第199話 百肢獣

 背負っているわけではない。

 男の背中を見た四種よにんの気持ちが一致していた。


 ばっくりと開かされた背。

 通常、脊髄と呼ばれる器官があったであろう場所で蠢く百足ムカデ

 そう、脊髄がすでに変異しているのだ。


「……『百肢獣ルビアピード』」


 唾液を飲み込んだエディットがぽつりと呟いた。


 『百肢獣ルビアピード』。

 千獣に位置付けされる魔獣である。

 蟲としての規格サイズを忘れひとを捕食するに申し分ない巨躯を誇る大百足である。

 対で生やす足。歩肢が蜘蛛の肢のように長く、顎肢と呼ばれる牙代わりの肢はひとの胴体を容易に引きちぎる大きさと鋭さを持っている。


「こいつも……獣種じゅうじんだったのか……。そして……血に宿した魔獣はその大百足ってこと……かよッ!!」


動種混獣ライカンスロープ二体なんて、今のわたしたちじゃ相手にできないッ!! しかもこのひとの感情はもう破壊衝動で染まってる――)


 グレッグの悲痛な叫び。

 そして言葉を交わさずともエステルと寸分違わぬ思いを全員が抱いていた。

 だが、その思いを抱いた結果、選択した行動を違えたのだ。


(ここは下がって陣形を……)


 分が悪いからこそ、会敵の勢いに搦めとられぬよう距離をとる、というエステルの思考。

 分が悪いからこそ、相手が整う前に先手を打つ、というルリーテたちの思考。


 どちらの言い分にも利が垣間見える。

 だが、確実に言えることは危険リスクの天秤が傾いたということだった。


 エステルが思考に費やした僅かな時間。

 その瞬きに満たない時間が経った時。


 腕を引き抜こうとする動種混獣ライカンスロープへ、ルリーテが飛び掛かったのだ。

 ほぼ同時にグレッグもエステルの盾となるべく地を蹴りだしている。


「――ルリ!?」


 さらにエディットがエステルの横を風を切り裂いて走り去った時、声を置き去りとしていた。


「エステルさん――使います」


 ルリーテの小太刀が幾多の肢のうちの一つを切り飛ばすも、残りの肢先が無数の槍のようにルリーテへ襲い掛かる――が、突如動きを止め、


「――〈戦士のミヴェルス〉」


 さらに瞬間的に止めていた肢を、背後に飛び込んだエディットへ向けて跳ね上げた。


「ファ……――!? ガッ……ギッ……!!」


 左腕を突き出して構えていたエディットが詩を詠み終える直前。

 砲身とも言うべき腕が切り飛ばされた。


 緩やかに弧を描き、エディットの子供の如き小さな腕と体が宙を舞う。

 そこへ胴体を輪切りにするべく、肢が死神の鎌の如く振り下ろされた。


「〈引月ルナベル〉!! ぬぐぅ――ッ!! グゥゥ……――〈星之結界メルバリエ〉ェーッ!!」


 肢を引き寄せ、さらにエディットを魔力の膜で包み込む。

 だが、肢の一本さえも止められた時は数秒。

 引力を振り切った直後に振り下ろされた肢は、炎の膜に焼かれながらも腹部へ一撃を加えるとそのままエディットは地へ叩きつけられた。


「ぐッ!!! ぎぃ……――ッッ!!」


「貴様ァァ――ッ!!」


 瞬間的に激昂したルリーテが小太刀を振り下ろそうとするも、百足の下胴体部が横一線に薙ぎ払われた時、腹部がくぐもった音を立てた。

 それが骨の圧し折れる音だと理解したのは側面の岩に叩きつけられた後だった。


 動種混獣ライカンスロープは、ひとの顔部分を、足元で這いずるエディットへ向けた。

 右腕に百足の肢を纏わせ、円槍ランスの如き突起を作り出すと……さらに躊躇することなく、腕を突き出した。


「エディィィィーーー!! 〈星之煌きメルケルン〉!」


 エステルがエディットへ覆いかぶさり、自身も巻き込まれることを承知の上で、動種混獣ライカンスロープの眼前で星の行使による大爆発を起こした。


 爆風に背を焼かれる痛みなど感じる暇はなく、エステルが顔を上げた。

 至近距離の爆発にも関わらず、相手の突起は健在であり数多の肢のうちの二本が焦げて折れているだけであり、


『ア゛ア゛……――ギィッ!!!』


 声とも分からぬ奇声を発しながら、エステルもろとも串刺しにするべく槍を突き出した。


「オォォ――ッ!!! 〈振砕の下位風魔術ヴァイオラ・カルス〉!!」


 真横から飛び込んできたグレッグが魔力を纏った盾で円槍ランスを弾く。

 僅かに軌道を逸れた槍はエステルの肩口を穿ち、そのまま地面に突き刺さった。


「エディを連れて下がれッ!! ここは――ぐあっ――ッ!!」


 槍を作った肢とは逆。

 左手側の肢が鉤爪の如くグレッグの右腕を抉り、勢いのままに右手に握った盾を弾き飛ばす。


 咄嗟に残った左手の盾を上げようとするも、動種混獣ライカンスロープ本体が盾の上に足を乗せ持ち上げることすら叶わない。


「――オレから離れろ!!」


 瞬間的に盾から手を離し、背後でエディットを抱えたエステルを背中でさらに奥へ突き飛ばした。

 しかし、グレッグは未だ動種混獣ライカンスロープの射程圏内だ。


(ちぃッ!! 間に……合わねえ――)


 その証拠に。

 引ききった腕をまさに今、グレッグの胸元目掛け、突き出していた。


 ――――ッ!!


 槍が奏でた肉を突き破る音が、耳に纏わりつくような不快さを残す。

 現実であると告げるように、背中から突き出た突起がもたらした血飛沫は、小馬鹿にするように、ぬるり、と頬を舐めた。


 頬を拭った手に残るは、限りなく紫色に近い赤色の血。

 そしてグレッグは……


「テノン……お前――ッ!!」


 動種混獣ライカンスロープに胸を貫かれてなお、自分の前に立ち続けるテノンの背中を見上げていた。

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