第232話 思い出の日 その3
「ごめん……じゃなくてありがとう……いつまでも不貞腐れてばかりじゃいられないって……――奮起することできそう。でも……」
両手で顔を覆いながらエステルが告げた。
立ち上がる力は自分の内から振り絞るものであり、セキはきっかけを与えたに過ぎない。
恐る恐るセキへ向き直したエステルだが、視線を合わせることに戸惑ってもいる。
「セキはそれだけ強いのに……わたしたちのために尽くし過ぎなんじゃないかって……」
落ち着きなく泳ぐ瞳。
心境をあらわしているように、口を結んでは渇いた唇を舌がなぞっている。
「わたしなんかより、もっと強い
エステル自身の力とは別の視点から切り出した疑問だ。
無意識に握られた拳は微弱に揺れ、幾度も喉の渇きを潤すように唾液を喉へ流す音が耳に届く。
素直に心情を口にする、ということ事態はセキにとってもありがたい流れではあるが、
「セキはそんな気持ちを押し殺して、わたしたちの保護者に徹してるんじゃないの……?」
「おぉ……めちゃくちゃショックだな~……まだ数カ月だけどさ……おれがそんなにつまらなそうに見えた……?」
自分を殺すどころか、全面的に押し出していたつもりである以上、驚愕の色で表情を彩り、狼狽する姿を曝け出すのも無理はない。
「そ――そういうつもりじゃなかったんだけど……」
「強いやつ――ってか、同じ力量のやつと共に戦い抜くことで得られるものはたしかにあるし、軽く見る気はないけど……大事なのは誰とどんな冒険をしたいか――だからね」
強さを否定する気はない。
この世界が弱肉強食を
だが、『強さ』とは相手を倒すことを目的とするものだけではないことも事実だ。
物作りに始まる技能。
生き抜くための知恵。
様々な強さがあることをセキは知っている。
そして、未知に挑む冒険は、『戦うための強さ』だけで乗り切れるほど、甘くはないことをセキが理解しているからこその言葉だ。
「う……ん……違う……――うんっ! いじけて……わたしたちとの冒険を真剣に考えてくれてるセキに失礼なこと言ったってわかった……だから今の言葉は――ごめんなさい」
「ははっ。じゃあそのごめんなさいは素直に受け取るよ! まぁ……すごい危機だから強いやつらで一時的に手を組む、とかならまだ分かるけど……――それとね……もう前を向けたから余計かもだけど……」
と、前置きした上でセキは続けた。
「わたし『なんか』――みたいな考え方をやめよう?」
口を開けたまま固まるエステル。
セキに言われたことをよくよく噛み砕いている様子だ。
「誰もが誰かの大切な
思わずそう告げようとも思ったが、居心地の良い雰囲気に泥を撒くような行為で台無しにする必要はない、とセキは思いとどまっていた。
「うん……ありがと。自分を粗末に扱ってるつもりはなかったんだけど……」
真っ直ぐに目を見て、受け答えを行う少女。
そんないつもの姿を見て、気が付かれないように安堵の吐息を吐き出すセキの姿があった。
「まぁそれでもグレイの件とか、千幻樹の件を聞くとエステルは自分の安全は後回しにしちゃうんだろうなぁ~って思う」
「うっ……そこは……」
上がっていた顔が、またもや俯き加減に。
そんな少女の姿にセキは瞼を下ろし、頬を緩めた。
「ううん。いいんだ……そこを否定するつもりなんてない。相談してほしい時もある……けど、状況がいつも許してくれるわけじゃないしね」
(グレイはともかく……その男の
エステルにとって想定外だったのか、目を見開きながら顔を上げた。
「だからエステルが危ないことに首をつっこむとしても、その時は……おれも一緒に――が理想かな。……エステルが誰かのために動くように、おれも――ね。ルリやエディもそうすると思うよ?」
章術士にとって特別な存在である『
仲間という表現を使わずに
だが、彼女にその意味を教える必要はない。
その事実がセキの心を優しい温もりで包み込んでいた。
「色んな
あの姿を否定できる権利を持つのはエディットだけだ、と。
「ジャワさんのこと聞いたら……過ごした時間だけじゃなくて、その時の心の声が大事だってことも痛いくらいに理解できた」
出会ったばかりの
恨み言の一つどころか、希望を託す言葉を遺した男は、聞き及んだだけのセキでさえ名を忘れることはないだろう。
「そして……姉さんも……。それを気が付かせてくれたのは――」
セキがちらりとエステルを見ると弱々しく伏せた瞳はもう過去のもの。
澄んだ瞳がセキの顔を写し込んでいた。
「それに……
「――あはっ……あははっ! うん……わかった! でも……――すぐに……なんて言えないけど絶対に諦めないから――ッ!」
だからセキもわたしを頼ってほしい――と。
セキが安心して背中を預ける日を実現させる――と。
エステルが力強く震わせた喉を通ることはなかった言葉は、信念として、彼女の胸に居場所を見つけていた。
途方もない道のりとなるだろう。
現状では辿り着けない可能性のほうが高いと言っても大袈裟ではない。
それでも
福音にも似た笑い声が、草原に染み込むように響いた。
「
「ううん――わたしのほうこそ、追いかけて来てくれて……ありがと……。えと……それで……ルリたちにも……ちゃんと謝らなきゃ……」
赤い目を擦りながらエステルが腰を上げた。
セキも釣られて立ち上がり、労い代わりに頭を撫でる。
「何か……今回なら力不足かな? そういうものを痛感した時って、急に自分の足元が揺れちゃうんだよね」
少女は浅く頷くと、
「そうだね……誰かの言葉を借りるなら……進んできた道が色褪せちゃうってところかな」
「色なんて……付いてなかったのかもしれないって考えちゃうな……」
またもや後ろに向いてしまいそうな発言ではあるが、先程までの悲壮感はすでにない。
「ははっ! その答えは良くないな~。それならおれは『これから何にでもなれる』って言えちゃうよ?」
エステルは最初にセキが告げていた言葉
セキは自問自答を積み重ねてきただけ、自分なりの答えを胸に秘めている、と。
言葉だけで状況が変わることはない。
言葉で変わるのは心境だ。
誰かの正解が自分にとっても正解とは限らない。
だからきっとセキは今、自分のために言葉を紡いでくれているんだろう。
そんな気持ちが心の篝火に薪を焚べたように、一層の温もりを覚える。
「誰もがね。望む色があるんだと思う。でも……生まれ持った色は望む色とは違ったりするんだよね」
微かに葛藤が見えたことはエステルだけの秘密だ。
セキも自分と同じように――
それでもセキは挫けず己を奮い立たせ歩み続けている――と。
「だから……少しずつでも経験という色を混ぜて自分だけの色を作っていくんだと思う」
自分だけの色。
心の棘で穿たれた穴が不思議と満たされ、塞がっていく。
そんな感覚を覚えた。
「
誰かの真似ではない。
自分が決め、手を伸ばし、色を作る。
無限に広がる感覚は、浮遊感さえ伴い思わず足元がふらついた。
「うん。そうだね……みんな自分の
色に濃淡はあれど、強弱などないのだ。
中心となる色だけではない。際立たせるための色だってある。アクセントに使う色だって忘れてはいけない。
「エステルだって……――エステルだけにしか出せない色を持ってる。それだけは忘れないでね」
期間契約最終日として思い出に残る日となるはずだった。
下手すれば思い出すことさえ憚られるような日になった可能性すらも。
だが、打ちのめされたはずの今日は、忘れられない思い出の日となるだろう。
エステルは、セキが向けた少年のような無垢な微笑みを生涯忘れることはないのだから。
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