開く様にエステルたちは瞬きすら忘れて見入っている。


 何分経過したのかも分からない。


 だが、確実に蕾はその姿を変えていく。


 花弁が完全に開ききり花の形を成した時、新たな精霊の誕生を祝福するのかの如く、この地の全ての木々が淡い光を放ち始めた。


「あわっ――あわわわわわわっ! せ、精霊がほんとに生まれますわっ!」


 ナディアは待機していた中で、動揺を見せることなく、凛とした美しさに見合った堂々たる態度を見せてたが、どうやら本番に弱いようだ。


 そんなナディアの姿にエステルたちが口角を上げていた時だった。

 花の中心に小さく儚い光の粒が誕生する。


「――これっ……! これが精霊の光だよっ!」


 エステルが指を差しながら興奮気味に声をあげた時。

 誕生した光の粒は、ゆっくりと浮かびあがる。

 それは一輪の花ではない、全ての花から一斉に舞い上がったのだ。


 一同は、自分の足で立っていることが不思議に思えるほどの幻想的な光景に、思わず口を開けて感嘆の声をあげた。




 現実味のない一幕にエステルは息を吐き出しながら視線を下げた時、自身の目の前に居たモノ。




 それは明滅を繰り返す一粒の光だった。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 思わず腹の底から声を張り上げそうになるも、手の平でがっちりと口を抑え込んだ。


 息を吐きかけただけでも、消え入りそうなほどに儚い光はどこか優しくどこか懐かしい匂いを感じる。


 目を瞬かせなら明滅を見つめていた時、エステルに『声』が届いた。


『キミト……トモニ……』


 心の奥底から、感激という名の魂の震えが沸き上がった。

 その沸き上がった衝動はエステルの瞳に宿り、やがて溢れた衝動は雫となって頬を伝う。

 

「――ん……うんっ……うんっうんっ! い……一緒に歩もう……! この世界の――どこまでもっ……!」


 精霊の問いに幾度も頷き何度も返事を重ねた。

 精霊は受け入れられた喜びなのか、一層の光を発するとおぼろげな浮遊でエステルの胸元へ向かい、光の粒はエステルの中へと納まっていった。

 エステルはその瞳を力一杯に閉じると両手を握りしめ、その身を小刻みに震わせた。


 実感が追い付いていない今の状況ではこれが精一杯の表現であり、他者の契約状況も頭の中を何度も掠めているため、エステルは深く深呼吸すると辺りに視線を向けた。


(みんなはどうかな……大丈夫……きっと大丈夫だよね……!)


 そこで一番に目が合ったのがルリーテだ。

 正確に言えばルリーテは目が合ったことを認識しているか不明だ。

 なぜなら涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、必死で拭っている真っ最中だったからである。

 だが、袖が涙で滲むほどに拭い去った後、エステルに向けられた宝石の如く眩い笑顔は、言葉を介さずとも結果を物語っていた。


(あはっ。ルリなら絶対大丈夫ってわかってたっ! だから心配なんてしてなかったんだからっ!)


 そこからさらに視線をズラすとナディアの姿を捉える。

 この場の全員に背中を向けているが、必死に頷いている様子が伺えることから、まさに今、精霊との契約真っ最中という状況だ。

 普段の佇まいからは想像できないが、今はもじもじと指を絡めているようにも見える。

 エステルはその姿は焼きつけたが、そっと心の奥底にしまっておくことを決意していた。


(うんっ! ナディアが選ばれないなんてことはまずないよね! むしろいきなり昇格しちゃったりして……?)


 エステルは目尻を下げながら奥に居るキーマへ視線を移した時、自身の鼓動が跳ねたことを実感した。

 なぜならキーマは地べたに、ぺたんと座り込み放心状態となっていたからだ。

 目の焦点も定まっていない。

 その姿を見たエステルは、ふらつくほどに足から力が抜け、口を抑えねばならないほどに呼吸を乱していた。

 まるで種形にんぎょうが置いてあるかのように微動だにせず、力の一切が抜けきった腕は地に落ちている。

 その状況で声を掛けることはできないが、目を逸らすこともできないエステルは、吐息に湿る手の平を震わせながらも、刮目し続けた時。


 ふいにキーマの瞳から一粒が煌めきと共に零れた。

 それは最初の一粒だった。次々に溢れる粒が幾筋もの道を作り、顎先を濡らした後にまたも滴り落ちていく。


 そこで種形にんぎょうに意思が宿り、エステルと顔を見合わせた時、まるで少女のような笑顔を見せ大きく頷いたのだ。


(――もうっ!! キーマさんほんとに今心配しちゃったよ!! 後でまたお説教しなきゃだよ――ッ!!)


 極上の安堵感に包まれたエステルは、うれしさのあまり、理不尽さに歯止めが利かない状態となっているようだ。


 エステルはそっと瞳を閉じドライが居る方向へ体を向けた。

 俯いた状態で目を開き、ゆっくり……ゆっくりとその顔を上げていく。


 視線の先にドライの足が見える。つま先がこちらを向いていることが分かる。


 視線の先にドライの腰が見える。左手は腰に添えていることが分かる。


 視線の先にドライの胸元が見える。右腕を向け親指を立てていることが分かる。


 視線の先にドライが見える。その顔は歯を剥き出しにした少年のごとき笑顔それということが分かった。



「みんな……! みんな――ッ! おめでとォォ――――――――ッ!!」


 川のせせらぎだけの静寂を長年刻み込んできた地に、少女の歓喜の声が響き渡った瞬間だった。

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