第47話 癒術士との再会

「これはどういうことかな……?」


 新しい象徴詩と武器を手に入れたルリーテは、特に疲労の色を見せることはなかったが、大事をとってその日はクエストを受注することはなかった。

 翌日となり三種さんにんが揃って紹介所を訪ねると普段とは違う騒めきが紹介所内を包み込んでいる。

 装備を整え急いで南に向かう者、また東に向かう探求士の姿も見える。

 その状況が把握できずに呆然と立ち尽くす三種さんにんであったが、エステルが探求士の男に状況を確認する。


「あのっ――すいません! 何があったんですか!」


 喧騒に包まれる紹介所内で戦闘準備を行う探求士の男は準備の手を休めずとも、その問いかけに目を向ける。


「ああ、俺もついさっき聞いたんだが巨蟻ジャイアントアントの蟻塚が南にあったのは知っているか?」


 エステルたちの昇級クエストの目的地でもあった場所である。勢いよく頷くと男はそのまま言葉を続ける。


「繁殖の勢いが止まらないみたいでつい先日討伐パーティが組まれた。それで一安心のはずだったんだが、討伐に向かった探求士たちは壊滅。なんとか生き延びた討伐パーティの一種ひとりがいうには女王個体が深淵種アビスになってるらしい……」


 男は手甲ガントレットを身に付けながらも状況の説明を続けている。この様子だと討伐にこの男も加わる様子だ。


「――で、だ。深淵種アビスの女王の繫殖力が想定以上の速度でいくら巨蟻ジャイアントアントとはいえ数が多すぎる。――ってことでアルトとオカリナの紹介所に緊急クエスト発令、情報じたいは南側の港町ホルンにも出回っているようでこの騒ぎってことさ。どうやら東側の海岸線を北上しているようでどっちかっていうとアルトがやべえ。だが本命は南の蟻塚にいる。だからこっちも分担して討伐をしていくって状況だ。あんたらも稼ぐ気なのかわからねえがお互い命は大事にしていこうぜ!」


 男はそう言い残すと紹介所を勢いよく飛び出していく。

 エステルの後ろで聞いていたルリーテの顔色は、エステル同様に青白く普段の愛らしい唇は震えが止まらず言葉を発することができない。

 だが。


「エステル。色々村が危ない印象を受けた。ようするにアルトが攻め込まれそうなんだよね?」

「――う、うん……! わ、わたしたちもいこう!」

「は……はい……! 卵を奪ったくらいで……認識の甘かったわたしたちにも無関係とは思えません!」


 動揺をその気力で隠し気丈に振舞い参戦を決意する少女二種ふたり

 その様子を見て、


「心配いらない。おれの見立てじゃ二種ふたりは蟻なんかいくらきても相手にならないよ」


 セキが二種ふたりの頭を撫でながら普段以上に和らいだ口調で言葉をかける。セキの言葉にこわばっていた体の力が、自然と抜ける感覚を両者ははっきりと感じ取っていた。


「でも、状況的には一刻を争うイメージだよね。おれがアルトに先行していいかな?」

「う――うん! そしたらカグツチ様を起こして――」


 まだ二種ふたりが落ち着くには時間が必要と察したセキが先行を申し出る。そしてさらに、今日も幸せな笑みで惰眠を貪るカグツチを連れていく旨をエステルは伝えようとするが、


「んや、あいつを起こすほどのことじゃないよ。二種ふたりは他の探求士に続いてアルトに向かってほしい。戦闘だけじゃなくてこういう時は索敵や警戒も含めて数が必要になるから」

(何よりあいつ連れてっても今は降霊できないし……する必要もない)


「う、うん!! わかった! えと、セキも十分気を付けてね!」

「はい、承りました!」

「ありがとう。でも――心配いらないよ」


 二種ふたりの返事を聞いた次の瞬間、紹介所の扉から突風が駆け抜けていく。しばしの時間が過ぎ、呆気にとられている場合ではない、と気が付いたエステルの声にルリーテも目を覚まし顔を振る。武器を握り直した少女たちは共にアルトを目指しその足を踏み出していた。



◇◆

 真紅の影がオカリナからアルトに向かって疾走している。行きの感覚だと歩いて数時間の道のり。ならばその気になれば数十分で到着することができる。

 セキは疾走しながら道のりを逆算していると、道半ばで巨蟻ジャイアントアントと戦闘する探求士の姿がいくつも目に入ってくる。


(ここですでに戦闘かよ……)


 この状況で出てくる探求士だけあって、巨蟻ジャイアントアントに引けを取ることもなく、順次撃破している様子が見える。

 だが、控えている膨大な数の巨蟻ジャイアントアントの群れが見えることもあり、セキは視界に写る全ての蟻に対して薄切苦無クナイを冷静に打ち込み撃破していく。

 戦闘中に唐突に倒れる蟻に対して、疑問を浮かべる探求士たちも少なくはないが、説明している暇はない、とセキはさらに加速した。


(こういう目的地がわかりにくい防衛って苦手なんだけどなぁ……)


 セキは苦手意識を浮かべつつも、その速度を落とすことなくアルトに到着する。アルトは村を囲う岩壁の上と、その前に探求士と防衛魔具を配置しているようで、準備中ではあるがまだここまで蟻たちが到着していないこともわかる。

 そこでセキはアルト内には立ち寄らずに海岸線を南下していった。すると、前方で蟻の群れに囲まれながらも戦っている一種ひとりの少女がその目に映る。

 その小さく幼き体から繰り出す体術を以って、蟻を駆逐しているが多勢に無勢、じょじょに押し込まれつつある少女は、その褐色の肌を朱色に染めあげつつあった。


「防衛線ができるまではここは抜かせません!! 〈中位火魔術ヒルライザ〉!!」

『チッピィーー!!』


 少女自身をも包み込むほどの火球が巨蟻ジャイアントアントを薙ぎ払う。だが、多方向から迫りくる蟻たちにその身は刻まれていく。

 所々で白い小鳥が、蟻の触覚と視界を掠めるように飛び回り、邪魔をしているが、ふいにその翼を顎が掠める。

 時間稼ぎが目的であるため囲まれつつある場合、背後に飛び退き距離を作っていたが、小鳥を抱きかかえた拍子に囲まれ逃げ場を失う。それでも少女の目に諦めの色が宿ることはなく、小鳥も少女を信じその身を少女に委ねている。

 ――だが、その覚悟は空回りとなり少女の周りの蟻たちは音もなく細切れとなっていた。


「すごいな。それ服に蟻の体液染みこませて誘導してたってことだよね?」

「――あ……」

『ピィ?』


 突然の展開に言葉を失っている少女と白い小鳥。だが、迫りくる蟻に容赦などないことはわかっている。

 セキは自身の外衣コートを脱ぎ少女に投げると、


「その外衣コートの代わりにその服を貸してもらえる? ここからはおれが引き受けるから――でも正直その年でここまでの戦果はちょっと驚きかな……」


 少女は理屈でもなく直感的にその言葉に従っていた。自身のマキシ丈の法衣ローブを急いで脱ぎセキにそのまま手渡す。

 だが、ここでセキの想定外のじたいが発生する。

 少女は法衣ローブの上から、胸元に蟻の顎の攻撃を受けたのか、切り裂かれた後が残っている。それが法衣ローブ下に来ていた衣類も切り裂いており、その童顔と百四十CMセノルに満たない体躯に、見合わぬ豊満な乳房が丸見えで、しかもその柔らかさを強調するかのように揺れていたのだ。

 蟻が迫りくる中でもセキがその揺れから目を離せるわけもなく、


「わっ……! す、すいませんお見苦しいものを……いつもは邪魔なので下着でギチギチに抑えつけているのですが……」


 その視線に気づいた少女は、セキの外衣コートで胸元を隠すように後ろを向き直す。セキに背中を向けながら大きめの外衣コートに袖を通していた。


「いや……見苦しい? そんなことは……むしろ――ありがとうございます?」


 状況に合わぬこのやりとりだが、少女はいつのまにか安心しきっている自分に気が付いた。

 この青年には今の状況に対する緊張が一切なく、かと言ってこの状況を軽くみているわけでもない。

 このような状況が当たり前の環境で育っている、ということを少女のその褐色の肌が感じ取っているのだ。


「もうすぐ防衛準備もできそうだからそのままアルトまで走れる? ダイフクみたいな小鳥も頑張ってたようだし一緒に下がって主種しゅじんと休んでな」

「――は、はい!」

『チピッ!』


 状況が何も変わっていないにも関わず、この青年がいうことに疑問はわかず素直に返事をしてしまう。

 威圧感の一切がない青年の後ろ姿が、なぜこんなにも頼もしいのかが少女にはわからなかった。

 蟻の体液に塗れた法衣ローブを受け取ったことで蟻の注意はセキに集中する。だが、それこそがセキの戦いやすい状況であることを蟻たちは知る由もなかった。


「――いくぞ……!」


 セキが少女に向けていた温厚で安らぎを感じる瞳が一転、獲物を狙う獣のそれに変わる。

 群がり襲い掛かる蟻たちは、捕食者でなく、被食者と化した自分たちの状況を理解できるはずもなかった。



◇◆

 エステルとルリーテがアルトに到着した頃にはすっかり防衛も築かれており、さらに町の周囲を探求士たちが見回りをしていた。

 道中の蟻たちはすでに駆逐されており、この町に至ってはまだ蟻の進行が届いていない状態であることも見て取れた。

 胸を撫で下ろしつつ町の入口付近を見ると負傷者の手当が行われており、そこにエディットの姿を見つけたエステルたちは走り寄っていく。


「エディットさん! 無事でよかった!」

「怪我をされているようですが大丈夫でしょうか? 深手ではないようですが……それに……」


 エステルたちの声に気が付いたエディットが、向日葵のような笑顔を二種ふたりに向けて咲かせている。

 自身の傷の手当の後に、そのまま負傷者の手当を買って出たようだ。


「お二種ふたりとも来てくれたんですね! 戦況は一時劣勢だったのですが今は押し込めているようです!」


 再会の抱擁を行うエステルとエディットだが、その姿を見ているルリーテの頭には明らかに疑問符がいくつも浮かび上がっているようだ。


「あの……エディット様……無事で何よりなのですがその外衣コートは……?」


 ルリーテの言葉でエステルも気が付く。そうこれは見慣れたセキの外衣コートだということを。


「あっ……! こ、これは……あたしを助けてくれた探求士さんにお借りしたものです……」


 頬に紅を差しながら外衣コートの首元をその手でぎゅっと握りしめる。心なしかエステルにはルリーテの眼が鋭くなったように感じられた。

 そこに男の野太い声が鳴り響く。この喧騒の中でもはっきりと聞き取れるその声に振り向くと、


「おーーい!! エディットちゃん! 飛び出していったから心配だったんだ!」

「あ、クヌガさん! ご心配おかけしました! ですが見ての通り大丈夫です!」


 そこで目を丸くするエステルとルリーテに気が付いたクヌガ。


「おお!? エステルちゃんたちも増援に来てくれたのか! 頼りになるねぇー!」

「お久しぶりです!」

「ご無沙汰しております! あの――お二種ふたりは知り合いで……?」


 その言葉にクヌガが右手を差し出しながら、二種ふたりに必要以上に近寄りエディットに聞こえないよう小声で、


「あの……な……この傷の治療をしてくれたっていう……」


 そのクヌガの言葉に二種ふたりは目を細めて見返している。過去の過ちをほじくり返さないでくれ、クヌガの瞳は普段のたくましい熊のごとき漁師の目から、哀願を乞う子犬の目に変わっていたことは言うまでもないだろう。


 そんな喧騒の中、伝達を共振石で受け取った探求士がそのメッセージを出力するために紹介所へ走り出す。

 討伐隊本体が連絡用に用意した簡易的な伝達魔具、もしくは伝達ディシテそのものを使える術者から発信したものだろう、とその場の探求士たちは察する。


「状況は好転してるし、もう少し時間をかければ深淵種アビスであろうが魔獣級なんだ……討伐できるだろう」

「たぶん伝達も巣の周りの掃討の知らせだろ? だからこれから本格的に巣穴に乗り込むってことだよ」

「ああ、ここからが本番だ。外と違って巣穴の中を立体的に這いずる巨蟻やつらは戦いにくいからな……」


 今までの状況と過去の経験から、メッセージを出力する前にアタリをつけた予想を各々が口にする。

 概ねどの探求士の予想も似ていることもあり、信憑性は高いと言ってもよいはずだった。


 エステルとルリーテはその手に持つ武器を握りしめ、

「ルリ……!」

「はい、エステル様……わたしたちもいきましょう……!」


 その言葉を聞いたエディットも二種ふたりに駆け寄ってくる。


「一週間ぶりのパーティ行動ですね……!」


 共に巣穴に向かうことに迷いなどない真っすぐな瞳で見上げている。

 傷のことが気がかりだがエディットの治療薬、またエディット自身が癒術士ということもあり、まだまだ動けると診断した結果なのだろう。ここでその思いを無下にするなどという選択はエステルの中にはなく、また当然のように二種ふたりと共に出発する、という思いがたまらなく嬉しかった。


「ああ――探求士だもんなぁ……しっかり討伐してこいよ! 今日の夜は全部俺がご馳走するからな!!」


 少女たちとはいえ、一端の探求士である彼女たちを引き留めることなどできない。ならば、せめての後押しと労いの準備を、というのがクヌガの心意気であった。


 表情を引き締め出発する三種さんにんを見送ったクヌガ。

 そこに先ほどのメッセージを出力した探求士が、行き以上に焦りの表情を浮かべて戻ってくる姿に違和感を覚える。

 発表するであろう探求士が集まる場所へとクヌガもその足を向けた。


 息を切らしながら伝達魔具から出力した樹皮紙を掲げる。

 すでに想定している内容の確認とばかりに耳を傾ける探求士たち。

 そして集まった探求士に聞こえるようにその口が告げる。


「聞いてくれ……もう深淵種アビスは討伐された」

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