パレット探求記

赤ひげ

序章 プロローグ

第1話 旅立ちと翠

「やっぱり中央大陸ミンドール東大陸ヒュートに比べて魔獣も強い……これは油断できないね……」


 船乗帽マリンキャップを被った少女が、とぼとぼと歩きながら呟くように語り掛ける。


 帽子を被った少女の名は『エステル』。雪のように白い肌、精巧に作られたにんぎょうのような線の細い端正な顔立ちに、凛とした切れ長の目も相まって、実年齢よりもおとなびて見える。

 白と黒のモノトーンを基調としたミニスカートとモックネックのノースリーブ。その上に羽織るは章術士しょうじゅつしに多く見られる正装に似せた純白の短円套ショートマントだが。今は泥で彩られていた。

 普段は笑顔の一役を買っている両八重歯も今は鳴りを潜めて出番を伺っている。


「はい……一匹倒すのにここまで手間取るとは思っていませんでした……」


 話しかけられた少女もまた足取りが重く、その足取りに見合った沈んだ声から落胆している様子がはっきりと伺えた。


 共に歩く少女の名は『ルリーテ』。腰まで伸びた翠色の髪、同色の本来大きくつぶらな瞳はやや半眼気味に閉じがちだが、決して不機嫌というわけではない。また、その細身な体躯とは対照的に力強い意思を宿している。

 柔らかそうな頬とあどけなさが残るその顔はエステルとは対照的に心なしか幼い印象を与える。やや胸元が寂しく感じるがそれもご愛嬌という所だろう。

 そんな彼女の腰円套ウエストマントもエステル同様、泥にまみれていた。


巨蛙ジャイアントフロッグ……低ランクの魔獣だからと言っても……湿地帯であんなに跳ね回られると……舌も思ってたより長かったし……ルリが上手く矢を当ててくれたからかすり傷くらいで済んだけど……」


 中央大陸ミンドールでの初の戦闘は想像していたよりも困難だった――


「初めての相手とはいえ、わたしも堅くなりすぎていました……不意を突かれたとはいえ立て直した直後の初撃をしっかり当てていれば……泥に足を取られた際に、皮手袋グローブも泥に塗れ……狙いが……」


 彼女は塗れた皮手袋グローブ越しに樹裸弓ベアボウを力強く握り唇を噛みしめながら視線を落としている。


「ううん! そんなこと言ったら……わたしだって徽杖バトンを舌で絡めとられちゃう失敗を……徽杖バトンさえちゃんと持ってれば引き寄せられたのに……」


 エステルもまた、戒めるように自身の失敗を口にする。

 エステルは『徽章術きしょうじゅつ』という魔術を行使こうしする。この術は『徽杖バトン』と呼ばれる杖を媒介に星に関連する奇跡を使役することができる。見た目はただのつえ棍棒こんぼうに見えるものが多いが、術者の魔力を吸い上げた際、魔力が杖の先端から、旗のように放出されることからこのような名前がついていた。

 魔術主体ということで攻撃魔術を扱う魔術師まじゅつしや、傷を癒す癒術士ゆじゅつしとも似ているが、行使する術はまったく異なりパーティの支援に特化している職である。

 だが強力な魔術を行使することが可能な魔術師、パーティの命を預かる癒術士と比べるとどうしても見劣りしてしまうというのが実情である。

 

「やっぱり実戦で徽章術を使うにはどんな状況でも慌てず心を落ち着けないとだよね……はぁ……この調子じゃ南大陸バルバトスに行くなんて――ううん、それでも頑張って精霊に認めてもらって……」


 気落ちしながらも、自分を奮い立たせるよう徽杖バトンを胸の前で握りしめる少女。その姿を横目で眺めているルリーテも、もやがかかっていた気持ちが晴れていくと同時に、自然と頬が緩んでいくことを実感していた。


「十年前に約束された方たち……でしたよね?」

「うん……あのひとたちは南大陸バルバトスからお父さんの最後の言葉と治療薬を届けにきてくれた――」


 あの日受け取った父の手紙。

 そこには娘であるエステルと妻への愛情が詰め込まれていた。そして何よりも幼いエステルが父に言った、たわいのない言葉を覚えていてくれたことに涙が止まらなかった。


『お父さんがけんじゅつをするなら、あたしがきしょうじゅつで助けてあげるからね!』


 子供の夢物語な約束を父は死の間際でさえ忘れず守れないことを詫びていた。


「あの時憧れるだけを止めたんだ……。絶対に章術士しょうじゅつしになって見せるって……! そして……その時……魔術のまの字も知らないわたしが口にする決意を笑わずに……真剣に聞いてくれた……」


 足取りの重さを忘れたように真っすぐな瞳が空へと向けられる。


『きみが章術士として南大陸バルバトスの冒険を目指すなら、おれがきみの剣……ん? 間違えた……刀になるよ!』


 手紙を届けに来た少年がエステルの拙い決意を頑張って受け止め少女の小さな手を包み込むように握りしめる。

 そして真っすぐに見つめると――


『――ううんっ! それはやだ!』


 子供ならではの無邪気な笑みに似つかわぬ厳しい答えが返される。


『だって……一緒に冒険するなら……『仲間』になってほしいから……!』


 顔を赤らめながら、その握りしめられた手を離さぬよう指先を絡める少女。

 それを見た少年も思わず俯き小さな声で「う、うん。わかった……!」と照れながらもそう返事をすると、少女は可愛らしい八重歯を覗かせながら笑いかけていた。


『ふふふっ……なんだかとっても素敵な星団せいだんになりそうね……もうほんとに可愛いんだから~! 私も入れてほしいな~! まぁ嫌だって言われても入っちゃうけどねっ!』


 少年の隣に佇んでいた美しい深紅の髪を結った女性も暖かい表情で喜びを頬に浮かべ賛同する。と同時に我慢できない、といったようにふたりを抱擁していた。


「約束覚えてるかな……? ほんとのこと言うと、覚えててくれるかちょっと不安。でもいいんだ! 会いに行くってあの時からずっと決めてたから!」


 決意を固めた『あの日』を振り返り、そっと彼女は帽子を脱ぐ――それと同時に帽子の中でまとめていた髪が風に揺られなびいていく。

 なびく髪に手櫛を通し帽子の中でまとめていた癖をほぐす。

 女性ならばなんてこともない仕草だが、その少女の髪は穢れを知らぬとでも言うような美しい白色をしていた。


白霧病はくむびょう


 ――精霊の加護を受けていない赤子が高確率で発症する。

 ――発症者は体内の肉体魔力アトラが侵食される。

 ――それに伴い髪が白く、視界から色が消えていく。

 ――肉体魔力アトラが食い尽くされた発症者の肉体は霧のように跡形もなく散る。

 ――発症者から感染することはない。


 数万を超える犠牲を生んだ病であり、現在では四散する者は極々わずかとなったが、それが治癒術と薬学の発展のおかげなのかさえ不明。完全な治療法は確立されておらず明確な原因も不明である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る