第125話 非常事態

「何か周りが騒がしいような……?」


 演説アピールを終え、からからの喉を潤していたエステルが、ふと零した一言だ。

 エステルの言葉にエディットが長い耳に意識を集中する。


「これは……戦闘……ですね」


「エディの言う通りのようです。はっきりとは見えませんが。あの巨体は……『海逆叉グラオルガ』ではないかと」


 海逆叉グラオルガ

 中央大陸ミンドール南大陸バルバトス間の海を主戦場とする魔獣である。

 鯱にも似た姿だが、大きさは三倍以上の個体も目撃されている。

 背中に幾重にも連なった怪しく黒光る鋭い棘の鱗。

 獲物を容易に噛み千切るに相応しい禍々しい牙。

 そして、強靭な顎を兼ね備えた海の殺戮者である。


 ルリーテが船室の丸窓から見えた事実にエステルも覗き込むと。


海逆叉グラオルガはすごい数の群れで行動するっていうけど……いったい……何匹いるの……? 海が埋め尽くされてるような……」


「一度、甲板に出ましょうっ!」


「エディに賛成です。何か手伝えることがあるかもしれません」


 エディットの掛け声を合図に船室から飛び出す三種さんにん

 他の船室からも通路内を覗く者が多数おり、この異変にどう行動するかを決めあぐねているようにも見えた。


 甲板に続く扉を開けると、指示の声が忙しなく飛び交う騎士たちの姿が真っ先に目に飛び込んでくる。


 立ち止まることなく、勢いのままに近場の騎士へエステルが駆け寄り、


「あの――何かお手伝いできることはありませんか?」


「いや――前に出ることはない! お前たちがこれから南大陸バルバトスでの冒険やクエストを請け負うように、今この場は……守護を請け負った俺たちが責任をもって収める! 任せておけ!」


 飛び出してきたエステルたちを制止しつつ、頼もしい言葉が投げられた。

 事実として、迫りくる海逆叉グラオルガの群れに対して連携を取り、中位の詩、時に上位の詩まで織り込んだ多段攻撃により船に一切近づけることがない。


 下手に大型の客船とせず、小回りの効く中型船を使った利点がここにきて意味を見出していた。


「すごい……これが南大陸バルバトスの騎士や探求士……なんだね」


「役割と指示がとても迅速でありながら、的確です。これが『力を合わせる』ということなのでしょう……」


 帆柱マストの上に備えられた見張り台には、章術士と見られる種物じんぶつもいる。

 巧みに星を操り、戦場を操作コントロールしつつ指示を出す姿は、エステルが思い描く章術士そのものだ。


「あ……の……あれ、なんですか――? 岩……じゃないですよね? 動いてますよね?」


 騎士や章術士の姿に見惚れていたエステルとルリーテに、エディットの震えた声が届く。

 小さな手が示すその先、南大陸バルバトス側の海に薄っすらと見える黒い塊。

 遠目ではあるが、この距離で視認できるという事実がその巨大さを物語っている。


「あれって……海逆叉グラオルガ……? あんな成長って……深淵種アビス!?」


「そんな……深淵種アビスは周辺の自然魔力ナトラを莫大に食らう怪物です。だからこそ近場に複数存在することは滅多にない……はず」


「黒い塊……五個見えますよね……」


 自身が戦っているわけではないとはいえ、胸中は穏やかではない。

 エステルたちの乗る客船よりも明らかに巨大、かつ海という条件は、陸地中心の戦いをしてきた彼女たちにとって未知の領域だ。


海逆叉グラオルガ深淵種アビス個体、五体確認――ッ!! 迎撃の陣形を整え――ッ!!」


 見張り台から章術士の声が飛ぶ。

 即座に魔獣駆除から深淵種アビス対応の戦い方へ切り替えているのだ。

 重装甲の騎士がまとまって船に飛び乗り、密集した船団の先陣に向かい始めている。


「動じる様子なんてぜんぜんないんだ……歴戦の――えっ?」


 騎士たちの淀みない動きに目を見張るエステルが、言葉を詰まらせた。

 だが、それは彼女だけ……いや、ルリーテやエディットたちだけではない。

 船上の騎士やギルド所属の探求士さえも、揃って驚愕と共にその事態に瞠目した。


「なに……あれ……」


 エステルの瞳が映し出したもの。

 五体の深淵種アビスが海底から突き出した岩に突如貫かれ、その巨躯を無防備にちゅうへ曝け出していた。


『ギュギ――ッ!! ギィイィイーーッ!!』


 自然現象ではない。

 貫いた岩はいずれも鋭利な先端を持ち、魔術または魔法を行使したことは確実であった。

 種々ひとびと同様に不意をつかれた深淵種アビスたちは、悲鳴ととれるような鳴き声と共に、その巨躯で力の限り藻搔くも、下手をすれば山と見間違えるほどの巨大な岩はビクともしない。


 さらに――


「え……ちょっと……なにかが――ッ!!」


「わっ!! あっという間ですよ!!」


 深淵種アビスが岩に貫かれもがいていた矢先。

 ルリーテとエディットが揃って声をあげた。


 海底からではなく南大陸バルバトス側から、深淵種アビスの巨躯を仕留めるに相応しい巨大な炎が岩を溶かし、さらに深淵種アビスを貫いたのだ。


 炎の矢とも、炎の角とも言える豪然たる炎の塊。

 貫かれた穴から、黒い煙が立ち上ると同時に、海水をたっぷりと含んでいることもお構いなしと言うようにその体を焼き尽くす。

 あまりにも無常、かつ唐突な出来事に船団は、ただただ海逆叉グラオルガの絶命を告げる叫喚を耳で拾うだけだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る