第11話 昇級クエストその5
「さすがにもう大丈夫だろう……」
エステルたちはロイズの家から海岸線沿いに移動し、無事魔獣に遭遇することもなく
すでに日光石が輝く時間は過ぎ、夜光石の優しい光がほのかに辺りを照らし出している。
まばらだが探求士の姿もあり、先ほどまでの張り詰めた空気もじょじょに緩み始めていた。
「アルトには漁師連中で建てた共同の避難所があるんだ。漁師連中の家族も身を寄せてるはずだからな……そこに向かおう」
クヌガの後に続きアルトの町へと足を踏み入れる。
エステルとルリーテにとっては、
対照的にクヌガたちは慣れた様子で舗装路を颯爽と歩き進めていく。
露店商の客引きの声が交差する通りを抜けると、三階建ての大きな建物がエステルたちの目に飛び込んでくる。
一見、宿屋のようにも見える建物。
「――ここが避難所だ! とは言っても普段から宿屋として営業もしているんだけどな。一階と二階の一部を何かあった時に使えるようにしてあるんだ」
「海沿いに住んでるやつらも海が荒れた時なんかには使ってるからな~……俺もよく世話になってるよ」
クヌガとロイズが正面入口から扉を開け中へ入るとエステルたちもそれに続く。
解放感を誘うエントランスホールの吹き抜けは二階部分まで続いており、外装に合わせて丸太で作られた
豪華な鉄製の家具には出せない自然の優しさで宿を訪ねる者を包み込む、そんな親近感の湧く宿である。
――その一角に腰を下ろしていた男たちがクヌガを見ると、大きく息を吐きだしながら立ち上がる。
「遅かったから心配したぜ……?」
「旦那たちの船は港につけてあるから安心してくれ!」
「ああ、すまねえな。だがみんな無事だ……この子たちのおかげだ」
クヌガは背負っているエステル、後に続くルリーテに肩越しに視線を送る。
ふたりもそれに合わせて会釈をすると。
「はぁ……こんな可愛い子たちが魔獣と戦ってくれたのかよ……ほんとにありがてえこった……」
「一応、紹介所経由でギルドにも報告はしておいた。近々討伐クエストが組まれるかもしれないな……昨日もオマスが報告しているしな……まぁあいつの場合、死ななかっただけ幸運だがな」
男は額を片手で抑えながら天井を仰ぐ。
漁師はみんな避難が済んでおりクヌガとロイズの到着が遅くなっていたのが気懸りになっていた。
魔獣の凶悪さは一同共通で認識しており楽観的な考えは命取りになることを経験則から学んでいるからだ。
さらに奥にいた男はすでに魔獣の生息域拡大を報告しており、避難所にも弛緩した安堵の空気が流れ始めていた。
クヌガも一安心というように丸太の
そして、ふたりの前に両膝を付き、
「こうしてみんな無事だったのも、エステルちゃんとルリーテちゃんのおかげだっ! 改めて礼を言わせてくれっ! チロのことと言いほんとにありがとう……」
自身も緊張の糸が切れたことを自覚していたエステルはクヌガの行動に驚きどう反応していいか咄嗟に頭が回すことができない。
両手を顔の前で忙しく横に振りまわし。
「そっ……そんな気にしないでくださいっ……たまたま居合わせただけなんですからっ」
「いや、そのたまたまのおかげでうちの娘の命が助かったんだ……ほんとに感謝してる……」
「私からもお礼を言わせて……? ありがとう……」
「エステルお姉ちゃん、ルリお姉ちゃんありがとうございますっ!」
「俺たちからも礼を言わせてくれっ! おかげでうちの連中も被害に合わずに済んだんだ! ほんとにありがとうっ!」
クヌガを筆頭に漁師を含め揃って深々と頭を下げる。このような素直な感謝を受け止める機会がふたりにはなかった。
農作物等の保護のために魔獣駆除をすること等はあったが、それとこれでは感謝の度合いがまるで違うことは明白である。
そんな初めての経験、頬を染めたふたりはお互いに視線を交わすと自然と口元が緩んでしまう。
「でも、何か目的があって来てたんでしょ……? クエストだったんじゃないのかしら?」
「え、えっと……わたしたちは
「そうなんです……でも、ちょっとこの状況じゃ今回は諦めたほうがよさそうですが……」
「なるほど……蟻どもの巣穴の拡大を防ぐクエストだったんだな……その
モコナの疑問への回答に納得を示しているクヌガだが、そこに背後にいた漁師のひとりが何か気が付いたかのようにクヌガの横へと歩みでてくる。
「そのクエスト……卵だけあればいいのかい……?」
「そ、そうですね……ですが、あれだけ行動範囲が広げられていると巣穴を見つけるのも大変ですし、さらにそこから卵を持ちだすというのも……」
男の問いかけにルリーテが肩を落としながら答える。
頭では考えてはいても、いざクエストを諦めることを口に出しているとモヤがかかるような気持ちになることは否定できなかった。
「昨日嘆いてたかいがあったってもんだ……卵……取れるよ」
「――どういうことだ……? オマス……お前巣穴の場所を?」
オマスと呼ばれる男の言葉にエステルとルリーテが目を見開くと同時にクヌガが質問を投げかける。
「クヌガの旦那、ほら、昨日話したでしょ? 南海岸の小屋に網を取りに行ったら蟻に乗っ取られてたって……」
「あ、ああ……お前が無事だから半分以上笑い話だったけどな……」
「あなた……それ失礼でしょ……」
漁師同士ならではの返事にモコナの冷たい視線が突き刺さると、クヌガは額に汗をかきながら誤魔化すように視線を横へ逸らしている。
「……だから、俺の小屋の中、卵保管されてたんですよ……居心地がいいのかわからないですけど、巣穴で産み落とされた卵をくわえて居候しにきたんでしょうね」
「お前、ほんとよく生き残れたな……」
「家の回りは静かなものでしたし、中に入るなり蟻と卵があったんで逃げ出したんですが……卵が大事なのか執拗に追いかけてくるようなことがありませんでしたからね……」
「たしか……オマスさんの網小屋って南東の端っこでしたよね?」
「その通りっ! 案内しますよ!」
思わぬところから卵入手の可能性が浮上してきたことに、戸惑いを隠せないエステルとルリーテ。会話に合わせて視線があちこちに飛んでいく。
だが、そこでエステルが会話を遮るように声をあげる。
「あ、あのっ……お気持ちはうれしいのですが……どこまで蟻たちが来ているかもわからないですし……このクエストだって絶対成功させなきゃいけないわけじゃないんです。案内とかで危険を冒して頂くことは……」
「うんうん……その通りだなっ! だから……オマスの小屋は都合がいい。なんてったって南東の崖っぷちだからな!」
その言葉に疑問を持つがクヌガたちはすでに乗り気になっている。
エステルとルリーテのふたりならば魔獣を振り切りながら進める可能性もあるが、奥まで突き進んだ後に今日のように立て続けに押し寄せてきた場合、逃げ切れるかは甚だ疑問である。
「あの……ですから……」
ルリーテも言葉が詰まりながらも断ろうとすると、
「――じゃあクヌガの旦那の船でいいですかね? この前
そう、エステルとルリーテは勘違いしていた。
先ほどの話はすでに陸路から向かおうという考えはなく、船で南下すればいいという前提の話となっていたのである。
クヌガたちにとっては先ほどの逃走劇よりも普段から慣れ親しんだ海路であれば乗り気にもなるのは当然だった。
「そ、そういうことだったんですか……たしかに
「ああ! こんなに早くお礼をできることは思わなかったがな! ここから小屋までなら船で半日かからねえが、往復だとそれなりに時間を食っちまう。今日はもう遅いからな。明日の朝出発でどうだい?」
「ほ、ほんとにいいんですか? あ、あのじゃあルリ……お言葉に甘えさせてもらおっか……?」
「はいっ……! そうしましょう! クヌガさんほんとにありがとうございますっ……!」
思わぬ事態にふたりの顔は光が差したかのように表情は明るく自然とほがらかに口元が緩んでしまう。
「小屋の状況しだいとはいえ、まだチャンスがあるようでよかったわ……」
モコナもふたりに釣られて目尻を下げつつふたりを見守っている。
そして、そんな和んだ雰囲気を察したクヌガが立ち上がる。
「よーし! それじゃ今日はみんなここに泊まることになるな……! ってことは、しっかりともてなさねーとだろ? お前ら!」
「当たり前じゃないっすかー!」
「さっき取れたばかりの新鮮な魚ばっかりだからな~!」
クヌガの言葉を聞いた漁師たちは、分かってますよ、と言わんばかりに宿屋の奥へと歩いていく。
「あ、あの……それじゃここでお世話になります……ありがとうございますっ!」
「すいません、クエストのお手伝いばかりか、食事と宿まで……」
クヌガの
エステルとルリーテも顔を見合わせクヌガに深々と頭を下げながらお礼の言葉を口にした。
「な~に! ここまで来たら最後まで……な? それじゃちょっと準備してくるから待っててくれ!」
そう言い残しクヌガも他の漁師に続いて奥へと歩いていった。
――その夜は宿の大部屋で漁師と共に新鮮な魚をふんだんに使った料理に舌鼓を打つことになったエステルとルリーテ。
宿や食費も気にしながらの
普段からお酒を飲むようなことはなかったが、十五歳を超えていることを知った漁師たちに勧められるがままに飲み、結局気が付いたのはふたり部屋のベッドの上で日光石の光が差し込み始めた頃だった――
◇◆
「――え?」
ルリーテが光の差し込む
きょろきょろと部屋を見渡すと隣の
ふかふかの
エステルはもちろんのことルリーテも昨夜の服装のままである。
「あれ……? 昨日食事をして……どうしたっけ……?」
ふたりは昨夜のような宴会と言える食事が初めての経験だった。
エステルは身内以外の前で帽子を脱ぐことに抵抗があり、ルリーテ自身も知らない相手に対して礼儀正しくはあれど易々と心を許すタイプではない。自然とふたりないし母親であるステアも含めた形での食事が自然と多くなっていたからである。
探求士たちが騒がないのは別の理由もあったが、エステルとルリーテはそれに気が付くということもなかった。
「あれ……ここはあの宿の部屋だよね……? どうやって大部屋から……?」
いくら考えても疑問を払拭できる気配はない。お酒で記憶が飛ぶという話はよく聞くが、ここまですっぽりと記憶に穴が開いてしまうものなのか、と考えていると部屋の扉がゆっくりと開き、モコナが顔を覗かせる。
「あら、おはよう。もう起きてたの……? まだ朝食までは時間あるけど、よかったら大浴場でさっぱりしてくるのもお勧めよ?」
「え、お、おはようございます! えっとお風呂もいいのですが……き、昨日って……」
「うふふっ……ふたりとも顔を真っ赤にしちゃって可愛かったわよ~? 安心して? 『まだ、飲めるんですから!』って、言ってたけどちゃんとうちの旦那にこの部屋まで運ばせたらふたりともすぐにぐっすりだったからね。酔っててもふたりともしっかり者だったわよ~」
ルリーテが記憶がないことも、それを聞きたいということもしっかり理解している返事だ。
顔だけ覗かせているモコナ。話が進むにつれてその綺麗な顔が意地悪な表情に見えてくるのが不思議である。
「それじゃ、また後で呼びにくるわ。浴場にタオルとかはあるから自由に使っていいからね? 場所は一階の廊下の突き当りにあるからね~」
子供に向ける視線とでも言うべきか。モコナの口元は終始釣り上がったままであった。
扉が閉まったことを確認すると。
「い、いくら気を抜いたとはいえ……」
「でも……大浴場は入ってみたい……かも……」
自身でも思っている以上に物事は前向きに捉えられるものだとルリーテは実感している。
この場合は落ち込むよりも大浴場への欲求が勝っただけではあるが。
ルリーテが幸せそうなエステルを揺すりながら起こし大浴場の説明をするやいなや、エステルも目を輝かせふたりは朝の大浴場で昨日の疲れを癒しにいくことになったのだった。
ふたりがふたりとも気が付いていないがエステルは何もなかったかのように起き上がり大浴場へと向かっていった――
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