第90話 精霊降臨

「ちょっとこれはお目にかかれないだろ……」


「僕もここまでとは予想できなかったよ……」


 エステルたちが精霊の誕生に見惚れている頃、セキとアドニスもまったく同じ感想を思い浮かべながら舌を巻いている状況だった。


「チピ……ほらっ……すっごい素敵な光景だよ……動物も精霊として生まれ変わることはあるから、もしかしたらチピもまたここで目が覚めるのかもしれないね」


「ここなら雑音とは無縁だからの。またお主が生まれ変わったら我の元にくるがよい……」


 エディットの両手の上で静かに眠るチピ。

 カグツチは隣に立ち、血で固まった羽を優しく撫でていた。


「それじゃ……ここでさよならだね……また……会いにくるから」


 エディットはチピと共に精霊の誕生を見届けると、墓石の前に掘っていた拳大の穴へチピの亡骸を置いた。


「ダイフク。お前の雄姿は見れなかったけど……お前がみんなを助けた事実は変わらないんだ。少しだけど一緒に冒険できたことを誇りに思う」


「僕は出会うことがなかったね。もし……生まれ変わったならば、困難に立ち向かうきみの雄姿を見せてほしい……」


 何も言わぬチピへセキとアドニスが別れを告げる。

 最後にカグツチがチピの亡骸へ寄り添った。


「お前の主、エディのことは任せるがよい。だから……何も心配せず……ゆっくり眠るがよい……」


 カグツチが頭を撫でながら、永遠に眠るチピへ最後の言葉を贈った。

 撫でていた手が自身の身体に向き、鱗を一枚剝ぐ。


「これはお主への手向けだの。あの世で自慢するといいかの」


 カグツチが魔力を込めた鱗は、その色を劫火の如く染め上げた。

 リルやステアに送った時よりもその色は鮮やかであり、カグツチがどれだけの気持ちと魔力を込めたのか、セキには痛いほどに伝わっていた。


 カグツチが鱗をチピの体に置き、名残惜しむようにその場を離れる。

 エディットが両手で救った土を持ち、歩み寄ろうとした時、異変は起こった。

 



「――え……おぉ……えっ? ……――なんだ?」


 セキが突如ふらつき、咄嗟に隣にいたアドニスの腕を掴もうとするも、力が入らずに手を滑らす。

 アドニスが脇から抱えることで倒れることはなかったが、その場の視線を独占することとなる。


「――す、すまん。よく分からないけどいきなり――」


 視線に答えるべく、口を動かしたセキの目が明らかに何かを捉えた。

 それはセキの体から流れ出す火のように揺らめく魔力の行先であり、セキの腰に付けた布袋から漏れだした劫火の如き禍々しい魔力の行先でもあった。


「な……んだ……!? アドニス、おれはいい……ッ!!」


 力が入りきらないセキが声を上げると、すかさずエディットがセキに抱き着きアドニスの背後へと走り込む。

 アドニスが悠然と戦斧アックスを構えた時、その威圧からか周りの木々さえも怯えだしたように震えた。

 しかし、当のアドニスは額から汗を吹き出しながらその状況を見据えている。


「ちょっと笑えないかもね……セキ。最悪の場合、みんなを連れて上へいけるかい? 僕が倒す……とは軽々しく言えない魔力なのがわかるのがもどかしいけどね」


「ばっか……おれも……くそっ! なんなんだ――ッ!」


 一切視線を背後に向けずアドニスが問いかけるも、セキはエディットにもたれかかるだけで精一杯の状況だ。

 みんなを連れていくどころか、下手をすればセキを連れていく必要すら感じさせる醜態に、セキは歯を軋ませた。


 火のように揺らめく魔力と劫火の魔力がチピの亡骸の上でうねり、それはやがて渦と成る。


「ま……待てアドニス。これはもしや……」


 その場で渦を見つめていたカグツチが今にも襲い掛かろうとしているアドニスを止める。

 その間も渦の魔力は濃度を増し、見ているエディットが寒気を覚えるほどに膨れ上がっていくことを肌で感じ取っていた。


 魔力の渦が突如燃え上がった。

 だが、その炎は緋色に染まりながら、散ることなく形を変えていく。


 煌々と輝く炎の揺らめきは、目前で見据えるアドニスたちを嘲笑うかのように、ゆっくりとうねった直後、その燃え上がる炎の羽を広げた。

 さらに、炎が導火線の如く火花を散らしながら垂れ下がっていくと尾羽を形成する。

 そしてアドニスたちの眼前に炎を纏った……いや、炎そのものが鳥の形を成したのだった。

 鳥類独特の虚ろな瞳の奥に寒気さえ感じ、その額により濃く燃え上がる冠羽は威厳と共に燃え煌めいていた。


 その体躯は優にアドニスの倍はある。いや、魔力の炎の体を持つ以上、込められた魔力しだいではさらに大きくなることさえ可能であることをセキたちは理解していた。


 アドニスが唾を飲み込む音が、はっきりとセキとエディットの耳に届く。

 だが、その時セキは自身の体に多少の重さを残しつつも、自由を取り戻したことを自覚した。

 寄りかかっていたエディットの肩を叩き、指先で自身の背後を指す。

 エディットが頷き背後へ身を隠す時でも、セキは一切その目前の鳥から目を離すことはなかった。


 そこへ――


「カグツチ様……盟約に従い『不死鳥フェリクス』ここに――」


 その言葉に全身の力が抜けるアドニスとセキであった。

 エディットは全身を硬直させており、セキの袖を握りしめて離さない強い意思を感じた。


「あの約束はお主だったのか……すまんの。我の手違えだの。鱗を我が友の手向けにしただけだったんだの……いや――待て、お主は精霊だの?」


「はい……カグツチ様の偉大なお力のおかげですが」


 カグツチが何かを思いついたように問いかけると、淀みなく頭を下げる不死鳥フェリクス


「うむ。その力借り受けてよいか? 我ではなく我の仲間に向けての」


「もちろんです。私はそのためだけに存在していると言っても過言ではありません。むしろ、なぜ今まで呼んでいただけなかったのか……」


 カグツチの言葉を待っていたかのように食い気味に反応すると、ついでといわんばかりの愚痴が零れていた。

 だが、そのカグツチの思惑は、願ってもない頼みとなることをセキとアドニスも理解した。


「う、うむ。すまんの」


「いえ、今となってはすでに過去のこと……そしてカグツチ様の命を受けるは至上の喜び……――では早速」


 少し気圧され気味のカグツチだが、不死鳥フェリクスはその態度を崩すことなく、動き出す。

 どれだけの年月を待ちわびたのかさえ分からないセキたちではあるが、盟約とまで言い切った約束を果たせることへの歓喜は、見ている者にも伝わっていた。


「ふむ……さすがカグツチ様が認めた者。ここまで澄んだ魔力を持つ者は私も初めてみたぞ……」


「えっと……ごめんなさい。おれじゃない……」


 不死鳥フェリクスは迷いなくセキの前で羽ばたき契約を試みるが、セキが手の平を振りながら異なる旨を告げた。


「フフッ……わかっていたぞ。少し試したのだ……」


 その羽ばたきは伝承に相応しいほどの神々しさを備えているが、ここにきて不安の影がセキたちの心を鷲掴みにした。

 そしてまたも迷いなく羽ばたくとその緋色の羽、もとい炎が舞う。


「ふむ……さすがカグツチ様が認めた者。見事な資質である。その類稀なる天稟は私と共に歴史に名を残すことになるが覚悟は良いか……」


「あの……すいません。僕じゃない……」


 不死鳥フェリクスは真っすぐな瞳でアドニスを見据えたが、アドニスも手を振りながら答える。


「フフッ……そうだろう。肩慣らし……いや、翼慣らしと言ったところだ……」


 全者共通で理解に苦しむ発言を放った時、セキの口が開いた。


「カグツチ。後で話があるけどいい?」


「断固拒否したいんだがの」


「セキ。邪魔でなければ僕も同席いいかい?」


「水臭いこというなよ。いいに決まってんだろ?」


 カグツチは額から止め処なく流れる汗と共に強固な意志を見せる。

 だが、それは通らないということを薄々感じていた。

 唯一の功績と言えば、セキとアドニスが仲睦まじく共闘の意思を持ったことくらいである。


不死鳥フェリクスよ。昔の我ならすでにお前を焼き尽くしているが……そこらへんを理解してほしいという気持ちは伝わっているのかの?」


「え、あの――待ってください……」


 カグツチは保身に走るべく、不死鳥フェリクスを脅しにかかる。

 さすがにカグツチの言葉に焦りを覚えた不死鳥フェリクスは、種影ひとかげを探してふらふらと漂っている。

 だが、セキの背後に隠れていたエディットをついに見つけ出したのだ。


「娘よ。探し求めたぞ……割と真剣に……」


「――は……はいっ!!」


 拒否の言葉が入らないことに安堵の表情さえ浮かべていることが、はっきりとわかるほどに不死鳥フェリクスは追い込まれていたようだ。


「私は不死鳥フェリクスに力を貸そう……」


「は、はいっ!! よ……よろしくお願いします!!」


 エディットの言葉と共に不死鳥フェリクスが炎へと還る。

 燃え盛る炎は、墓前の前で眠るチピの亡骸を包み込み、灰へ帰すと共に炎も消え入った。


「――え?」


 エディットだけではない。その場の全員が口を揃えた。

 だが、舞い散る灰が燃え上がり空中で一点に収束するとまたもや炎の渦を成す。

 先ほどよりも小さい緋色の炎は繰り返しを見ているかのように形を作り出していく。

 炎の羽が広がり、垂れた尾羽には孔雀の羽の目玉模様の如き鱗がいくつも連なった。

 そしてエディットの眼前に炎の鳥が羽ばたいた。


『チッピィーー!!』


 その炎の鳥は、丸々とした手の平体躯サイズの小鳥であった。



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