第10話 昇級クエストその4

 海岸ではモコナ、チロと共にひとりの男がふたりの帰還を今か今かと待ちわびていた。

 肉体労働を体現したかのような筋肉質の体にねじり鉢巻き。

 モコナよりも頭一つ分背の高いその男は『クヌガ』。チロの父親である。


「ふたりとも遅いな……」

「無事でいてくれればいいんだけど……」


 父親の顔を見て緊張から解放されたチロを抱きかかえながら、クヌガはふたりで来るであろう道を見つめ、その隣のモコナも不安な表情を見せている。

 他の漁師仲間は魔獣が付近まで来ていることを知り各々の家族に知らせるため自宅に一度戻っているところである。

 この海岸で漁を行う者の大半はここから北に向かう海岸線沿いに住む者が多いことが不幸中の幸いとも言えた。


「あっ……! あれじゃねえかっ!」


 クヌガの目は負傷したエステルを背負いながら海岸に向かい走ってくるルリーテの姿を捉えた。

 ルリーテは自身が追撃の対象か定かではなかったため、敢えて直線で海岸に向かわずに道無き道を蛇行するように移動してきており、時間がかかっていたのだ。


「……ルリーテちゃん! こっちよ!!」


 胸で息をつきながらきょろきょろと海岸を見渡していたルリーテにモコナの声が届き、クヌガたちの元へ小走りに駆け寄って行く。


「ふたりとも……よかったわ……」

「無事と言っていいかはわからないが、ふたりとも戻ってきてくれて何よりだ! 仲間の家が近くにある。本格的な治療はできないが回復薬や包帯を巻いておくだけでも違うだろう! 付いてきてくれ!」

「す……すいません……助かります……」

「ありがとうございます……」


 呼吸を乱しながらお礼を口にするルリーテ。

 エステルも元気とは言えないものの意識ははっきりとしておりモコナは胸を撫で下ろす。


「ルリーテちゃん、俺がエステルちゃんを背負うからこっちに!」

「あっ……ですが……えっと……」


 クヌガは走り詰めのルリーテの体力を案じエステルを変わりに背負うと提案すると、抱きかかえていたチロをモコナに渡す。

 その言葉にエステルは少し気後れしている。

 自身が白霧病のキャリアであるという事実に言葉を探していたがエステルの白髪を見てなお、そんなことは気にする様子もなくクヌガはエステルを背負うべく、ふたりに背を向ける。

 その姿にルリーテもエステルを一度地面に降ろし素直にクヌガの背中へエステルを預けることとした。


「お、お願いします……」

「おうっ! しっかり捕まっててくれよ!」


 返事と共に海岸を走り出すクヌガ。

 モコナもチロを抱きながら後を追い、さらにその後からルリーテは警戒しつつ追尾する。

 ――程なくして、一軒の家が視界に入る。

 木造の家は潮風に晒されてはいるものの家屋の痛みも目立たぬよう塗料等で手入れを欠かしていないことが見た目からも伝わってくる立派な家だ。

 クヌガは空きっぱなしのドアをノックすると返事を待たずに中へと足を運んでいく。


「ロイズ! 避難準備中にすまねえっ! 回復薬か包帯は置いてねえか!」


 中に入ると外から見た雰囲気とは異なり衣類や食料が床に散乱している様子が見てとれる。

 クヌガの警告を受け家主である男性『ロイズ』も大きなバッグに荷物を詰め込んでいる真っ最中であったが、クヌガの突然の訪問にその手を止めて個室から顔を覗かせた。


「クヌガさんか? どうしたってんだ! ……その子は魔獣にやられたのか!?」

「ああ……元々はこの子たちがチロを助けてそのまま状況を知らせてくれたんだ……この傷もうちのモコナたちを逃がす時間を作るために、魔獣を食い止めてくれて……」


 クヌガの説明で今の状況を把握したロイズは覗かせていた顔を引っ込めると個室のクローゼットを開け、中にある四段重ねの棚を上から順に引き出していく。

 上から三番目の戸棚を開けると丸められた包帯と薄緑の液体、青緑の液体が入ったガラス瓶があり、それを手に取るとリビングにいるクヌガの元へと向かう。

 漁師たちの仕事は危険と隣り合わせである関係上どこの漁師の家にもこのような簡易的な治療道具は切らさないように置いてある。

 また、用意している薬では手が追えない怪我等をした時のために治癒術士と懇意にしている漁師も多く見受けられる。

 クヌガやロイズたちも例に漏れず自宅に治療道具を常備しているが、都合よく癒術士がいるという状況ではなかった。


「これを使ってくれっ! もちろんあの子のお手製だから効果は保障する!」


 その言葉を聞いたクヌガは片膝をつくとエステルを丁寧に床に降ろしそのまま仰向けに寝かせる。


「モコナ……いつもの通りにやってくれ!」

「はい……任せて!」


 モコナはチロを床に降ろしロイズから包帯とビンを受け取ると薄緑の液体が入ったガラス瓶の蓋を取り包帯をその液体に漬け込んでいく。

 液体の回復薬を利用する場合、通常はその液体を口から飲ませることが一般的である。

 その行動をモコナの背後から見ているルリーテは疑問と不安に襲われる。


「ルリーテちゃん、この薬をエステルちゃんに半分くらい飲ませてあげて?」


 包帯を液体に漬けているモコナが肩越しにルリーテを見ながら指示を出す。

 その薬とはロイズが持ってきた『青緑』の液体を指していた。

 液体の回復薬で流通しているものは、複数の薬草を煎じたものでありその色は共通して『深緑』である。

 煎じた薬草の種類で色合いに差が出ることは納得できるが、少なくともルリーテは今までこのような回復薬の色は見たことがなかった。

 しかし、いつ魔獣の追撃がくるかもわからない以上ここで口論をしている時間はなく、何よりモコナたちが悪意を持ってこのような治療をしているわけではないことぐらいルリーテも分かっていた。


「は、はい……」


 ルリーテは『青緑』の回復薬と言われている瓶を手に取りしっかりと封をされていた蓋を力を込めて開け、ゆっくりとエステルの口元へ運ぶ。


「エステル様……飲めますか……?」

「う、うん……ありがと……」

「少し口の中に苦味を感じると思うけど、そのまま一気に飲み込んでね……」


 モコナは瓶の液体に浸した包帯を巻きとりながらエステルに回復薬の飲み方を伝える。

 ルイーテの施した布を解き変わりに包帯を器用に巻きつけていく。


「ちょっと傷が深いから染みるかもしれないけど……ちょっとだけ我慢してね?」


 普段から夫であるクヌガの怪我でも同じように治療していることが伝わってくる慣れた手つきで左腕の傷と右太ももの傷を液体漬けの包帯で包み込むと、次はその濡れた包帯の上から乾いた包帯を巻きつけていく。

 包帯を巻き終え顔を上げるモコナがロイズを見上げ、


「これでいいわ……ロイズさん使った分のお薬は今度支払いますね」

「ん、何言ってんですか。いつも誰かしらクヌガさんとこでお世話になってるのに、薬代の請求なんてされたことないですよ」

「あ、あの……エステル様のために治療して頂いたんですから……あ、あまり正直手持ちはないのですが、この代金は――」


 ロイズとモコナのやりとりを聞いたルリーテが口を挟もうとすると、その頭をクヌガの手の平がそっと撫でる。


「うちのチロを助けてもらったんだから、代金なんてとてもじゃないがもらえないわな。むしろ俺たちもこのおかげで逃げる時間ができたんだ……ロイズへのお礼は今度これで……な?」


 クヌガが手を、くいっと口元に運ぶ動作を見せるとロイズもにんまりと笑う。

 いつものやりとりを見せるふたりの様子を見たモコナも安心した表情を見せている。


「す、すいません……ありがとうございます……」

「いやいや、お礼を言うなら俺たちのほうさ、だが……まずは今の状況を打破するために東の港『アルト』に向かおう。落ち着くのはそれからだ」


 まだ油断できない、とクヌガは気を引き締め直す。

 町から程よく離れたこの界隈で漁をしているだけあって魔獣に対する危機感は探求士に負けず劣らず高いことを伺わせる言動だ。

 その言葉を聞いたロイズも途中だった準備を再開すべく奥の部屋へ小走りで向かっていく。

 そこに治療の間、後ろでじっと見つめていただけのチロがエステルへと歩み寄っていった。


「お姉ちゃん……痛くなーい……?」


 声を震わせそわそわと足を動かしながらもエステルに寄りそうチロ。

 その顔を見たエステルはチロを笑顔で見つめ返す。


「うんっ! 大丈夫だよっ! チロのお母さんのおかげで痛みなんかどこかへ行っちゃったからね」


 その言葉を聞いたチロから笑みが零れる。

 チロの不安を拭い去るようなエステルの回答、痛かろうが痛くなかろうがエステルは心配されたのなら不安を取り除くために嘘だとしてもそう言っただろう――

 しかし、事実として回復薬と包帯を巻いてもらった直後から先ほどまでの熱を帯びた虫が蠢くような裂傷の痛みは嘘のように穏やかなものとなっていた。

 経験上、このような裂傷は時間が立つと傷口回りは一度熱を持ち腫れ上がり、回復薬を飲んだとしてもすぐにはその熱と痛みは取れるものではない、そう思っていたエステルも内心驚いていた。


「この回復薬、ちょっと使い方に驚いたろ……?」


 エステルとルリーテの心を見透かしていたかのようにクヌガが口を開く。

 魔獣の接近とは別で、普段と異なる回復薬に対する不安は知らず知らずのうち、ふたりの表情に表れていたことをクヌガは見逃していなかった。

 だが、それは当然のことだった。


「俺も最初は不安いっぱいだったからな……」


 クヌガは鼻を指でかきながら心なしか小さい声でふたりに本音を告げると、床に寝ていたエステルを抱え大きめの長椅子ソファーに座らせる。

 併せてルリーテも手招きしエステルの隣に座らせるとうろうろと歩きダイニングの椅子に腰掛けながら、衣嚢ポケットから煙草を取り出す。


「オカリナ村を拠点にしているパーティがいるんだがな……そこの癒術士の子さ……」


 クヌガの話に興味を引かれエステルもルリーテもその仕草をじっと見つめる。モコナはチロを抱きかかえ直し、頬を緩めるような表情で語りだしたクヌガの様子を眺めている。


「アルト付近で漁をしていた時、近海にやたらと海錦蛇シーパイソンが発生していた時期があったんだよ……そこでちょっと俺がしくじっちまってな……海錦蛇シーパイソンに利き腕、右腕の肉をごっそりもってかれちまったことがあったんだ」


 そう言いながらくわえた煙草に火を付ける。

 一口目を深々と吸い右手で煙草を摘まみながら白い息を吐くクヌガ。

 その様子、また右腕を見てもとてもではないが、そうは見えない。


「なんとか逃げきることはできてアルトにたどり着いた時、たまたまそのパーティが居合わせて治療してもらったんだが、その時使ったのも今日と同じ『薄緑』と『青緑』の回復薬だったんだよなぁ……」


 その時感じた不安を思い出すかのようにクヌガは左手で顎を掴み冷や汗をかいている。


「治癒の詩で治療してもらえるとばっかり思ってたからな……後で聞いた話で、えぐられたり切断された場合、その部位をすぐに繋ぎながら治癒の詩を使えばくっつく可能性もあるけど、その部位がない場合だとえぐれた部位はある程度は戻っても元通りとはいかないらしいんだよな」

「そ、そうですね……あくまでも治癒の詩は、術者の魔力で対象者の自己治癒能力に働きかけて治癒能力を促進させるものですから……上級以上の詩を行使するとまた変わってくるようですが……」


 ルリーテの補足に、俺はそんなこと知らなかったんだ、と言いたげに天井に煙を吐いているクヌガ。


「その癒術士の子もなぁ……元気なのはいいんだが、見た目だけはかなり幼く――……若く見えてな。こう言っちゃ失礼だが、不安に拍車をかけてくれてなぁ……」


 当時のクヌガが不安に駆られ失礼なことを言ったんだな、とエステルとルリーテは推測する。

 その推測が当たりだと言わんばかりにクヌガを見るモコナは、口元を抑えて目元が垂れている。


「それが……だ! この腕を見てくれ! この腕どこ噛み千切られたかわからないだろ? ここなんだよ……」


 煙草を指で挟んだまま、右腕を顔の横に添え、前腕部を左手で指差す。

 その右腕は違和感も何もない、漁師のたくましい腕そのものだ。


「ほんとに……その腕食いちぎられたのですか……?」


 長椅子ソファーの背もたれに寄りかかりながら話を聞いていたエステルが、前のめりに腕を見つめる。


「ああ、噛み千切られた部分は骨も丸見えでなぁ……」

「上級の詩もなしに、そこまで元通りにできるなんて聞いたことありません……」


 エステル同様ルリーテも信じられないと言ったように目を丸くしながら腕を食い入るように見つめている。


「その癒術士さん曰く……包帯に浸した液体の回復薬、そして口から摂取した回復薬の比率で傷口の治癒のバランスを取ってるんだと。普段の『深緑』の回復薬は飲んで内側からの治癒で全てを賄おうとしているから外傷には効果が期待しにくいらしいんだよな、包帯のほうの液体は色々な植物の樹液を配合してるとかどうかってな……うん、まぁ俺はよくわからんが――」


 エステル、ルリーテはふたりとも治癒術に関しては専門ではないが、このような薬の使い方は聞いたことがなかった。

 食い千切られた部分を元通りにする回復薬もさることながら、ふたりはそんな使い方まで考える深い知識を持った癒術士の存在にただ唖然とする他ない。

 より上位の治癒術であれば同等の効果を期待することはできるだろうが、それを魔術と関係ない者が扱えるように回復薬で再現するという偉業と言ってもいい行為。

 強力な術を使えるようになることは強さを求める行為において間違いではない。

 だが、攻撃と治癒の違いあれど、それだけでは自分たちの思い描く強さとは手に入らないのはでないか、そう考えさせられるほどの衝撃をふたりはたしかに胸に感じていた――

 唖然とするそんなふたりに慌てるクヌガ。


「あ、いや……ちょっと話が変な方向に行っちまった。俺が言いたいのは使った回復薬について、心配しなくても大丈夫だっていう至ってシンプルなことだからなっ」


 クヌガは取り繕うように話をまとめると荷物を背負ったロイドが奥の部屋から戻ってくるところだった。

 素直にルリーテの言葉を聞いてくれたクヌガを初めとする漁師たち。

 ロイドもその例に漏れずその背負った荷物は決して少なくはなく、しばらく自宅に戻らなくても問題ないように考えていることがわかる。

 町や村で暮らしている者は時に魔獣の存在を軽視する傾向が見られることもあるが、外で暮らしている以上、警戒して取り越し苦労ならそれに越したことはない、という姿勢スタンスであることがはっきりと伝わってくる。


「待たせちまってすまない。俺のほうも準備は済んだ。港町アルトに向かおう」

「よし、そうだな、それじゃエステルちゃんもう少しだけ辛抱してな……」

「あっ……休ませて頂いたので、もうわたしが背負えば大丈――」

「ルリーテちゃん……こういう時は男性に頼るものよ? それにほら……もしも魔獣きたらうちの旦那たち戦う気概はあっても魔獣相手だとね……」


 ソファーの前で背中を向けて膝立ちをするクヌガ。

 モコナの魔獣の話は真実ではあるが適切ではない。どちらかというと遠慮するふたりに配慮した発言ということを感じ取ったエステルは、素直にクヌガの背中にその身を預けることに決める。


「はっはっ! それにこんな可愛い子たちなら、背負って走るなんてうちの野郎どもなら、みんな喜んで引き受けるだろうしな!」

「えっ……えっ……あ、ありがとうございます……」


 ロイドの言葉に顔を赤くしながらお礼の言葉を口にするエステルだがこのようなやりとりの経験はあまりなく、どのように反応すれば良いのか困惑した挙句、頬に両手を押し当てながら俯いてしまう。

 隣でやりとりを聞いているルリーテも頬を染めながらその目は焦点が定まっておらず、どこを見ていれば良いか目のやり場を探していた。


「もうっ……あなたったら……エステルちゃんたちが困ってるでしょ……」


 モコナの叱咤に悪い悪いと頭をかいているが、気を取り直し無言の合図となるよう頷きながらエステルを見つめる。

 クヌガがエステルを背負い上げるとロイズとルリーテが様子を見るために家の外へ足を進めていく。

 それを見たモコナも荷物とチロを抱きかかえクヌガの後に寄り添っていった。

 魔獣の姿がないことを確認した一同は、港町アルトへ向け、駆け足とは言えないまでも歩調を早めながら、歩みを進めていった――

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