第2話 思い出と赤
耳にするだけでも身が竦むその音は断末魔の音色を最後に止んだ。
その怒号のような断末魔の主であった三つ首の魔獣『
そして、その姿を見下ろすひとりの青年の姿がそこにあった。
「――さぁ、約束を果たしに行こう」
ひとりの青年が
「もう忘れとるんじゃないかの」
青年の頭の上で語り掛けるは、力の象徴、自然の代行者、神の裁き――数え上げればキリがないほど伝承で
真紅の身体に頭部から後ろに向かって禍々しく伸びる双角。
背中から生えた翼は畳んでいる状態でさえ魔力が抑えきれずに溢れ出ているかのようなハリを持ち、その口から覗く牙と両手両足に備わった爪は触れる者全て、いや触れずとも切り裂くかのような鋭い輝きを放っている。
――が、
そんな竜が、青年の決意に心ない言葉を返すと。
「どうして~お前は……おれが頑張って気持ちを盛り上げようとしてるのにそういうことを……」
魔獣との戦闘で刻まれた大小の傷口を拭いながらがっくりと肩を落とす。
青年の名はセキ。男にしては少々小柄な体躯を持ち、赤髪に黒の瞳を
見た目だけで言えば関わることを考えてしまう物々しい姿でもある。
そして竜の名はカグツチ、ひとりと一匹はとある少女との約束を果たすため大陸を渡ろうと港町を目指していた。
「十年前の約束の~我らのような長寿ならよいが、
竜であるカグツチからしてみれば僅かであっても十年という
「そ……そりゃ忘れてることもあるかもしれない! しかも子供の時の約束だからな……! で、でも……それならまた改めて始めればいいだけさ! ――そう……おれと彼女の物語を……ね……」
セキはどこに視点を合わせることもない遠い目をしながら風もない状況で無意味に髪をかき上げ、不安を払拭するかのように半ば強引な締めの
「誰もがみな希望を見出してこそ踏み出せるというもの。よきよき……まぁそれが幻想という名の幻でもの」
幼い子供をあやすような年季を感じさせるカグツチの言葉は青年の心に無数の棘として容易に突き刺さる。髪をかき上げたまま静止するセキは必至に反論の糸口を探しているが、
「うるさいっ! 幻想かどうかしっかり見てろよ! 絶対あの子の母親みたいに綺麗で色っぽくて優しい女性になってるんだからな! ……まったく……もう行くぞ!」
反論を諦めたセキは聞いている者が気持ちよくなるほどの負け犬の遠吠えを海に響かせる。
討伐したての
「よきよき……行動しないことには分からんからの。約束とその娘が綺麗に育っとるかどうかは我には関連が見えないが……さらに言うなら別嬪でもツガイの有無は別問題だが、それを確かめるためにも行動が必要だからの」
カグツチの遠慮のない物言いを、分かりやすく耳を塞ぎながらやり過ごそうと試みる愚かな青年がそこにいた。事実は不明といえど自分にとって都合の悪い可能性を振り払おうともがく青年の姿は
「まぁそれはそれとしての……ちょっと待つがよい。我はこのままではまずいのではないかの?」
カグツチの問いかけに我に返ったかのようにはっと歩みを止めると同時に頭をかきながら悩む。
「ん~……竜はまずいよな……いや、嘘だ。竜じゃなくてもまずいけど、竜だともっとまずい気がする……でもお前、普段から
頭の上から小気味よい
それもそのはず。現在、竜など見かけることはできない。珍しいと騒がれるくらいならまだしもそうはならず、高確率で恐怖に怯えることになる、と考えを巡らせる。
崇められる対象でもあったが今の魔獣と比較してあまりにも突出した強さを持つ竜はやはり恐怖の対象となることが容易に想像することができる。
もちろん今の世の中では竜の恐怖を直接見た者は少ないが語り紡がれた歴史はそう物語っている。
「ふむ……説明不足だったの。まぁそれはそれで良いのだがの。我の心配としてはもうひとつある」
右手に見える大海を眺めながら竜に似合わぬ不安気な表情を見せると。
「お前が竜という事実と同じくらいの心配事なんてそうそうないんじゃないか?」
「むぅ……我が
淡々と語るカグツチにセキは目を見開くとゆっくりとその指先でカグツチを掴み、目と目で通じ合うように見つめ合い丁寧に問いかける。
「よし……それはどう考えても説明不足だよな……? おれに分かりやすく言ってみろ……」
笑顔のまま、顔を近づけてくるセキの
戦闘以外では間の抜けたセキからは考えられない目力である。
「理由は知らないがの。この
「強い魔獣でも生まれそうなのかな? まぁそれはそれとして
セキは先ほどの恨みを晴らせるチャンスとして最大限この情報を活用しようという強い意思が見える。それはこの真っすぐ濁った瞳を見れば一目瞭然である。
その瞳を細目で見つめ返すカグツチはやれやれ、といった表情をセキに向けながらもその口を開き説明を始めた。
「竜とは自然そのものだからのぉ……過去の大戦でも存在じたいが天災と言われる竜もおった。我の場合は崇められまくりだがの。まぁようするに我を満たすほどの
カグツチの淡々とした説明とは裏腹にセキの脳裏には沈みゆく大陸の姿が脳裏にはっきりと思い浮かび、引いていた汗が再度セキの額を小気味よく流れ落ちていく。
「そういう事実はもっと緊張感を持って説明しろや……でも
カグツチを掴む指先がぎりぎりと締め上げる音を響かせつつ問いかけを続けるセキ。
「我はたしかにお前の精霊扱いだが、竜自身が
「二年か……長いようで短い付き合いだったな……な~に出会いもあれば別れもある! それが生きていく上での醍醐味ってやつだろ?」
カグツチを締め付ける指先の拘束を解くと同時に地面に落ちるカグツチ、その姿を見据えながら青年は指で鼻頭を
「セキ! お主我を置いて行くというのか! 我と契約を結んでいる以上お主は他の精霊と契約を結ぶことも叶わんのだぞ……ファファッ……言っとる意味がわかるかのぉ……」
してやったりの表情でセキを見上げながら凄むカグツチだが、今度はセキが両手の平を空に向けるような
「そもそも
「うむ、大丈夫だの、むしろ余裕だの。まぁ何と言っても偉大な我の分精霊を倒しているのだからの」
偉大な竜という言葉に乗せられあっさりと認めるカグツチ。しかしここで諦めるような
「むぅ……よし、我が
あっさりとした物言いで解決案を提示するカグツチだが――
「そこまでして付いて来たいのか……? というか……置いていくのは冗談にせよ、加護精霊級までってお前ほんとにいいのか? なんだろう……竜の誇りとか
竜としての生き様はセキに理解は難しい、なぜなら価値観が根本的に異なるためである。
だが、その価値観の違いは埋めるための溝ではないとセキは常々思っている。それは価値観が違うからこそ一緒に冒険をして面白い、という至って
だからこそ、絶対的な強者である竜が力を手放すということに、どれだけ抵抗があってもおかしくないとも思っている。
「うむ、言い方が悪かったかの。お前の持つ
「ん~……言い方というかほんとにいいのか? それで……」
たしかにそれならば出し入れを
それは彼自身が己の弱さを憎み、呪い、力を求めて狂気と言えるほどの戦いの日々を過ごしてきたからこその考えである。
現状も手の平
「ファッハッハッ……セキ……お主は顔によくでるのぉ……まぁお主自身も力を求めて旅を続けていた以上、一時的とは言え我が自身の力を捨てるということへの
気持ちを代弁したカグツチの言葉に視線を下げながら深いため息を漏らす。
そんな青年を見上げながらカグツチは諭すように言葉を続ける。
「だがの……お主との旅もそうだが今の世の営みというものは実におもしろい……ここでお主と別れるも、お主を待つも、それはあの洞窟にいた無益な虚無の日々と何も変わらなくなってしまうからの……あとあそこ暑かったしの」
カグツチは竜らしからぬ――生命の頂点に立つ竜が見せる表情とは思えぬほどの、
「ん~永遠の灰色よりも一瞬の虹色のほうが見たいってことだろ? はぁ……わかったよ」
セキの上手いことを言ってまとめて良い雰囲気にしてやったぞ、という自負が空気中に漂う。
その癪に障る表情を身体ごと焼き払いたい衝動に駆られるが、今の姿ではそれも叶わないということを心の中で盛大に悔やみつつ、ひとまずおとなしく聞き流した体をとったカグツチはゆっくりとその眼を閉じる。
「それでは
その言葉を受け、右手で紐を持ちながら背負っていた筒状の荷物入れの中から、深紅の宝石を取り出しカグツチの足元に置く。
宝石を置いた後、一瞬の静寂が訪れる――。
淡く赤い光がカグツチから発せられるとセキでさえ身構えるほどの
一度形作られた強大な竜の
そして徐々にカグツチから発する魔力が小さくなっていくと、比例するようにその禍々しい
光が弱くなり完全に消えた時、偉大な竜が佇んでいたはずのその場所には――
赤いトカゲが鎮座していた。
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