第86話 涙目

「アドニス!! 怪触蛸獣クラーケンを早く仕留めて!!」


「アドニスさんお願い!! キーマさんを助けて!」


 その姿を確認した直後、挨拶などそっちのけでナディアとエステルが叫ぶ。

 だが、視線をアドニスに映した直後に地面が爆ぜるような轟音が響き渡った。

 それは怪触蛸獣クラーケンが、振り上げた触手を叩きつけた音に他ならない。


「キーマさん!! やだよ……――」


 エステルがその音に釣られ対岸へ視線を向けた時、触手を誰もいない地に叩きつけた怪触蛸獣クラーケンとキーマを横抱きでかかえる青年の姿を見た。



「状況がよく分からないけど、どう考えてもお姉さんは見た目からして優しそうだったからね。キーマさんってのは今知ったけど。こんなに可愛らしいお姉さんだったとは思ってもいなかった……」


「――え……あのセキ……さん?」


「はい! でも、『セキ』で良いですよ?」


 抱えられたキーマが戸惑いながらも、セキと向き合う。

 だが、その背後では怪触蛸獣クラーケンが魔法を発動させるべく吸盤が淡い光を発し始めていた。


「セキ――ッ!! 怪触蛸獣クラーケンはすごい水圧を飛ばしてくる!! キーマさんとこっちに!!」


 エステルがさらに声を張り上げる。


「エステルさん。もう心配はいらない。そうでなければ僕が捩じり潰してたから」


 だが、歩いてきたアドニスの言葉に疑問を抱いた時、怪触蛸獣クラーケンの体は糊付けを忘れたパズルのごとく、ぽろぽろと崩れ出し、切り刻まれたその身はただの肉片と化していった。


 その過程を見届けると、セキもエステルたちの元へ跳躍ジャンプする。


怪触蛸獣クラーケンがほんとにいるとは思ってなかったけど……間に合ってよかった……ほんとにおれが来た意味が一切なくなるところだった……」


「状況はなんとなく分かったけど、ナディア頑張ったみたいだね。大事な時に側に居ることができなくてすまない……」


 ついさっき殺し合いをした二種ふたりが、揃って顔を出す状況にエステルもナディアも驚きを隠せない。

 しかし、今はキーマの無事を喜び、皆がキーマに飛び込んでいくばかりであった。



◇◆

 涙でぐしゃぐしゃになった顔をこれでもか、というほどにキーマへ擦り付けた女性陣。

 しかし、ひとしきり感動を味わった後、次はキーマが涙目になるほど、エステル、ルリーテ、エディット、ナディアによる説教が始まっていた。


「きみがエステルさんたちと共に冒険するセキくんだね? それとこっちがナディアさんのパートナーのアドニスくん」


「はい。ドライさんですね。覚えましたよ!」


「ええ。ナディアがお世話になったみたいで……」


 セキとアドニスへ確認をするとドライはエステルたちへそうしたように、その腰を深々と折った。


「キーマの命が助かったのは紛れもなく二種ふたりのおかげだ。こんなお礼で返せる恩ではないけど……それでもお礼を言わせてほしい……」


 しかし、その肩にアドニスの手が添えられると折った腰を戻すべく、上半身を引き起こした。


「それはおかしいです。状況だとあなたとキーマさん……そしてジャワさんはナディアやエステルさんのためにその身を投げうってあの状況を打破しようとしてくれた。お礼を言うのはこちらのほうです」


「その通りですね。おれたちもさすがに深層の下にこんな空洞があるとは想像が……だからこちらこそ……本当にありがとうございます」


 起こしたドライへ対して、アドニスとセキが頭を下げる。

 ドライはどう受け止めてよいか困惑している様子で視線を泳がせていた。


 そして、その間もキーマへの説教は一向に終わる気配を感じさせないあたり、別の意味で恐怖である。


 気が付けば膝を折り正座になったままで、延々と周りを取り囲まれている様子だ。

 もうキーマを顔を上げることすら許されず俯いたまま顔さえ見えない。

 だが、そこで締めとも思われる怒声が響き終わると、その後に呟いたキーマの言葉だけは、その場の全員が聞き取ることができた。


「ず……ずみ゛ま゛ぜんでぢだ……」


 見えずとも涙と鼻水に塗れた顔を想像することは容易であった。



◇◆

「――と言うことでこれを持ってってください」


 セキが差し出したのは、肉片と化した怪触蛸獣クラーケンの中で、魔力源や装備の素材として利用できる『左目』と『右目』そして『触手の一部』だった。

 魔力凝縮後はかなり小さくなっており、持ち運ぶことは可能なサイズとなっている。

 その他の部位は『目』と『触手の一部』に魔力を吸われ尽くしたようで、灰に還っていた。


「――いや、いくらなんでもこれは……せめて売るなりして分配とか……セキくんに権利はあるだろうし、エステルさんがパーティの垣根を超えて輪を作ってくれた結果でもあるんだし……」


「そ、そうさね……禍獣の部位なんてめったに手に入るものじゃないし、何より討伐したのはセキくんさね……」


 ドライもキーマも差し出したセキへ手の平を向け、断固拒否の姿勢を示している。

 しかし。


「そうは言ってもこの『水』の部位を一番有効に使えるのはドライさんだけですよ? なので、ドライさんが魔力源として使って残りは売るか交換? で、キーマさんの魔力源を確保がよさそうな気がします。キーマさんは『火』ですからね」


 セキは差し出した手を引っ込めることはなく、二種ふたりを見ながら根拠を口にした。


「――あ、いや好んで使っているだけで、精霊との契約はまだだし分からないんだ……」


「私もドライと一緒さね……そうなれればとは思ってはいるけど……」


 セキの言葉に咄嗟に口にするが、


「大丈夫ですよ……セキがそう言うならね。加護精霊ならまだ属性を気にする必要はないでしょうし、加護精霊から昇格して三原精霊、またはさらに上位の祝福精霊だとするならセキの言った通りの属性も含まれることになるので」


 アドニスが補足を唇に乗せる。セキとアドニスに迫られた以上、断る手立てを見失っている状態であり、さらに追い打ちというようにこの二種ふたりが口を開いた。


「あんな状況二度と許しませんけど……二種ふたりが揃ってこう言ってくれてる以上、この素材はキーマさんたちのものですよ!」


「その通りですわ! 少なくともあの状況で手を出せなかったわたくしたちでは資格はありませんわ。そして願わくば……そうして整えた姿をジャワさんの墓前で自慢してあげてほしいですわ……」


 ナディアは自身を守るため、その身を犠牲にしたジャワのことを決して忘れることはないだろう。

 そしてそれはアドニスも同様である。

 業鬼種オグルの誇りである『逆角』を引き抜くまでに至った、唯一無二のパートナーであるナディア。

 その命を救ってくれた恩はどのような形でも、相手が望む形で返すことを心に決めていた。


「あ……ありがとう! それなら――ありがたく受け取らせてもらう!」


「ひひっ。ジャワに見せたら叫ぶだろうさね……」


 セキから部位を受け取った時、ドライの意識に響く声。


『〈照射ラディウス〉』


「――えっ?」


 次の瞬間、ドライの手に乗っていた怪触蛸獣クラーケンの左目が灰に還っていた。


「お~象徴詩も適合したみたいですね。おめでとうございます!」


 予想していたのか、セキが口角を上げながら目を瞬かせるドライへ祝福の言葉を贈った。


「ええっ!! ドライちょっと後で話があるさね……」


 キーマの声色トーンが下がった声に一同の背筋に冷たい何かが這っていく。

 この場でこれ以上この話を掘り下げることを恐れたドライ。

 今は精霊を優先しよう、という誤魔化していると分かっていながらも同意せざるを得ない卑怯な言葉によって場を濁していた。


 残った『目』は衣嚢ポケットに収まるサイズとなっており、『触手』は一部のため、肩に巻きながら背負う。

 その姿を見たエステルたちも肩の力が抜けたように息を長々と吐き出している。


「これで一件落着ですねっ! キーマさんの目が怖いですが……じゃあ精霊さんを――……どこに探しにいきましょうか……」


 元気よく掛け声をかけるべく、喉を震わせたエディットだが、正直に言えば手詰まりである。


「諦める気はありませんが……怪触蛸獣クラーケンがこの深層下の空洞を根城にしていた以上、上を目指すしかないでしょう……」


 元々明確な目的地があったわけではないが、深層まで来た以上、ここから戻るということは、すでに精霊に出会う確率もかなり下がっているという現実が両肩に重く圧し掛かっていた。


 だが、先程からセキが視線を忙しなく動かしており、ルリーテの言葉にも反応している様子だ。


「セキ……? 何か気になることあるの?」


「――あ……えっとクラーケンあいつはここよりも下から来たの?」


 問いかけるエステルへセキが意図の見えない質問を返している。

 アドニスにもその理由が見えないようで、自然とその場の視線がセキに集中していた。


「そうですわ。あっちの通路を通っている最中に……地震かと思っていたら突如下からドーン! ですわっ!」


 セキは周りの崖に視線を向けながら、ナディアの返事に頷きを返していた。

 崖下に向けていた視線を左右に振りながらしばしの熟考をした後。


「うん……。アドニス」


「なんだい?」


「少しこの場任せていいか?」


「少しでなくとも何も問題はないよ」


「頼んだ。お前が死ぬのは構わないけど、他のひとはこれ以上、傷一つ許さないぞ?」


「きみが戻ってこなかったら、ちゃんとドライさんやエステルさんたちの契約を見届けて地上に送り返すことを約束するさ」


 他種たにんを挟まない二種ふたりのやりとりは相変わらずではあるが、お互いがお互いの実力に対して、無責任と言えるほどの信頼を寄せていることが目に見える会話である。

 意図の見えぬままに、セキは崖の暗闇の中へと飛び込んでいった。

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