第187話 休息日のエステル その13

「――良かったのですか?」


 レルヴ南東の平原を一つの影が疾走していた。

 

「果実のことですか? それともユエリのことですか……?」


「素直に聞かせて頂けるなら両方……ですね」


 エステルとイースレス。

 二種ふたりは三日間を幻域種ティティスの里で過ごした後、夜通し走り詰め現在の帰路に至っていた。

 エステルは思いがけない質問の仕方に、くすり、と笑う。


「白霧病のことは……もちろんいつか完治させたいと思っています……でも……」


 イースレスに体を預け、温かな風に髪をなびかせながらエステルは答えを返す。


「まだまだ弱いわたしが口にするのも……って思ってて、仲間にも言ってないんですけど……『今のままのわたしでも通用するんだ!』って証明したいんです」


 熱のこもった言葉に思わず振り向いたイースレス。

 その意味を理解できるよう噛み砕くにはまだ付き合いが浅いことを痛感した。


「完治はしていないけど……幼い頃、お父さんが命懸けで白霧病の特効薬と言われている薬を手に入れてくれたんです。それを飲んだから今のわたしがあります」


 壮大な景色をその瞳に映しながらエステルは呟くように、だが力強い声で紡いだ。


「お母さん……だけじゃなくてパーティの仲間もわたしの完治を望んでくれていることは解っています。きっとお父さんも……」


 紡がれた言葉にイースレスは無言で前に向き直す。

 心なしか振り返る前よりも、より勇ましい顔付きと共に。


「それに仲間の誰かが見つけて権利を譲ってくれたなら素直に受け取れたのかもしれません……今回のことで、自分を後回しにしてしまうことでお母さんやパーティのみんなに悲しい思いをさせてしまうことになると思います……それに……ユエリとの出会いがなければ……たしかに素直に食べていたとも思います」


 イースレスの首に回していた腕に力が入る。

 意図したことではなく、エステルの心境が自然と現れた結果なのだろう。


「でも……譲った結果、ユエリのお母さんだけじゃなくてユエリにもユエリのお父さんにも笑顔が戻ったことがうれしいんです……それに――完治したくないみたいに伝わったら嫌ですけど……ほんと言うと悔しいんです」


 本題へ入る空気感がひしひしとイースレスに伝わってくる。

 言葉に乗せることが初めてだと――

 ずっと心にしまい込んでいた気持ちだと――

 そんな大切な告白を自分だけが聞いてしまうことに引け目を感じるほどに。


「――完治していなくたって……お父さんが手に入れてくれた薬のおかげで……今のわたしのままだって自由に冒険できるんだ――って証明したいんです」


 ぽつり――と。

 自身の無さから来る囁きではなかった。

 心に決めているからこそ。

 エステルの心の土台としているからこそ。

 ――声を張り上げて叫ぶ必要がなかったのだ。


「『命と引き換えに手に入れた特効薬でも、完治できなかった』……そうじゃない! って言いたいんです――。『完治はしなかったけど命を落とすことがなかった』……それだけじゃないぞ! って――お父さんのおかげでわたしは……――だって憧れた冒険を存分に楽しめるんだぞ! ――って天国のお父さんに見せたいんです――ッ! お父さんが命と引き換えに手に入れてくれたわたしの未来を……同じようにわたしも命懸けで歩んでやるんだ! って……」


 確かな気持ちを綴るエステルの口から漏れる吐息が、イースレスの耳を微かに撫でていく。

 エステルが家族に向ける愛情。

 それは、エステル自身がどれだけ家族に愛されていたかを物語っていた。


 エステルの父親が生きていれば完治しなかったことを悔やむのだろう、そうイースレスは考えた。

 だが、エステルは十分なのだ、と――

 エステル自身が憧れた冒険を叶えることができるんだ、と――


「不要な危険リスクだと……ひとは言うかもしれませんね。ですが……」


 イースレスはそれ以上、言葉を紡ぐことをしなかった。


「意地を張ってる所もあると思います……だからこの意地は仲間のみんなにもちゃんと話したいなって思ってます。危険リスクを背負ったまま……ということは変わらないので」


 イースレスの視界が滲む。

 決して悟られぬよう速度をあげながら必死に喉を震わせた。


 胸から込み上げた雫が風に舞い。その事にエステルが気が付いたかどうかは定かではない。

 イースレスはエステルの気持ちの強さに呼応するよう疾走を奏でるだけだった。


 しかし……一点だけ懸念が頭をぎる。

 『特効薬』という薬を少なくともイースレスは聞いたことがない。

 現在も白霧病の感染者キャリアは少なからずいる。

 そして原因不明の病であるが、近年は肉体の消失まで症状が進む者はほとんどいない。

 薬が効いたのか、たまたま近年の症状になったのか。

 そして薬とはどのような薬だったのか……気にならないと言えば嘘になる程度には脳裏に刻まれていた。


 だが……ここで全ての情報ピースを揃えることは不可能である。という決断を下し、それ以上にこの気持ちに水を差す可能性のある言葉を紡ぐような行為をイースレス自身が嫌悪していた。

 だからこそ、追求の必要性を除外した。


「あはっ。パーティの仲間にわざわざ言うのは照れくさいのもありますけど……。それとユエリのことは当然です!」


「ふふっ……あの驚愕の表情はお金コバルを払ってでも見る価値があったと思いますよ。『牙が欲しいなんて思ってないよ。わたしは仲間が欲しいから!』とは……――ふふっ」


 イースレスに見られる心配はない、と頬に紅を差すエステル。

 そんな中でさらにイースレスは当時を振り返り肩を揺らしていた。


「昔似たようなことを言われたことがあるんです。その時も同じように返事をして……――そしてわたしは間違っていなかったって……素直に思えているので……」


 決して忘れることはない幼き頃の思い出。

 エステルが探求士を目指すきっかけの出来事だ。


「エステル様の行動に胸を打たれる方が多い、という事ですね。その後も、不謹慎ながらこちらとしては楽しませて頂きましたが」


「あ~っイースレスさん意地悪ですね~……でも当然のことだと思ってます。すぐに一緒に来てくれるって意気込みはうれしかったですけど……まずはお母さんがしっかり治るまでは付いていてあげるべきだ――って」


 近年では里から街に出る者も少なくない以上、ユエリもいずれ出るつもりであったことを後に聞いていた。

 だが、母親の容態が回復に向かっているとはいえ、恩を返すにせよ、自身の目的で旅に出るにせよ、今ではない、とエステルに諭された結果、ユエリは里に残ったのだ。


「母が回復した後、必ずきみの仲間として力になる」――そう告げて。


 万全を期したはずの休息日。

 結果として四日経った今も書庫の『し』の字もかすらないほどの日々だ。

 だが、読書に没頭し知的好奇心を満たす以上の出会いであったことは、改めて考えるまでもない。


 徐々に輪郭を現すレルヴの街は夜光石の明かりに照らされ、エステルの帰宅を祝福するように光輝いていた。

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