第2話 思い出と赤

 南大陸バルバトス北部では魔獣の咆哮と大地が悲鳴をあげているかのような轟音が絶え間なく鳴り響いていた――

 耳にするだけでも身が竦むその音は断末魔の音色を最後に止んだ。


 その怒号のような断末魔の主であった三つ首の魔獣『魂喰亡獣ケルベロス』は、力尽き身に纏っていた魔力の炎はたき火のように小さくか細く収縮していく――


 そして、その姿を見下ろすひとりの青年の姿がそこにあった。


「――さぁ、約束を果たしに行こう」


 ひとりの青年が南大陸バルバトス最北端の断崖から、東大陸ヒュートの方角を眺め決意を口にした――


「もう忘れとるんじゃないかの」


 青年の頭の上で語り掛けるは、力の象徴、自然の代行者、神の裁き――数え上げればキリがないほど伝承でうたわれた『竜』そのものだった。

 真紅の身体に頭部から後ろに向かって禍々しく伸びる双角。

 背中から生えた翼は畳んでいる状態でさえ魔力が抑えきれずに溢れ出ているかのようなを持ち、その口から覗く牙と両手両足に備わった爪は触れる者全て、いや触れずとも切り裂くかのような鋭い輝きを放っている。

 ――が、体躯サイズは手の平に収まるほどの小ささであり、神格化され伝承に謳われる威圧感は皆無であった。

 

 そんな竜が、青年の決意に心ない言葉を返すと。


 「どうして~お前は……おれが頑張って気持ちを盛り上げようとしてるのにそういうことを……」


 魔獣との戦闘で刻まれた大小の傷口を拭いながらがっくりと肩を落とす。

 青年の名はセキ。男にしては少々小柄な体躯を持ち、赤髪に黒の瞳をたずさえる青年は、髪よりもさらに鮮やかな深紅の外衣コートを身に纏い、背中に刀、背腰に小太刀を二本たずさえている。

 見た目だけで言えば関わることを考えてしまう物々しい姿でもある。

 そして竜の名はカグツチ、ひとりと一匹はとある少女との約束を果たすため大陸を渡ろうと港町を目指していた。


「十年前の約束の~我らのような長寿ならよいが、適受種ヒューマンにとっては忘れるに十分な時間かと思うがの」


 竜であるカグツチからしてみれば僅かであっても十年という歳月さいげつは心変わりをさせるには十分な時間である。それはセキもうすうす感じており、不安が滝のような汗と共に、つい口から零れる。


「そ……そりゃ忘れてることもあるかもしれない! しかも子供の時の約束だからな……! で、でも……それならまた改めて始めればいいだけさ! ――そう……おれと彼女の物語を……ね……」


 セキはどこに視点を合わせることもない遠い目をしながら風もない状況で無意味に髪をかき上げ、不安を払拭するかのように半ば強引な締めの台詞セリフを放つ。


「誰もがみな希望を見出してこそ踏み出せるというもの。よきよき……まぁそれが幻想という名の幻でもの」


 幼い子供をあやすような年季を感じさせるカグツチの言葉は青年の心に無数の棘として容易に突き刺さる。髪をかき上げたまま静止するセキは必至に反論の糸口を探しているが、


 「うるさいっ! 幻想かどうかしっかり見てろよ! 絶対あの子の母親みたいに綺麗で色っぽくて優しい女性になってるんだからな! ……まったく……もう行くぞ!」


 反論を諦めたセキは聞いている者が気持ちよくなるほどの負け犬の遠吠えを海に響かせる。

 討伐したての魂喰亡獣ケルベロスの亡骸を引きずりながら、大海を横目に港町に向かって歩き出す。


「よきよき……行動しないことには分からんからの。約束とその娘が綺麗に育っとるかどうかは我には関連が見えないが……さらに言うなら別嬪でもツガイの有無は別問題だが、それを確かめるためにも行動が必要だからの」


 カグツチの遠慮のない物言いを、分かりやすく耳を塞ぎながらやり過ごそうと試みる愚かな青年がそこにいた。事実は不明といえど自分にとって都合の悪い可能性を振り払おうともがく青年の姿ははたから見れば滑稽な姿であるが、カグツチにとっては冒険の刺激スパイスとして申し分ない姿だった。


「まぁそれはそれとしての……ちょっと待つがよい。我はこのままではまずいのではないかの?」 


 カグツチの問いかけに我に返ったかのようにはっと歩みを止めると同時に頭をかきながら悩む。


「ん~……竜はまずいよな……いや、嘘だ。竜じゃなくてもまずいけど、竜だともっとまずい気がする……でもお前、普段から衣嚢ポケットに入ってるんだから特に問題ないだろ?」


 頭の上から小気味よい拍子リズムでセキのおでこを叩くカグツチを上目にまじまじと見ながら言葉を呟く。

 それもそのはず。現在、竜など見かけることはできない。珍しいと騒がれるくらいならまだしもそうはならず、高確率で恐怖に怯えることになる、と考えを巡らせる。

 崇められる対象でもあったが今の魔獣と比較してあまりにも突出した強さを持つ竜はやはり恐怖の対象となることが容易に想像することができる。

 もちろん今の世の中では竜の恐怖を直接見た者は少ないが語り紡がれた歴史はそう物語っている。


「ふむ……説明不足だったの。まぁそれはそれで良いのだがの。我の心配としてはもうひとつある」


 右手に見える大海を眺めながら竜に似合わぬ不安気な表情を見せると。


「お前が竜という事実と同じくらいの心配事なんてそうそうないんじゃないか?」

「むぅ……我が東大陸ヒュートに渡ると恐らく大陸ごと消滅する。正確に言うと東大陸ヒュートで我の力を使うと、かの。たぶんまぁ中央大陸ミンドールでも似たような状況かの」


 淡々と語るカグツチにセキは目を見開くとゆっくりとその指先でカグツチを掴み、目と目で通じ合うように見つめ合い丁寧に問いかける。


「よし……それはどう考えても説明不足だよな……? おれに分かりやすく言ってみろ……」


 笑顔のまま、顔を近づけてくるセキの圧力プレッシャーに押し切られるようにカグツチが理由を語りだす。

 戦闘以外では間の抜けたセキからは考えられない目力である。


「理由は知らないがの。この南大陸バルバトスと違って東大陸ヒュート中央大陸ミンドールは大陸じたいの自然魔力ナトラが弱すぎる。大陸が直視できずとも、自然魔力ナトラの強弱くらいなら匂いでわかるからの。まぁそれが過去の大戦の影響かは分からんが……というか東大陸ヒュートとかそもそも行ったことがないのでわからんの」

「強い魔獣でも生まれそうなのかな? まぁそれはそれとして東大陸ヒュート自然魔力ナトラが弱いのは分かったけど、そこにお前が行くとどうして大陸が爆発するんだ? 供給不足で弱体化してガリガリになるとかなら面白いからすぐに向かうけど――」


 セキは先ほどの恨みを晴らせるチャンスとして最大限この情報を活用しようという強い意思が見える。それはこの真っすぐ濁った瞳を見れば一目瞭然である。

 その瞳を細目で見つめ返すカグツチはやれやれ、といった表情をセキに向けながらもその口を開き説明を始めた。


「竜とは自然そのものだからのぉ……過去の大戦でも存在じたいが天災と言われる竜もおった。我の場合は崇められまくりだがの。まぁようするに我を満たすほどの自然魔力ナトラがない以上、自然魔力ナトラ枯渇こかつ、そして枯渇した大地は形を保つことすら叶わず崩壊するということだのぉ……間違っても爆発はしないのぉ……」


 カグツチの淡々とした説明とは裏腹にセキの脳裏には沈みゆく大陸の姿が脳裏にはっきりと思い浮かび、引いていた汗が再度セキの額を小気味よく流れ落ちていく。


「そういう事実はもっと緊張感を持って説明しろや……でもカグツチお前ほどではないにしろ、上位の精霊とかだって割といるだろ?」

 

 カグツチを掴む指先がぎりぎりと締め上げる音を響かせつつ問いかけを続けるセキ。

 

「我はたしかにお前の精霊扱いだが、竜自身が自然魔力ナトラを際限なく食らうような存在だからの。お主が我の力を使う際に一瞬ではあるが我自身を顕現する際にドカ食いしてしまうんだの。まぁようするに燃費が悪いってことだの」

「二年か……長いようで短い付き合いだったな……な~に出会いもあれば別れもある! それが生きていく上での醍醐味ってやつだろ?」

 

 カグツチを締め付ける指先の拘束を解くと同時に地面に落ちるカグツチ、その姿を見据えながら青年は指で鼻頭をこすりつつ、草原に吹く一陣の風のような爽やかさを持って別れの言葉を告げた。

 

「セキ! お主我を置いて行くというのか! 我と契約を結んでいる以上お主は他の精霊と契約を結ぶことも叶わんのだぞ……ファファッ……言っとる意味がわかるかのぉ……」


 してやったりの表情でセキを見上げながら凄むカグツチだが、今度はセキが両手の平を空に向けるような手振りジェスチャー、さらに呆れ返ったかのような表情をしながら、右手の指がゆらり、とカグツチを指す。


「そもそも東大陸ヒュートは精霊と契約前の探求士たんきゅうしばっかりだろ……? 全員が全員そうとは言わないけどな。でも……カグツチお前という偉大な竜のかさねを倒したおれが東大陸ヒュートの冒険がきついとでも……?」

「うむ、大丈夫だの、むしろ余裕だの。まぁ何と言っても偉大な我の分精霊を倒しているのだからの」


 偉大な竜という言葉に乗せられあっさりと認めるカグツチ。しかしここで諦めるようないさぎよさは持ち合わせていない。


「むぅ……よし、我が加護精霊かごせいれい級まで力を落とすぞ。そうすれば付いていけるからの。東大陸ヒュートであれば、セキに精霊の力は必要ないから戦闘でも支障はないであろ」


 あっさりとした物言いで解決案を提示するカグツチだが――


「そこまでして付いて来たいのか……? というか……置いていくのは冗談にせよ、加護精霊級までってお前ほんとにいいのか? なんだろう……竜の誇りとか矜持きょうじとかそういうものは簡単に捨てるものじゃないんじゃ……」


 竜としての生き様はセキに理解は難しい、なぜなら価値観が根本的に異なるためである。

 だが、その価値観の違いは埋めるための溝ではないとセキは常々思っている。それは価値観が違うからこそ一緒に冒険をして面白い、という至って単純シンプルな答えをセキは持っているためだ。

 だからこそ、絶対的な強者である竜が力を手放すということに、どれだけ抵抗があってもおかしくないとも思っている。

 

「うむ、言い方が悪かったかの。お前の持つ紅玉ルビーに力のほとんどを封印してほしいということだの」

「ん~……言い方というかほんとにいいのか? それで……」


 たしかにそれならば出し入れを自然魔力ナトラが満たされた場所で行えば大陸に影響はでない。しかし元に戻れるからといって竜自身が弱体化した姿を見せることじたい抵抗はないのだろうかとセキは考える。

 それは彼自身が己の弱さを憎み、呪い、力を求めて狂気と言えるほどの戦いの日々を過ごしてきたからこその考えである。

 現状も手の平体躯サイズであることはたしかだが。

 

「ファッハッハッ……セキ……お主は顔によくでるのぉ……まぁお主自身も力を求めて旅を続けていた以上、一時的とは言え我が自身の力を捨てるということへのいきどおりなどを考えてしまうのかの」


 気持ちを代弁したカグツチの言葉に視線を下げながら深いため息を漏らす。

 そんな青年を見上げながらカグツチは諭すように言葉を続ける。

 

「だがの……お主との旅もそうだが今の世の営みというものは実におもしろい……ここでお主と別れるも、お主を待つも、それはあの洞窟にいた無益な虚無の日々と何も変わらなくなってしまうからの……あとあそこ暑かったしの」


 カグツチは竜らしからぬ――生命の頂点に立つ竜が見せる表情とは思えぬほどの、かげりのあるわびしげな表情でセキをその瞳に映す。最後の一言がなければセキにももう少し響いていたことは確実である。


「ん~永遠の灰色よりも一瞬の虹色のほうが見たいってことだろ? はぁ……わかったよ」


 セキの上手いことを言ってまとめて良い雰囲気にしてやったぞ、という自負が空気中に漂う。

 その癪に障る表情を身体ごと焼き払いたい衝動に駆られるが、今の姿ではそれも叶わないということを心の中で盛大に悔やみつつ、ひとまずおとなしく聞き流した体をとったカグツチはゆっくりとその眼を閉じる。


「それでは紅玉ルビーを前に置いてもらえるかの」


 その言葉を受け、右手で紐を持ちながら背負っていた筒状の荷物入れの中から、深紅の宝石を取り出しカグツチの足元に置く。

 宝石を置いた後、一瞬の静寂が訪れる――。

 淡く赤い光がカグツチから発せられるとセキでさえ身構えるほどの自然魔力ナトラが溢れ出し、その魔力はかつて最強の名を欲しいままにした『竜』を形作る。


 一度形作られた強大な竜の自然魔力ナトラがじょじょに宝石に注ぎ込まれていく。

 そして徐々にカグツチから発する魔力が小さくなっていくと、比例するようにその禍々しい自然魔力ナトラの威圧感も収束していく――


 光が弱くなり完全に消えた時、偉大な竜が佇んでいたはずのその場所には――

 

 赤いトカゲが鎮座していた。

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