第200話 一分に満たない惨劇

「オォォーーッ!!」


 テノンの右爪が胸元を穿った肢の束を切り裂く。


『――ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』


 半狂乱のままに腕を抑える動種混獣ライカンスロープ

 支えを失ったテノンがフラつくままに歩を進め、距離を縮めていく。

 しかし、右腕及び右歩肢の大半を失ったとはいえ、この程度で活動を停止するはずもない。

 蟲の無機質な眼差しに憎しみという色が混ざりあった瞳がテノンに向けられた。


「――グレッ……! えぶっ……」


 血が喉に纏わりつき呼び切ることは叶わずも、ルリーテの声がグレッグに届く。

 視線を向けると抑えた口元から血を垂れ流すルリーテに意識を奪われる。が、視界の端に回転する何かを捉えた時、思わず体を仰け反らせた。


 音もなく地に突き刺さったのは小太刀だ。


 グレッグは小太刀に込められたルリーテの意図を即座に読み解く。

 地を蹴り、小太刀を拾い上げ、勢いのままに動種混獣ライカンスロープへ切り上げた。


「オォーーーッ! これならどうだァァァァ――ッ!!」


『ギィィィ――ア゛ア゛!!!』


 足元から真上に振るった小太刀が、動種混獣ライカンスロープの左半身を容易く両断する。

 さらに追撃を試みるが、動種混獣ライカンスロープは体を回転させる。


「こいつッ!! ぐぶぉ――ッ!!」


 結果、ルリーテも見舞われた下胴体部の一撃をグレッグもその身で味わうこととなり、岩盤に叩きつけられるという結末を迎える。


 しかし意識をグレッグに向けたこと。

 それが動種混獣ライカンスロープの敗因となった。



『――ギア゛ッ!? ギ……? ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッッ!!』


 瀕死のテノンが見舞った一撃。

 背後から穿たれた腕は脊髄の百足を引き千切り、胸元で鈍い光沢を放ち始めていた腫瘍ごと抉り抜いていた。

 異形の親指と小指の爪を持つテノンの手が、抉り抜いた腫瘍を握りつぶし、


『ア゛……ア゛……――』


 さらに腕を振り上げ首から頭をその強靭な爪が引き裂いた。

 奇声を張り上げていた動種混獣ライカンスロープは、静かにその膝を地に落とし、うつ伏せに崩れ落ちていく。


 その姿を見届けた後、テノンも役目を終えたかのように背後へと倒れ込んでいった。


 この惨劇と決着までに要した時間は、動種混獣ライカンスロープが降りて来た後、一分いっぷんにも満たない刻の中での出来事だった。




 エステルがエディットの元へ体を引きずりながらたどり着くと、足を引きずったグレッグがエディットの切り離された腕を持って近寄ってくる。


「エディ……! エディ……!」


「だ……大丈夫で……す……生き……てます」


 エステルが自身の短円套ショートマントを破り、エディットの左腕の止血を試みる。


「エステ……ルさん、ありがとう……ございます。でも……グレッグさん、あたしの腕……なんかより……早く……あたしを……テノンさんの元に……連れていってください」


 エディットの言葉にグレッグは首を振る。


「バカを言うな。まずは自分の心配をしてくれ。頼むから……な」


 エステルに抱き抱えられたエディットの胸元へ、拾い上げた左腕を置いた。

 その間、ルリーテも立ち上がることはできず、震える四肢で這うようにエステルの元へ向かっていた。


「腕……付けられるのか?」


 エディットが頷いたことを確認すると、近づいていたルリーテをエステルの元へ運ぶ。

 そこでようやくグレッグはテノンの元へ歩み寄っていった。


 テノンは倒れ込んだまま空を仰ぎ、浅い呼吸音だけを響かせたまま動きはない。


 グレッグは一歩踏みしめるたびに胸の内を叩き続ける鼓動が、より一層強くなることを感じた。

 テノンの横に立ち、渇き切った喉へ気休めの唾液を流し込むように喉を鳴らした。


 そこで、天を仰いでいた虚ろな瞳がゆっくりとグレッグへ向けられた。


「ちょっと……迷惑かけたみたいだな……グレイ」


 テノンの言葉、という衝撃が爪の先まで浸透していく。そんな浮遊感さえもグレッグに与えた一言だった。

 込み上げた思いを瞳から溢れさせるのは今ではない、と必死に衝動を抑える。


 その思いは後ろで見守っているエステルたちも例外ではなかった。


 エステルは二種ふたりがこれから刻むであろう時を邪魔せぬために、必死に口を抑える。

 だが、溢れる涙を抑えるすべはない。


 ルリーテは幾筋の涙の軌跡を頬に刻みながら、しゃくり上げる声を静かに峡谷へ響かせた。


 エディットは二種ふたりの姿から目を逸らし、自身の胸元に埋めるように顔を下げていた。


「お、おまえっ……! ば……――バカ言ってんじゃねえよ。これがちょっとに見えんのか?」


 そこで互いに見つめ合った時、自然と二種ふたりの口角が吊り上がり、軋む体を今は忘れ、肩を小刻みに揺らしていた。

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