第198話 違和感の行方

「オォオォーーッ!! 〈振砕の下位風魔術ヴァイオラ・カルス〉!! 思い出せェーー!! これが……馬鹿の一つ覚えのように詠んだ詩だろうがよおォーーッ!!」


 グレッグの振動を纏った盾が空を切った。


「速すぎますね――ッ!! テノン様聞こえていますか!!」


 さらに矢が射貫いた物は側面の岩盤だった。


「〈爪の下位炎魔術ウィグス・ファルス〉!! テノンさん我儘の代償です! って――」


 詠み終えた時、エディットの視界に相手を捉えることはできなかった。


「みんな追いかけすぎないで!!」


 崖の中腹の谷間とも言える場所。

 三方を剥き出しの岩に囲まれた岩場にエステルの叫びが反響していた。


 すでに彼女たちの姿は追いついた時のグレッグと同様。

 いや、今やそれ以上の傷を刻み込んでいた。

 回避主体で相手に接敵するも、対するテノンの速度が反応のさらに先を行った。

 掠めた爪が容易に肉を裂き、繰り出される蹴りの振動は骨まで浸透する。


 そんな中、一種ひとりに注意が向かぬよう、危険度リスクの天秤を揺らすエステルはかつてないほどに集中している。

 危機的状況を感じながらも……いや、感じているからこそ、鋭利に研ぎ澄まされていく感覚を覚えていた。


 呼び掛け。もとい戦闘を開始して数十分どころではない時間が過ぎ去った頃。


「ルリ。足元に牽制を!! エディとグレッグさん入れ替わって!!」


(やっぱり……おかしい……)


 エステルの思考が違和感を雑念ノイズとすることを拒否していた。

 しかし違和感を形作ることも、ましてや噛み砕くこともできない。


「グァアアアアア――――ッ!!」


 テノンの咆哮が峡谷を揺るがすたび、エステルの鼓動が跳ね上がる。

 荒ぐ吐息と胸の内を叩き続ける鼓動を誤魔化すべく、エステルは胸を握りしめた。


「テノォォォン!! もう……お前は――ッ!!」


 鍵の閉まった扉をただただ叩きノックし続ける行為はジリ貧とも呼べぬ愚行だ。


 ――呼びかける気力よりも先に……物理的な限界が来る。

 グレッグは己を朱色に染め上げたエステルたちを瞳に映し、より強く自覚していた。


 扉は……開かない。

 なぜなら意思はすでに失われているからだ。

 肉体を前に呼びかけノックを続けてもそれは虚しさだけを募らせる行為だと。


 その答えにたどり着くだけの刻を、エステルたちに与えられたことに感謝しつつも、決断を下した。


「エステルッ!! もう……もうこれ以上は――」


 グレッグがありったけの声に喉を震わせるも、


「――まだだよ!! わたしたちに配慮した決断なんてしたらダメ!!」


「もう根を上げるのですか……? 根気の足りない方ですね」


「あたしたちをなんて負い目に思考を費やしているから……――そんな言葉がでてしまうのですよっ!」


 彼女たちの静かながらも強烈な意思を込めた言葉に抑えられた。


 エステルが感じた違和感を、同じようにルリーテとエディットが感じ取っているからこそ、彼女たちは呼びかけノックを続ける意思を宿していたのだ。


 思考の全てを眼前のテノンへ注いでいるからこそ見えたもの。


 しかし。

 注いでいたからこそ見落としていた影が静かに崖上から舞い降りたのだ。


 着地と同時に岩盤に走ったひび割れ。

 それは薄氷の上に据えていた均衡をも揺るがす亀裂だと、誰もが直感した。


 意識の外から向けられた見落としに、思わずその場の誰もが落下点であるエステルの背後へ目を向ける。


『ギィッ……ア゛ア゛……――アァアアアアアア――ッ!!!』


 歓喜と叫喚を混ぜ込んだ呻きにも似た叫び。

 乱れた濃茶色の髪。

 革の衣類はすでに役目を終えたように無残な姿で体に引っ付いている。

 胸部に剥き出しの腫瘍は蠢くことを止め、すでに艶やかな光沢さえ纏っていた。


 そして、ひとの形でありながら、背後から覗く異質な存在。

 頭の後ろに見えるのは触覚。そして顎肢と呼ばれる牙にも似た部位だ。

 さらに背中から左右にいくつも伸びた『あし』――歩肢と呼ぶ方が正しいだろう。

 ひとの足とは異なる蟲が持つ部位だ。

 そう――この男は背後にひと並み以上の百足ムカデを背負っているように見えた。


「――ふざけっ!? ――エステル!! 逃げろッ!!」


 咄嗟に叫んだグレッグの声がエステルの耳に届き遮二無二、横に飛び込んだ。

 その直後、エステルの立っていた場所に、落下してきた男の腕が突き刺さる。


 腕を岩盤に突き刺し膝立ちとなった男の背中が露わとなった時、四種よにんは等しく眉をひそめ、揃って顔を歪めることとなった。

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