1章 すれ違いの中央大陸

第3話 出会いと緋

「うぅ~……中央大陸ミンドールで初めてのクエストとはいっても……戦果が巨蛙ジャイアントフロッグ一匹だなんて……」

「はい……東大陸ヒュート巨鼠ジャイアントラット巨兎ジャイアントラビットの駆除と同じように考えていたのは甘かったようですね……ですが、精選を見据えて早めに中央大陸ミンドールに出向いて正解ではありましたね」


 エステルとルリーテは精選に向けて中央大陸ミンドールの『オカリナ』という村でクエストをこなしている。

 その理由は『精選せいせん』が中央大陸ミンドールで行われるため、事前に魔獣や地形に慣れておきたいという理由からだ。


 『精選』、正式名称は『精霊選別せいれいせんべつ』。


 探求士たちの主戦場と言っても過言ではない南大陸バルバトスに渡るためには、精霊と契約を結べるレベルでの『強さ』が最低条件となっている。

 精霊との契約は、より強い力、より強い魔力を引き出すことができるが、望む者全てができるわけではない。

 その資格を試す方法の一つとして、『精霊選別』という精霊の誕生に合わせた儀式である。

 儀式で精霊と契約をしていない者でも『精霊の囁き』に導かれ契約する者もいるがそれはあまりに現実的ではない。

 南大陸バルバトスの魔獣は日に日に強力になっていく。

 そこで国やギルドは探求士の安全と底上げを目的として『精霊選別』を外巻きながらに取り仕切り、精霊に認められた者に南大陸バルバトスでの冒険許可を出すようにしていた。 


「これじゃお母さんに仕送りなんてとてもじゃないけどできないよ~……」

「そもそもわたしたちの当面の生活費も危ないかもしれませんけどね……」


 東大陸ヒュートから拠点を移したふたりは、探求士向けの素泊まり宿に身を寄せていた。

 少女たちが泊まるには少々ワイルドというかボロいというか、とても年季の入った宿であるが、ゆえに宿代も安い。

 中央大陸ミンドールでの初クエストが散々な結果に終わったふたりは、反省も兼ねて宿で小さな木円卓テーブルを囲み話し合いをしている最中だった。


「えっと……一食を切り詰めて五コバルとしてふたりで三食……一日三十コバル。宿代も一泊二十コバル……消耗品を抜いても最低一日五十コバルですね……手持ちは五百コバルなので、およそ十日間しか持ちませんね……」


 石筆せきひつを走らせていた腕が力なく木円卓テーブルに落ちる。ろくにクエストがこなせない以上、彼女は現状でどれだけ持つのか計算しているが、計算を進めるに連れて表情はあからさまに暗くなっていった。


「で、でも精選を勝ち残る……ううん、精霊と契約を結べる強さを目指す以上、このままじゃダメなんだしっ……クエストをこなせるようにすれば少しはコバルだって貯められるはずだよっ!」

「そうですね……悪い方向に考えてばかりいてもしょうがないですし……まずは目の前のクエストを消化していきましょう! 東大陸ヒュートでのクエストも最初は苦労していたわけですしね……」


 エステルは木円卓テーブルに両手を突き、身を乗り出すように空元気に近い掛け声を振り絞る。実際に空元気だとしても、エステルの言うことが的を射ていることはたしかである。

 精選に参加するということは、南大陸バルバトスで冒険を行う準備ができていることと同義であり、南大陸バルバトスの魔獣の強さが中央大陸ミンドールとは比較にならないほどに強力である以上、ここでつまづいていてはとてもではないが、精選を生き残ることは難しい。

 そのことを理解したルリーテも気持ちを切り替えるべく掛け声に賛同の声を重ね、クエスト消化に向けて意識を前へと向ける、が。


「ま、まぁわたしが魔術学校で一星いっせいくらいの徽章術を使えるようになってれば、もっと楽だったんだけどね……それに星なしじゃ章術士なんて名乗れないし……」

「そ、それはこれからですよ……! それにエステル様はステア様から受け継いだ星があるじゃないですか!」


 章術士は扱える星の数で術者の実力がはっきり分かれる職である。

 一から八までの星があると伝えられており、扱える星が増えるほど強力な術を行使することが可能となっている。

 だが、エステルは魔術学校時代、一星いっせいさえ扱うことはできなかった。


「うん、学校ではこの星の扱い方はわからないみたいで……教会付属の学校だったらわかったかもだけど……」

「ですが……! あの星でも、引力を発生させて対象を引き寄せたりもできますしっ!」


 魔術学校時代を思い出し、先ほどの元気が失われていくエステルにルリーテは矢継ぎ早に言葉をかける。

 何より学校で扱い方がわからない、と言われた星はステアから受け継いだ思い出深い星なのだ。

 章術士は、一星いっせい以上を名乗るなら『プラネ』という星を一つ以上召喚し、扱えるようにならなければならない。

 エステルがステアから教わった術は『プラネ』ではなく『サテラ』という星を召喚し扱う術である。エステルの学校は、東大陸ヒュートに住む魔術士や章術士が無償で講師をしている参加自由な学校であった。

 ある程度の知識はあれど専門的な深い知識を持つ術士は教会付属等の有償の学校で講師を受け持つことが多く同じ学校という響きであれど内容は雲泥の差であった。

 さらに言えば教会付属の学校に通う術士の卵たちは全員とは言わないが、無償の学校に通う術士の卵たちを基本的に見下すことが多く、何かにつけては比較対象として目を付けバカにするという傾向があり、それはもちろんエステルも例外ではなかった。


「うん……わたしもそれは分かってる。だから一星を扱えるように頑張りもするけど、お母さんの星を捨てる気もない……お母さんの星と一緒に強くなっていくんだ……」

「はい! わたしも微力ながらお手伝いさせて頂きます……!」


 現状の確認を済ませた少女たちは今のままでは夢に届かないことを認識する。

 今は何もかもが足りていない状態。だからこそ、これ以上足りなくなることはきっとないということも感じている。

 後は足りないものを集めていくだけ、言葉にせずともふたりは胸の中で決意を固め。


 意気込みを新たに、ふたりは前へ踏み出していく――


◇◆

 翌朝、空に浮かぶ光星こうせいから、日光石ひこうせきの明かりが届き始める頃、エステルはひとり、村外れの草原で術の特訓をしていた。


「――〈一星観測リーメルゲイズ〉!」


 右手に握る徽杖バトンを大地に突き立て星招詩せいしょうしむ。

 ――だが、今まで通り『プラネ』が召喚される気配はなく、ただ草原の風の音が響くだけだった。


「はぁ……ほんとわたしって才能ないなぁ……一つでも呼べればぜんぜん違ってくるのに……」


 この修練はエステルの毎朝の日課である。

 ルリーテが起きないように、毎朝こそこそと部屋を抜け出し魔術の特訓に勤しむ。

 東大陸ヒュートにいた頃からの日々の努力ではあるが、現状では実を結んだという実感は湧いていないというのが彼女の本音ではあった。


「〈星之観測メルゲイズ〉……」


 両手で徽杖バトンを握りしめ、星招詩せいしょうしむ。

 エステルの視線の先に淡い光が収束しはじめ、何もなかった空間に『サテラ』が浮かびあがる。エステルの握りしめた拳よりも一回り大きい。

 星の誕生を見守ったエステルは即座に視線を近場の石へと移し。


「――〈引月ルナベル〉……!」


 か細くても、張り上げても、術の効果に違いはない。――だが、その詩一つ一つに想いを乗せるように星に指示を放つ。

 すると、三十CMセノルほどの石が引きずられるように『サテラ』に引き寄せられていく。


「〈下位風魔術カルス〉!!」


 エステルの突き出した左手から放出される風の刃が、引き寄せられた石の表面を削る。

 ――だが、石は割れず、表面に風の刃の傷跡が残る程度の威力だった。


「……これくらいの石もまだ割れないなんて……わたし適正低すぎかも……」


 毎朝特訓しては落ち込むの繰り返しを重ねてきたエステル。

 自分自身で成長をなかなか感じられない状況でも積み重ねていけば……、という一心で魔術学校時代からこの特訓を欠かしたことは今まで一度もなかった。

 昨日、ルリーテと今の状況の再確認をしたばかり。だが、決意をしても一向に進展のない自身の実力も、今再確認してしまう。


「そろそろ戻る時間かな……はぁ……」


 肩を落としながら足を引きずるように宿に向かい始める。

 その拍子にふと道の脇から草木が揺れる音が聞こえ、おもむろに目を向けると可愛らしい小柄なお尻がふりふりと揺れていた。

 状況から判断するとそのお尻の持ち主は野草を集めている、でなければそういう趣味だろう、と初見から失礼な意見を脳裏に巡らせる彼女だったが、少し悩んだ末にここで通り過ぎるのも味気ない、と考え思い切って挨拶を試みる。


「あ、あのっ……おはようございます!」


 ゆらゆらと揺れていたお尻がエステルの声に反応し、お尻の持ち主が四つん這いのまま顔をエステルに向けた。

 その頭の上には丸々とした手の平体躯サイズの白い小鳥が乗っている。


「えっ? あっ……おはようございます!」


 振り向いた少女はエステルを視認すると元気よく挨拶を返し、膝をついていたその体を跳ねさせるように立ち上がった。

 少女は修道士のようなマキシ丈の法衣ローブに身を包み、向日葵が咲いているかのようなその笑顔は褐色の肌と相まって弾むような活気を与えてくれる。

 また、エステルの目線の高さほどの小さめの体躯も活発な少女という印象に一役買っていることが伺え、耳が隠れる程度に整えられ笑顔を彩る緋色のショートヘアが風に揺られなびいている。

 大きな瞳を携えた容貌はまだまだ幼さを残しており、ルリーテもまだ幼さの残る顔立ちだが、少女はさらに年下であると判断した。


「えっと……こんなに朝早くに誰かに会えるとは思っていなくて……」

「ふふっ……あたしもびっくりしましたっ! 探求士さんの行き来が増える前にいつも野草を採取してるんですけど、行商さん以外でこの時間に声をかけられたのは初めてだったので!」


 声を掛けたはいいがどう話をすればいいか、戸惑いながら言葉を詰まらせるエステルに童顔に見合った元気な声で答える少女。職業柄なのかはエステルにとって定かではないが、初見のこの状況に戸惑っている様子は見受けられない。

 そういう意味では接し方に優れている彼女のほうがおとなびているのか、とエステルは考えてしまう。

 

「わ、わたしエステルって言います。最近この村に来たばかりで……」

「エステルさんですねっ……あたしは『エディット』、この子は『チピ』です! この村で半年ほど滞在してクエストをしていますっ!」

『……チピピッ!』


 エステルの自己紹介にエディットは小さな胸を張りながら自身の名と相棒パートナーである小鳥チピの名を告げると、それに合わせて挨拶するかのように、小鳥チピも鳴き声をあげ、片翼を上げる。

 ポジティブな性格なのだろう、と少し羨ましい気持ちがほんのり芽生えるエステル。

 エステルは過去の経験上、話をすることは嫌いではないが、臆病なところがあると自覚している。それもあってか、初対面でもはきはきと言葉を口にするエディットがとても眩しく見えた。


「クエストをこなしているってことは、エディットさんも今回の精選に……?」

「はいっ! パーティを組んでいる方たちと一緒に参加する予定ですっ! エステルさんもそのためにこの村にいらしたんですか……?」

「はい、わたしたちも参加しようとは思ってて……それで東大陸ヒュートから……まだ昨日来たばかりなので……」


 お互いに共通の目標を持つ者同士の親近感という名の居心地の良い空気が流れ始める。

 だが、エステルは昨日のクエストといい、いまだに上達を実感しない魔術のことといい、精選に参加するということを堂々と話すことに抵抗を感じていることも事実であった。

 その思いが知らないうちにエステルの視線を足元へと落としていく。


「それならお互い同じ目標ですねっ! 時期的にももうそろそろだろうってみなさんソワソワしているようですしっ! 不安はあっても、ここまできたら……もうぶつかっていくしかないと覚悟を決めていますっ!」

『チピィー!』


 エディットは意気込むように小さな手を握りしめチピも同意の声をあげる。

 エステルよりもまだ幼いであろう、そんなエディットが真っすぐな瞳で精選を見据えている。その姿を見ると固く結ばれていた口元がふっと綻び、自然と頬が緩んでしまうことにエステルは気が付いた。


「は……はい! 今回の精選がどんなものかわからないけど……でも、お互い全力で頑張りましょう……!」

「はいっ……!」


 ふさぎ込んでいても変わるものじゃない。楽しいことばかりでもない――

 だが、苦しいことばかりでもないことは、今までの小さな冒険でエステルが学んだ大切な気持ちの在り方である。


 昨日もルリーテと前に進み始めることを決意したばかり、ならば下を向くのは止め、前を見据えて歩くことが約束を交わした『あの少年』に追いつける唯一の道なのだ、と。


 時間にすればほんのわずかなひと時であった。

 しかし、エステルの心にかかっていた濃い霧の中にいるような気持ちを晴らすには、十分すぎる元気をこの少女からもらえたことは事実である。

 ほんの少しの勇気を振り絞り声を掛けた結果が、こんなにも心の在り方を変えてくれる出会いをもたらすことになるとは思ってもいなかった。

 いつの間にかエステルの苦手意識も解消されており、しばしの間草原に腰を下ろし、たわいもない話からクエストの話等に花を咲かせることとなった。

 段々と道行く探求士や行商が増えるにつれてふたりは我に返り、エディットは残りの野草を採取に森へ。

 エディットに別れの挨拶を告げたエステルは、ルリーテの待つ宿に向かう。

 彼女の小屋に向かう足取りは先ほどまでとは打って変わり、浮かれ気味な小気味良い足取りステップになっていることは気が付いていなかった――



「ただいまぁ……」


 ひっそりと小声で帰宅する癖がついていた。

 ルリーテは普段から、エステルが帰宅する前に起床し、朝食の準備を整えていてくれるが、もしもまだ寝ているなら、というエステルなりの配慮である。だが、今日も今まで同様ルリーテは起きて朝ご飯の支度を済ませていた。


「おはようございます……エステル様」

「あっ……ルリ……もう起きてたの? わたしも戻ってきてからのほうが一緒に準備できるのに……」


 素泊まり用の部屋ではあるが、部屋には簡易的な台所キッチンがついており軽食等は作れるようになっている。そこでルリーテが支度に使用した洗い物をしているところで彼女は帰宅した。


「うぅ……ありがとう……この村で特訓できるところを探すのに時間がかかっちゃって……」

「そういうことですか……たしかに地形は頭に入れておいたほうが何かと便利ですからね……ですが、それにしては何かうれしそうな……?」

「え? あれ? そうかな……?」


 食器の泡を水で洗い流しながら会話をするルリーテに明らかに心の迷いが晴れたような気持のいい笑顔が向けられていた。


(何か素敵なことでもあったのでしょう)


 エステルには見えないが、彼女の口角はうっすらと上がっていた――


◇◆

「ごちそうさま~っ! はい、これは紅石茶ね! あと残りの洗い物はわたしがやるからルリは休んでて?」


 ルリーテに淹れたての紅石茶を注いだティーカップを差し出すとエステルは食べ終えた食器を重ねて流しに運び始める。


「あっ……そんなことはわたしが――」


 ルリーテが遠慮気味なことを口にするとエステルがびしっと指を鼻先に向ける。


「も~……その言葉遣いはルリも慣れちゃっただろうからわたしも諦めてるけど……わたしたちは一緒に冒険していく『仲間』なんだからね……! お互いにできること一緒にやっていかないとだよっ! 料理はできないからわたしにできるのは食後のお茶淹れぐらいだけど……お菓子作りなら得意なんだけどなぁ……」


 言葉の最後にやや問題が見えるものの、エステルの伝えたいことは彼女ルリーテに届いている。

 自分を快く家族の一員として迎え入れてくれた、ステアエステルに何か恩返しをしたいと思い、始めた手伝いもすっかり習慣化していたルリーテ。

 家族という繋がり、さらに冒険を共にする仲間としてのエステルの言葉は、ルリーテの胸にほのかな熱を灯してくれる。


「は、はい……わかりました……じゃあ洗い物……お願いしますねっ」

「うんっ! 任せておいてっ……!」


 紅石茶に口を付けるとその甘味が喉奥に広がっていく。

 ルリーテの料理の腕前は母であるステア譲りであるが、紅石茶や黒石茶の淹れ方はエステルがルリーテの上をいく。

 体に広がる温かさに気を緩めていると、何かが割れる音を耳にする。

 水で滴った皿をエステルが拭いているであろう最中も、聞こえた気がしたが気のせいだろうか。

 普段のエステルからは考えられない凡ミスではあるが、気がはやる気持ちはルリーテも同様であるがゆえに何も言えない状態であった。


 エステルがこそこそと何かを袋に入れて外に出て行く姿を確認すると、ルリーテは食器棚へと足を向ける。

 するとそこには片付け終えたと思われる皿が『一枚』だけ食器棚で煌々と輝いていた――


「部屋に備え付けのお皿なのに……」

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