第88話 確証

「――――――――――」


 かつてここまで心地よい静寂を体験した者はいただろうか。

 セキとアドニスは目で意思疎通を図るように、横目で視線を交差させている。この静寂を破るべきは既に契約者である自分たちではない、とでも言うように。


「あ――の……水を差すようで悪いさね……精霊の卵は『貝』の形をしてるはずじゃ……?」


 確証を得る必要がある。キーマの気持ちはこの場の誰もが抱く気持ちだ。

 エディットが不用意にこんなことを告げる、ということを疑いたいのではない。だが、手放しで喜ぶためにはその確証が欲しいのだ。

 ここでぬか喜びを経験するとそのまま精選への熱どころか、探求士としての心が折れてしまう予感が誰の脳裏にも横切っていたからである。


南大陸バルバトスで見たことがある僕が保証しますよ。これは精霊の卵です。よく蕾を見てみるとわかりますが……それは花弁ではなく自然魔力ナトラの結晶です」


 確証を得る、という意味でここまでふさわしい種物じんぶつもいないであろう、業鬼種オグルの男は言葉にさえ、説得力という膂力を乗せた。


「うん。これが精霊の卵っていうのはおれも魔力を見れば一発で分かる。キーマさんの言う通り『貝』とかももちろんあるけど、ここは自然魔力ナトラを蓄える自然が豊富だからこういう形になったのかも?」


 アドニスの説明を受け手放しで喜ぶかと思いきや、全員の視線がセキへ向けられたため、念押しとばかりにセキは口を開いた。


「それにしても加護精霊って属性持ってないけど、卵の色ってなんか色々あるんだな……赤青緑はわかるけど、黄色とか土色とかってこれ明らかに複合属性だろ? 花の形の卵は初めて見たけど、植物は『土』に依存すると思ってたな……自然そのものみたいな感じで属性偏らないのかもなぁ……」


「僕も詳しいわけじゃないけど、加護精霊として形を成すためにはやっぱり自然界のいずれかの力が元になってるんだと思う。加護精霊に気に入られるっていうのはもしかしたら……加護精霊の元になった色と相性が良いっていうことも必要なのかもしれないね」


 セキとアドニスは確証を口にした後も、淡々と疑問を口にしているが、周りはすでに聞いていない。

 なぜならすでに聞きたい情報は二種ふたりの口から漏れているからだ。


「あ……ほんと……なんだ……ほんとに……本当にこれが精霊の卵なんだ――ッ!!」


 エステルが確かめるように口ずさんだ瞬間。

 その場に歓声と絶叫が沸き起こった。


 エステルは大事な徽杖バトンを放り投げる勢いで両手を挙げ。

 ルリーテが滅多に見せることのない大口で天を仰ぐ。

 エディットは数えることができないほどの卵を見渡し。

 ナディアは口元へ手を添えてご機嫌な声を高らかに響かせる。

 ドライは握りしめた拳と共に咆哮を挙げており。

 キーマは自身の中を駆け巡った充足感により、仰向けに倒れた。



◇◆

 セキとアドニスが地に腰を下ろしてぼんやりと眺める程度には熱狂が続いていたが、やがて息を切らしながら心の整理を終えた面々は、その場で精霊の誕生を待つこととなった。


「これ結果から見ると……表層から順番に自然魔力ナトラが満ちる?」


「――だろうね。だから深層の魔力が満ちた今、次がここということになるね。でもきみ、よくここの存在に気が付いたよね?」


「あ~ほら怪触蛸獣クラーケンが深層よりも下から来たって言ってたから。それに活発に動き出したのが深層で一斉誕生後だろ? あいつの目的は一番魔力濃度が濃くなるこのタイミングを狙ってたのかなって」


 セキとアドニスのやり取りにうんうんと頷きながら、一同は目を輝かせている。


「でも、言われてみれば深層の一斉誕生後にうろついて、とか、肩を落としながらの帰路で契約したって話もあったから……そういうひとたちは、ここから生まれた精霊たちと契約してたのかもしれない……もちろん上にもまだ未孵化の卵はそれなりにあるんだろうけど……」


 ドライが唇に手を当てながら辻褄合わせをしている様子だ。また最後の最後に巡ってきた好機チャンスであり、残すは最大の難関を突破するのみのため、最悪の事態を想定しないためにも何か考え事をしていたいのだろう、と気持ちは誰しもが過ぎっていた。


「まぁ……後は生まれた精霊に気に入られれば……だね。魔獣の気配も視線も感じないけど、ざっとこの周りを見ていないようならおれはまた崖の上で待機してるから……」


「セキ手伝うよ。それを終えたら僕もきみと一緒に上がってみんなの笑顔の報告を待つことにしよう。ここまで広ければ隅に縮こまってても良さそうだけど、万全を期してほしいからね」


 エステルたちが頭の中でずっと反芻していた最後の悩みをセキがさらっと口に出す。それは信頼している証でもあるが、言われた当種とうにんたちからしてみれば、息が詰まるほどの重圧プレッシャーである。

 アドニスもセキとは正反対の意味でこの場に留まることを良しとしないため、セキの言葉に腰を上げながら賛同を示していた。


「――あのセキさん。それならあたしも一緒に回っていいですか?」


「うん。もちろん構わないよ」


 セキを見るエディットの瞳は揺れていた。

 そしてセキは薄々気が付いていた事実と対面する覚悟を密かに決める。


「それじゃセキ……僕はここから大樹側全面を、きみは逆でいいかい?」


「ああ、すまん。それで頼む」


「じゃあ大丈夫だとは思うけどみんなも注意していて欲しいかな。誕生の時間もそんなに遠いわけじゃなさそうだから落ち着かないだろうけど……」


 そう言い残してアドニスは茂みの中へと姿を消していった。


「じゃあエステル。おれたちもちょっと回ってくるね」


「うん……気を付けてね……」


「それじゃエステルさんあたしも行ってきますっ! 誕生の瞬間はあたしも逃さないようにするのでっ!」


 エステルとルリーテもエディットの目的が分かっていたため止めることをせず、ぎこちない笑顔ではあるが、すんなりと見送ることを決めていた。


 セキとエディットが姿を消すとキーマがエステルへ訪ねる。


「あの……さ……合流した時からドタバタしてたから、機会がなかったけど……もしかして……さ……」


 キーマが口に出すことを躊躇うように俯いていた視線を遠慮がちにエステルへ向けた。


「はい……ダイフク――あ、チピは……わたしたちを守って亡くなりました……」



◇◆

 数時間が経過した時、セキとアドニスが索敵を終え合流していた。

 予想通りこの地に魔獣は一匹も生息しておらず、胸を撫で下ろしていた。

 合流した場所はエステルたちの居場所からは遠く離れており、鬱蒼とした森が途切れ芝のような植物が大地を覆っていた。


「おれは構わないけど、好機チャンスが減ることになっちゃうよ?」


「せめて僕はもう上にあがったほうが……」


 セキとアドニスが問いかけているのはエディットである。

 エディットは他の者の予想通りチピの墓の場所を探していたのだ。

 生まれた地に埋葬することも考えていたが、この幻想的とも言える空間を見た時、エディットの中でこの安らぎと静寂の中でゆっくり眠らせてあげたい、そう心が決まっていたのだ。


「いえ、いいんです。精霊さんたちだって生まれてすぐにどこか飛んで行ってしまうわけでもないので……だからチピに……精霊が誕生する一番綺麗な光景を見せてからこの地に埋めてあげたいんです……。アドニスさんにはこんな立派な墓標の岩を用意して頂いたので、チピの最後も見てあげてほしいです。ここならエステルさんたちのところの精霊さんも興味を持ったり怯えたりはないでしょうし」


 セキとアドニスは沈黙を以って同意を示す。できれば先の通り、上層に移動しておきたいところだが、理由が理由のため、ここで見守ることを決めていた。

そこに――


「我も一緒に弔ってやりたいの」


 チピの死以降、沈黙を保ってきたカグツチがチピの小袋から這い出てくる。


「――えっ……あっ……もちろんです! あの……」


「ああ。エディさん。それは大丈夫。セキと再会した時にを話し合ったからね」


 エディットにとって、言語を理解する精獣という認識のカグツチの登場。

 アドニスに対してどう説明するか戸惑うも、すでにセキから説明を受けている、と解釈したエディットは安堵の息を吐き出す。


「アドニス……だったかの。まぁ……が選ぶだけのことはあるの」


「あなたにそう言われるのは戦うという行為を行う全ての者にとって至福の金言でしょう……」


「堅っ苦しい言葉使いもいらんと思うがの~。我はセキの精霊というわけだからの」


「まぁ……それは追々……」


 少々エディットは理解が追い付かないやりとりを眺めることになるが、カグツチもアドニスも場を弁えたのかそれ以上はお互いを追求することを遠慮した様子だった。


「セキ。エディ。すまんの。我はすっかり他の者の脆弱さを忘れておった……」


「お前が謝る問題じゃない。側にいることができなかったおれの問題だろ……」


「いえ……二種ふたりとも違います……。チピは自分の意思で選択したんです。だから誰も間違っていないから謝るなんてしないでください……。だから……声を――声をかけるなら……褒めてあげてくだ……さい」


 川のせせらぎだけが支配する空間。

 白き小鳥への思いを胸にセキとカグツチは瞳を閉じていた。

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