第8話 昇級クエストその2

「夜光石の光がありがたいね。でも、そろそろ探索は打ち切って野宿にしようと思ってるんだけど……いいかな?」


 ふたりが巣穴があるとされる丘に着いた時、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 道中では特に魔獣に遭遇することもなく進むことができたが、数回の小休止を挟んでいたこともあり、到着予定が大幅に遅れてしまったためだ。


「そうですね。この中で巣穴の入口を探して魔獣と遭遇するのも得策ではありません。今日はあそこの大きな岩付近で野宿することにしましょう」


 ルリーテがそういって指で示した先には二十MRマテルほどの巨大な岩が鎮座していた。

 近くで見ると、ところどころ岩の根元付近が抉れて窪みになっているため、ふたりはその窪みに寝床の布を敷き、別の窪みに、拾ってきた枯れ枝をたきぎとして配置する。


「なんだかこういう野宿の準備ってドキドキするね……」


 エステルは不安よりも好奇心が勝っているような表情をしている。

 うきうきしているのか帽子を脱ぎ捨てたと同時に軽快な動きで追加で入れるための枯れ枝を拾いに走り出していた。

 燃えやすそうな枯れ木を拾っては小脇に抱え、子供のようにあっちこっちに動いては窪みに持ち込んでいく様を寝床を準備していたルリーテは眺めていた。


「そうですね……ちょっと新鮮な気分です」


 夜光石の光を放つ光星を見上げながら同意の声を上げるルリーテ。

 エステルと同じ気持ちなことに偽りはない。

 だからこそ、この気持ちを持つ自分にルリーテは少し戸惑っていた。

 エステルたちに出会うまで、暗闇での野宿はルリーテにとって恐怖以外の何者でもなかった。

 ――誰に見つかるかわからない。

 ――今体を休めているこの時も狙われているのかもしれない。

 ――起きたらまたあの『箱』の中にいるのかもしれない。

 ――そうでなくとも……魔獣に襲われたら自分にはなす術がない。

 あの頃のルリーテに安息という言葉はどこか遠いお伽噺にさえ聞こえる響きを奏でていた。

 そんな自分が暗闇の中でもここまで心にゆとりを持てるとは思ってもいないことだった。

 ルリーテ自身が戦えるようになったということもたしかにある。

 だが、それだけでは説明が付けられない。だとすれば、あの美しい白髪を揺らす少女がルリーテに取ってかけがえのない大事な存在であり安息という言葉そのものなのだ、そう自覚する。

 その少女は暗闇の中、夜光石の光に包まれ同じ女であるルリーテから見てもどこか儚く、どこか遠く、どこか幻想的なあでやかさを纏っていた――


たきぎはこれくらいでいいかな……?」

「え……あ、そ、そうですね。それでは火を付けましょう」


 集めた枯れ枝を折り、窪みにくべているエステル。

 少しの間、エステルを眺めていたルリーテも我に返るとたきぎに近寄り持っていた魔具で火を付ける。

 付けられた火は音を立てながらじょじょに枯れ木に燃え移りふたりの顔を照らし出す。


「明日は明るくなってくる頃には動きだしたいからあんまり夜更かしはできないね~」

「ええ……明日には備える必要はありますが、これからきっとこのような楽しさはたくさん見つかると思いますよ?」


 少し残念そうに呟いたエステルの気持ちを察したように焚き火を眺めていたルリーテはエステルに顔を向ける。

 その言葉に子供のように顔を綻ばせるエステル。


「――うん! そうだね……これからが冒険なんだもんね! よ~し、明日は絶対成功させるぞ~……!」

「はい! 精選に向けた良い足掛かりにしましょう……! それと……こちらを食べましょう」


 ルリーテがエステルの言葉を受けながら、昼間に購入していた食料を取り出し手渡す。

 巣穴を確認しておくことはできなかったが暗闇の静寂の中で火を囲み食事を取ることで、ふたりの心は昼間の焦燥感から解放され落ち着きを取り戻していった。

 今の時期の中央大陸ミンドールは夜になると大地から昼間の日光石の熱も抜け、頬を撫でる風も涼やかで心地よい。

 大きな岩に背を預けることによって背後の不安も解消されている。

 初めての野宿をするふたりにとっては好条件が揃っていることもあり、ふたりは焚き火が燃え尽きる頃には穏やかな寝息を立てていた――


◇◆

 翌朝ふたりは光が地表に届き始める頃に起床する。

 まだ気温も上がり切らない早朝の清涼な空気を胸いっぱいに吸い込むと自然と意識もはっきりとしてくるものだ。

 水を保存ストックしている魔具を取り出すと手持ちの小さめの布を濡らし顔と体を軽く拭くと早めの朝食を食べる。

 普段以上に素早くこなしたふたりは寝床に使用した布を片付けて出発の準備を整えていた。


「丘って言ってたからきっと、あそこらへんのどこかに入口があるんだよね?」


 片付けを終えたエステルが視界の先にうっすらと見える隆起した丘を指で示す。


「そうだと思います。もう視野に入っていることですし、昨日よりも慎重に進みましょう……」


 ふたりは気を引き締めるとそれぞれ手に持っていた武器を握り直し丘を目指し始めた。

 今回は今までのクエストと異なり目的は『討伐』ではなく『採取』である。

 極端な話をすれば目的の卵がそこに落ちているならその卵を拾って帰ってもクエストは完了となるわけだ。

 だが、そんな都合よく地表に卵が転がっていることなどないということはふたりは認識しており、いかに巣穴の深部にあるであろう卵を取りに行くか、歩きながら思考を巡らせていた。

 そんな時、ふたりが歩く草原の横の茂みから音が聞こえてくる。

 明らかに何かが移動している音だ。

 

 ルリーテはエステルに向け自分の唇に一本指を立てて頷く。それはルリーテ自身が確認するため静かにしていてほしいという合図である。

 その音は途切れることなく聞こえてきていたが、じょじょに遠ざかっていくように音が小さくなっている。

 ルリーテは極力音を立てぬよう素早く茂みの切れ目に体を滑り込ませ、音の正体を確認するべく茂みの向こうへと顔をそっと出す。

 そこには今回の目的である卵の持ち主『巨蟻ジャイアントアント』が歩いていた。


「いた……もうこの一帯もやつらの狩場ということなの……?」


 ルリーテは背後に伸ばした手の指で丸印を作る。

 後ろから見ているエステルへ目標を発見したことを伝えるためだ。

 その後ろ手の信号サインに気が付いたエステルは無言で杖を握りしめルリーテの背後に駆け寄る。


「まだ丘までは距離があるのに……むしろ昨日遅くついて、近場まで行けなかったのは運がよかったのかもしれないね」


 ルリーテの返事を期待していたわけではないが、エステルは背後から力を込めないよう小声で呟きつつルリーテの肩口から巨蟻ジャイアントアントの姿を確認する。


「はい……暗くなってから近寄っていたら魔獣の索敵に引っかかっていたかもしれません……運も味方しているようです。このまま巣穴まで案内してもらいましょう……」


 巨蟻ジャイアントアントから目を放すことなく茂みから茂みへと移動を繰り返す。

 魔獣である巨蟻ジャイアントアントの行動は敵を認識していない今、えさとなる物を探しだし巣穴まで運んでいくことが優先される。

 巨蟻ジャイアントアントはその大顎を時折カチカチと鳴らしながらえさを探しうろついてる固体であることがわかる。

 ルリーテが固体から目を放さぬよう追跡する中、エステルは他の固体に見つからないよう確認するため周囲を警戒する役目を請け負っている。

 追跡を続けるうちに茂みというよりもすでに森と言ってよいほど木々が生い茂る中に足を踏み入れていくことになっていた。

 足が踏み鳴らしてしまう木や枯れ葉の音で気がつかれないよう一定の距離を保ちつつ追跡していく中、先に気が付いたのはエステルだった――


「――え?」


 思わず声が漏れる。

 その声に違和感を感じたルリーテが巨蟻ジャイアントアントから視線を先に向ける――

 そこには木の実を採取する幼い少女の姿があった。

 少女はこちらに背中を向けてしゃがみながら採取をしており魔獣にもエステルたちにも気が付いていない。

 その瞬間、少女に気がついた巨蟻ジャイアントアントが歓喜からか禍々しい声を漏らし少女エサに向かって勢いよく突き進む。


『ギッ……ギギィィッ………!!』


 その声で少女が振り向いた時巨蟻ジャイアントアントの大顎は少女のその小さな胴体に食らいつく寸前だった。


「え? あ――」

 

 少女は状況を把握することができず、ただ茫然と自身を食いちぎるであろう大顎を眺めている。

 

「――〈星之観測メルゲイズ〉――〈引月ルナベル〉!!」


 次の瞬間、襲い掛かろうとした巨蟻ジャイアントアントの体が真後ろへと引きずられていく――


弓の下位風魔術アルクス・カルス!!」


 少女から引きはがした巨蟻ジャイアントアントが叫ぶ間も与えぬ連携で頭部を抉りぬく。


「――怪我はない?」


 倒すと同時に駆け寄るエステルとそれに続くルリーテ。

 少女は目の前で起きたことを理解していないようだが、尻もちをついたままの小さな体は小刻みに震えていた。


「もう大丈夫だから……もう魔獣はやっつけたからね」


 エステルが震える少女を抱きしめそのままゆっくりと持ち上げる。

 少女はエステルの胸元を奮える手に温もりを分け与えるようぎゅっと握りしめる。

 じょじょに先ほどの状況を理解し恐怖が染み出してきていることが見てとれる。


「あ……あ……わ、わたし……ただ……木の実を取りに……」


 エステルにしがみつきながら震える声で説明をしようとする少女。

 背中を撫でながら、大丈夫、と声を掛けるエステル。

 首元に頭を埋める少女にルリーテも安心させるよう笑顔を作り少女を見つめている。


「お名前は言える……? ここにはひとりできたのかな……?」


 背中を撫で続けながら状況を把握すべく少女にそっと語り掛ける。

 エステルの温もりとルリーテの笑顔に安堵を覚えたのか、震えがじょじょに収まりつつある少女が呼吸を整える。


「な、名前……チロ……いつも……パイに乗せる木の実をここに取りに……ひとりで……」

「うんうん……どこの村からきたのかな?」


 途切れ途切れの声で答えるチロに急かさないようゆったりとした口調で質問するエステル。

 ルリーテも大丈夫だから、と声をかけながら優しい手つきで頭を撫でている。


「村じゃなくて……あっちの森を抜けたとこに……パパとママと住んでる……」


 その言葉を聞いたふたりは表情が固まる。

 基本的にどの大陸でも村や町に集まり暮らしているがそうでない者も多々存在する。

 理由は多岐に渡り、たんに村や町等の寄り合いを好まない者、鍛冶や薬草の材料等を採取する上で都合の良い場所に住みたい者、広大な畑を管理するために開けた土地に住む者等、様々だ。


「えっと、そしたらお家まで案内してもらってもいいかな……? ここらへんは危ないからパパとママにも教えてあげないとね……?」


 焦る気持ちを必死に抑えるエステル。

 ルリーテも少女チロに表情を見られないようにしているが先ほどまでの笑顔が崩れている。

 子供の足でこれる範囲に家がある。

 その範囲内に巨蟻ジャイアントアントが侵入してきたということが、どういうことなのか。

 ふたりは首元に冷たい汗が伝うことを実感する。


「……うん……あっちのほう……」


 少女チロが指差したのは方角で言えば東にあたる。

 ここからさらに南だった場合、致命的かと思っていたふたりが少しだけ安堵の色を浮かばせる。


「うんうん、それじゃお姉ちゃんたちと一緒にいこうね……?」


 エステルの言葉に頷くチロを抱きかかえながら、急ぎ過ぎず、だがゆっくりすぎることもないようふたりは東のチロの家を目指し森を進んでいった。

 しばらく、というほどでもない距離を歩くとしだいに木々が減り茂みの高さも膝下ほどの位置になってくる。

 周囲の見晴らしがよくなったというところで一軒の小屋が視界に入ってくる。


「あれ……」


 少女チロがその小屋を指差す。

 思っていた以上に近い、そう感じたふたりは足早に小屋に近づく。

 だが、幸いにも魔獣の足跡や外壁が攻撃がされた形跡がないことで仮初の安堵がふたりに訪れていた。

 下ろしてもらったチロはそのふたりをしり目に扉を元気よく開き中へと歩を進めていった――

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