第9話 昇級クエストその3

「あら……早かったのね~って、手ぶらじゃない? 何かあったの……?」


 中から女性の声が聞こえる。

 幸いと言っていいのか、今の状況に気がついていないということはここまで巨蟻ジャイアントアントはたどり着いていないということだ。

 武器を握りしめていた手の力が緩みふたりは顔を見合わせると少女チロの後に続き小屋の扉をくぐろうと足を向ける。


「お姉ちゃんたちが……助けてくれた……」


 中で話すチロが女性にエステルとルリーテのことを口にすると、ふいに開けっ放しの扉から長い金色の髪をなびかせた美しい女性が顔を覗かせる。

 見た目の年齢は二十台前半と言ったところだろうか、若々しくとても子供がいるようには見えない。

 端正な顔立ちの横に髪からはみ出ている尖った耳。

 『受精種エルフ』である。

 厳密に言えば受精種エルフの中でも種族分けがされているが、他種族から見た場合特定の受精種エルフ以外は初見でそこまでの違いを感じ取れることは少ない。


「あっ……えっとうちのチロがお世話に……?」


 チロの言葉足らずの説明から状況を考えているようだが、さすがに無理がある。

 ルリーテは一歩前に出ると先ほどまでの状況を説明しようとするも先に女性に家の中へと促され、通してもらうこととなった。

 家の中は暖炉が備え付けてありその前で食事を取れるよう木角卓テーブルが配置されている。

 暖炉の横には台所キッチンがあり調理中の食材が置いてあり食事の支度をしていたことが伺える。

 暖炉前に通されるとふたりは木角卓テーブルにつき、そこで改めて自己紹介と女性に先ほどの状況の説明、そしてチロたちの生活状況を確認することとなった。


「そういうことだったんですね……ほんとにありがとうございます。もっと南のほうで巣穴が確認されたことは知っていたのですが、まさかここまで範囲を広げているなんて……」


 チロの母親であるこの女性は『モコナ』、夫である『クヌガ』という適受種ヒューマンとチロでこの地で暮らしているということだった。


「あの……それでクヌガさんは今、どこに……? できれば一度討伐が完了するまでこの家を離れたほうがいいかと思って……」


 エステルは訪ねてきた事情をモコナに説明すると同時に夫の所在を確認する。

 日中のため仕事等で家を空けることは珍しいことではない、だからこそなおさらどこに行っているのかが重要になってくるのだ。


「ええ、その通りね……ありがとう。夫は漁をしに、ここから東の海岸へ行っているわ、朝出て行ったばかりだから……」

「それなら……荷物をまとめてください。わたしたちもご一緒しますので、クヌガさんのいる海岸に向かってそのまま避難しましょう」


 モコナの答えにエステルは迷うことなく一家の避難を提案する。

 自身たちのクエストを軽く見ているわけではなく、今自分たちが為すべきことを優先しているだけである。

 もちろんその言葉にルリーテも異論なく、隣で黙って頷いていた。


「感謝するわ……ありがとう……それならすぐに支度を整えるようにします。少しだけ時間をちょうだい……!」


 ふたりの真剣な思いに感謝をしつつモコナは席を立つと寝室に入り荷物をまとめ始める。

 チロもそれについて行き、自分の荷物を小さな背嚢リュックにしまっていた。


「……エステル様、わたしは外に出て魔獣を警戒をしておきます。準備ができたら声を掛けてください」


 ルリーテの言葉にエステルが返事をするとルリーテは足早で外へ出るなり小屋の屋根に向かって跳躍する、が屋根に飛び乗ることはできず両手で屋根の縁に捕まり、そのまま力を入れて屋根の上へと上がる。

 幸い小屋の周辺は木々の丈も低く見通しが良い。

 今、警戒しておくべきは西から南にかけて、巨蟻ジャイアントアントがくるとすればそちらからだろう、そうルリーテは考えていた。

 ――結果、その予想は当たっていた。

 だが、思ってもいなかったのはその数だった。

 明確な意思でこちらに向かっているというわけではないが、五匹の巨蟻ジャイアントアントが茂みから現れ徘徊している姿が目に飛び込んでくる。


「どうして……? ここだって今日までは安全だったのになんでいきなり五匹も……?」


 疑問が頭の中を駆け巡る中ルリーテはその疑問の答えを探すことはせず気持ちを切り替える。

 たしかになぜここに集まってきているのかも大事なことではあるが、それ以上に大事なことは避難を終えるまでこの小屋に近寄らせないことだ。


「――弓の下位風魔術アルクス・カルス


 そう考えたルリーテは詩で強化した弓を構え、足場の不安定な小屋の上から目的が見えぬまま徘徊する巨蟻ジャイアントアント目掛けて矢を放った――

 一匹の巨蟻ジャイアントアントの胸部を撃ち抜いたことを確認すると続けて詩を詠む。


「……弓の下位風魔術アルクス・カルス


 一匹ずつ確実に矢で葬り去っていくルリーテ。

 五匹の巨蟻ジャイアントアントを全て一射で仕留めると、そこで深く息を吐いた。


「ふぅ……ここも長くは持たないかも……でもエステル様が迷わず避難を提案してくれたおかげでなんとか――」


 仕留めた巨蟻ジャイアントアントを遠目で眺めながら呟くルリーテの言葉が止まる。

 その目が捉えたのは死体のさらに奥、茂みにいた三匹の巨蟻ジャイアントアントだった。

 巨蟻ジャイアントアント東大陸ヒュートにも生息しているが、エステルとルリーテは直接的な討伐を行った経験はなかった。

 そもそも討伐だけであれば気が付くことがないかもしれない巨蟻ジャイアントアントの特性。

 それは仲間がやられるとそこから溢れる体液の匂いに反応し周囲の固体が集まってくるというものである。

 そもそもは仲間の仇打ちというわけでもなく仲間がやられたということは、そこにはエサにできる何かがいる可能性が高い、という極めて単純な特性であった。

 この習性を巨蟻ジャイアントアントの駆除に利用し罠を仕掛けて一網打尽にする探求士も存在するがふたりはこの習性を認識していなかったため、当然このような発想が浮かぶことはなかった。


「何かおかしい……」


 ルリーテは屋根から飛び降りると小屋の扉を開け、大きな背嚢リュックに荷物を詰めるエステルたちに事実を伝える。


「南西方面の茂みから先ほどは五匹、それは仕留めましたがさらに三匹確認しました……このままだと数はさらに増えるように思います。あとどれくらいで出発できそうですか?」

「もうこれを詰め込めば出発できるわ!」


 ルリーテの言葉に母親モコナが返事をすると詰め込み終えた荷物を背負いチロを両手で抱きかかえる。


「モコナさんは先に行ってください! わたしたちも後から追いかけるので!」


 エステルはモコナに伝えると扉から飛び出るなり詩を詠む。


「――〈一星観測リーメルゲイズ〉!!」


 その詩と共に出現する『プラネ』。

 エステルは徽杖バトンを大地に突き刺したまま南西の茂みを凝視している。

 すると、茂みからルリーテの言葉より一匹増え四匹の巨蟻ジャイアントアントが姿を現した。


「なんで集まってくるのか知らないけど……好き勝手させるもんか! お願いプラネ!」


 エステルが左手を巨蟻ジャイアントアントに向けるとプラネが導かれるように飛んでいく。

 四匹もその球体を認識したのか、大顎を開き威嚇行動をとったその時――


「――〈星之煌きメルケルン〉!」


 エステルの詩に合わせてプラネの周囲に魔力が渦巻く――

 魔力の渦が、うねりを見せたと同時に爆発を起こし周囲の巨蟻ジャイアントアントを爆風で吹き飛ばす。

 『〈星之煌きメルケルン〉』、一星で行使することが可能となる徽章術の一つ。

 星の周囲に魔力渦を発生させ、その魔力が臨界点を超える際に起こる爆発現象を利用した攻撃魔術である。

 爆発の規模は術者の魔力に比例し現在のエステルはプラネを中心に三MRマテルほどの規模の爆発を発生させることができる。

 この爆発は敵・味方関係なく巻き込むため混戦時の使用はパーティ間の意思疎通が重要となる。


「ルリ! 二匹は仕留められたはず、残りの二匹をお願い!」

「はい、任せてください! ――〈弓の下位風魔術アルクス・カルス〉!」


 生き残った二匹も爆風で足がもげ、胴体に爆風に巻き込んだ石がめり込む等しており、動きが鈍くなっている。

 そこにルリーテが冷静に詩で強化した矢を打ち込むと二匹も絶命することとなった。


「後ろはわたしが守る! ルリ、前のモコナさんの護衛を!」

「はい! エステル様もお気を付けて!」


 機動力に優れるルリーテにモコナの護衛を任せエステルは自身で食い止める決意を固めた。

 ルリーテはエステルの言葉を受けモコナの向かった東へ地を蹴り疾走していく。

 エステルはその間も南西の茂みから目を放すことはせず、呼吸を整えながら相手の出方を探っていた。

 ここで一度落ち着くならばエステル自身もルリーテたちの後を追うことが可能な状況ではある、

 ――が、その考えを嘲笑うかのように、三匹の巨蟻ジャイアントアントが茂みの中から姿を現した。


 エステルの言葉に従いモコナを追うルリーテ。

 幸いなことにどちらも魔獣の襲撃を受けることなく合流することができ、共に東へ向かって走り出していた。


「ここらへんの道は結構探求士の方たちも使う道だから、魔獣も掃討されてるの」


 小走りで駆けながらルリーテに地形の説明を行うモコナ。

 たしかにあの家から漁によく向かっている以上、安全な道のりとなっていなければ仕事どころではない。

 残してきたエステルが気掛かりだがモコナとチロの安全を任された以上、その期待を裏切ることはできない。

 ルリーテは後ろを振り返ることなく、東へとその足を進めていた――



「こんのぉぉぉーーーーー!! 〈下位風魔術カルス〉!!」


 エステルは三匹の巨蟻ジャイアントアントを一進一退の攻防の末、討伐に成功。その後ルリーテたちの後を追うもさらに追撃の巨蟻ジャイアントアントが五匹出現し対応に迫られていた。

 まとまっていれば『〈星之煌きメルケルン〉』で致命傷を負わせることが可能だが女王個体が近場に存在しない以上、統率ましてや連携など考えることなく巨蟻ジャイアントアントたちは自由にうごめきながらエステルとの距離を詰めてくる。

 一歩、また一歩と後退しながら距離を取りつつ応戦するエステル。

 章術士は魔術支援を主とする以上、近接戦闘は不得手である。

 剣術や棒術に優れた章術士もたしかに存在するが、現状のエステルの戦闘手段では相手と距離が取れないと自身を守る術が限られてしまう。

 二星であれば片方の星を防御に、もう片方の星を攻撃に回す等さらに戦闘のバリエーションも増やすことが可能であるが、今ないものねだりをしてもしょうがない、ということはエステルも自覚していた。


「うぅぅぅ……サテラで引き寄せても逆に困っちゃうし……小屋の中から壁を挟んで引き寄せてればよかったかな……ううん、わたしの魔力じゃ二匹しか……」


 下がりながら自身の手札で状況を切り開く手段を模索する。

 幸い相手の移動速度はそこまで早いものではなく、エステルが小走りでも距離を保てるほどの速度であった。

 だが、相手は魔獣。

 逃げ続けても体力勝負では勝ち目がないことはエステルも分かっている。

 しかも魔獣を引き連れて合流するわけにもいかないのだ。


「覚悟を決めよう……うん……さっきは三匹、今は五匹……二匹増えたくらいで……!」


 徽杖バトンを握りしめ振り返るエステル。

 一匹は直進、三匹は左から、最後の一匹は弧を描くように右から回り込むようにエステルの後を追ってくる。

 直後、三匹の塊に向かいプラネを解き放つ。


「――〈星之煌き《メルケルン》〉!!」


 エステルが詩を詠んだ直後、三匹の中の一匹がその体で包み込むようにプラネに覆いかぶさってくる。

 爆発によりその一匹が四散するも残りの二匹はかすり傷すら負うことはなかった。

 しかし、エステルはその事に気を落とすことなどなく詩を詠んだ直後に右側の個体目掛けて走り出していた。

 大顎を開き迎え撃とうとする巨蟻ジャイアントアント

 そこに一直線に走り込んだエステルはその個体を飛び越えるべく意を決して跳躍ジャンプする。

 帽子が脱げると同時にまとめていた白髪が乱れ、靴の一部が大顎で引き裂かれるも、傷は浅い。

 振り向こうとする相手の隙を付き、胸部と腹部を結ぶ『腹柄節』に左手を添え、


「〈下位火魔術ヒルス〉!!」


 腹部が千切れ飛ぶとバランスを崩したように転がる巨蟻ジャイアントアント

 その間に残りの三匹が距離を詰めてくる。

 一匹の大顎がエステルの短円套ショートマントと腕を巻き込むように食らいつく。

 振り払おうと腕を引いた瞬間、食い込んだ大顎の牙によってエステルの左腕から鮮血が舞う。

 痛みをこらえ体勢を整えようとするもさらに次のもう一匹が右の太ももを大顎で挟み込む。

 スカートがじょじょに朱に染まる中、さらに膝を伝う暖かい雫に怯むことなくエステルは大顎の中に徽杖バトンを突き立てると同時にプラネを呼び戻す。


「ぐぅぅ……痛くなんかないんだからっ! ――〈星之結界メルバリエ〉!!」


 エステルを包みこむ淡い光が岩のように鈍い光に変わると同時に棘のように食らいついた大顎に突き刺さる。それに気が付いた相手は大顎の力を緩めながら距離をとり、残りの二匹と共にエステルと対峙する形となる。

 光の膜が消滅する時を見計らいエステルはプラネを三匹の頭上に誘導。

 続けてプラネに向かって魔術を放つ。


「食らいなさいっ! 〈下位風魔術カルス〉!!」


 さらに詩を紡ぐ――


「〈星之導きメルアレン〉!」


 プラネに炸裂した魔術が直下に密集する巨蟻ジャイアントアントに降り注ぐと、増幅された魔術は無情に胸部をえぐり、足を切断していく――

 キチキチと不快な音を響かせていた大顎から悲鳴にも似たうめき声が漏れる。


『ギッ……!! ギィィィ…………!!』


 うめき声を上げる魔獣そっちのけで転がりながら距離を確保するエステル。

 片膝をつき両手で徽杖バトンを持ち、深く――より深く呼吸し、降り注ぐ魔術の終わりを待つ。

 降り注ぐ風の刃が止んだ時、空にエステルの詠む詩が響いた――


「〈星之煌きメルケルン〉」


 足がもげ体液を撒き散らしエステルに食い掛かろうとする巨蟻ジャイアントアントの真上でプラネがその魔力の渦を輝かせる。

 巨大な爆発音と共に巻き上がる爆風、そして巨蟻ジャイアントアントの四肢や胴体も爆風に乗り四散する。

 爆風の収まったその後、その場に巨蟻ジャイアントアントの姿はなく、エステルは三匹の巨蟻ジャイアントアントが吹き飛んだことを確認する。


「はぁ……はぁ……みんなのところ、向かわなくちゃ……」


 徽杖バトンを支えに切られた足を引きずりながら、その地を後にしようとしたその時だった――


『ギギギギッ!!!!ギィィィィ!!!』


 先ほど腹部を飛ばしたジャイアントアントが背後からその獰猛な大顎を広げ飛びかかってきた。

 ――完全に気を抜いていた。

 エステルはその大顎を目前にしながら自身の詰めの甘さを悔いていた。

 徽杖バトンを振り上げようにも間に合わない。

 そんな意識だけがエステルの頭を駆け巡っていた――が。


 その大顎は閉じることなくエステルの前で頭部ごと砕け散った――

 呆然とするエステルの背後から聞き覚えのある声がする。


「――エステル様! ご無事ですか!!」


 声のするほうへ振り返ると、そこには息を乱しながら駆け寄ってくるルリーテの姿が。

 ルリーテは東海岸でモコナたちを無事にクヌガと合流させた後、大急ぎで引き返してきていた。

 その姿に安心すると体の力がふと抜けてしまい、そのまま地面に倒れかかるエステル。

 そのエステルをルイーテは咄嗟に両手を伸ばし倒れる寸前、抱きしめて支える。


「エステル様の時間稼ぎのおかげで、モコナさんたちは無事にクヌガさんと合流できました! 今は海岸で待機してもらいわたしだけ戻ってきたところです……」

「そっか……よかった」


 エステルを支えながら現状を伝えるルリーテ。

 さらに来た道の警戒はしているが今のところ追撃の様子はない。


「ここでは治療もできませんので簡易的なものですが……」


 ルリーテはエステルを一旦座らせ、怪我の中で特に深い腕と腿を自身の腰円套ウエストマントを千切って縛り血止めを施す。

 再度、魔獣の姿が見えないことを確認し止血したエステルを背負い東海岸へと駆け出した。

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