第52話 騎士

 オカリナ村から西に向かった草原地帯。

 以前、ルリーテのラミナスの初詠みを行った場所へ一同は足を運んでいた。

 エディットの脱退騒動が落ち着きを見せた日の午後、クエストを中止としたことをこれ幸いとしてルリーテが全員に対してお願いをしたのだ。


「えーっと騎士エクウェスだっけ? 天士レグナスと似たような感じだけどどうなんだろう?」


「んと、物凄く強いひと天士レグナっていう称号を授与されて、そのひとの力を魔術として受け継いだひとが使えるのが天士レグナスなんだよね。それで天士レグナスは魔術そのものの原型となったひとを魔力で形作って、一連の攻撃を見舞ってくれるすごい魔術なの! これの利点は魔力の大きさに関係なく、そのひとの技を繰り出してくれるところなんだよっ!」


「称号が『天士レグナ』で術名が『天士レグナス』だっけ? どっちかの名前変えればいいのに……故郷だと称号のほうは『天士てんし』って呼んでたから頭が混乱する……」


 魔術に疎いセキに草原地帯に向かいながら説明を行うエステル。とても早口である。

 天士レグナスの術の強さを文献から知っている彼女は、鼻息を荒くしながら興奮を隠しきれない様子だ。


「はい、天士レグナという称号は突き詰めていくとさらに精霊に認められその方の本質を示す『二つ名』を頂くことも可能なそうです」


「それって南の『ランパーブ』の石碑に刻まれるっていう名前ですよね」


わたしも実物を見たことはありませんが、本種ほんにんの名前ではなく、『二つ名』が刻まれ歴史にその名を残すこととなります。スケールが大きすぎて頭がクラクラしますが……」


 ルリーテが補足をするとエディットがそれに乗る。類似の術と見なしている天士レグナスという術はある程度の認識があるが、騎士エクウェスは勤勉なエステル、古代詩エンシェントにも精通しているエディットも初耳という術であった。


「う~ん。ラミナスは納得できるんだよね。姉さんが一番得意な術だったから。でも騎士エクウェスなんてずっと一緒にいて使ったことは確実にないし、響きからして天士レグナスの劣化版? みたいなイメージあるなぁ……覚えてたけど使いどころがなかった可能性はあるけど」


「もしかしたら、天士レグナスを複象石で、とも考えましたが術名が異なるので……」


「うん。でも騎士とか戦士って騎士は多芸に秀でてて、戦士が一芸を突き詰めた、みたいなのは歴史的に見るとそういう傾向が強いみたいだよ? 騎乗するから~とかそういうのは後世でのお話みたい。わたしも本で読んだ程度だけど……」


 思い思いの解釈を交えながら歩き詰めると目的地である草原地帯へと到着する。ここまでに話した中で正解はあるのか、全員が気になっている所でもあり到着するや否や配置へと小走りで向かう。

 草原の真っ只中へルリーテが立つと、点在する岩の影へエステルとエディットがその身を隠す。

 前回同様に正面にはセキが立つという配置に収まった。


「それでは早速ですが……」


 ルリーテは気持ちを落ち着けその右手を突き出す。どのような術か定かではないがセキの姉が残した術である以上、胸を躍らせるなというほうが無理である。


「〈騎士の下位風魔術エクウェス・カルス〉……!!」


 ルリーテの詩がそよ風に乗り、束の間の静寂の後、突き出した右腕に翠色の稲妻が走ったように魔道管が浮き出てくる。

 魔道管とは術を使う際に魔力が通る道であり、才能溢れる術者ほどその道の数が多くなるものだ。

 普段の術を行使する程度ではこのようにはっきりと浮かび上がることはない。それがどういうことかをこの場にいる誰もが理解していなかった。


「こ……これ……は……」


 まだ術じたいは発動できていない状態にもかかわらずルリーテは苦悶の表情を浮かべている。


「ルリ……! 無理はしないで! どんな効果になるかもわからないんだし!」


 そのセキの言葉が届くか届かないかの刹那の時、ルリーテの右腕に浮かび上がった魔道管がより一層の輝きを放つ。

 輝きに導かれるように風がルリーテを中心に足元の草共々、渦を巻くように舞い上がった。

 眩い翠光が辺りを照らし出したその時、ルリーテの翠色の魔力が解き放たれる。

 解き放たれた魔力が徐々に明確な輪郭を成す。


 魔力が形作ったその者は髪を結った女性の姿であり、その手には刀と思われる武器さえも作られている。着色されるわけでもなく、翠色に包まれたままではあるが――

 その姿、形、武器はセキの最愛の姉であるカグヤの姿そのものだった。


 目の前で起こった事実に愕然としたまま身動きを忘れたセキ。

 エステルとエディットも呆然と立ち尽くすだけである。




 ――だが、それを許さぬと言わんばかりに、ルリーテの右腕は魔道管に沿って亀裂が走りその腕が爆ぜる。

 剥き出しになった骨はその形を保っていたが、肘から指先までを包んでいた肉はまるで百合の花が咲いたかのように捲れあがっていた。


「――ルリ!!」

「ルリさん……!!」


 そのまま背後に倒れこむルリーテの姿を見た瞬間に、二種ふたりは走り出していた。

 セキが致命的な出遅れを自覚する。セキの全ての感覚があの魔力が形作ったカグヤの姿に魅入られていた故の鈍さである。

 セキよりも先に駆け寄った二種ふたりは、ルリーテが放出した魔術の存在を完全に忘れていた。

 二種ふたりが射程圏に入った瞬間、魔力で形作られた彼女は迷うことなく、その手に持つ刀を薙いだ。

 その翠色の剣尖は少女二種ふたりが認識できる剣速ではない。振り切れば痛みとは無縁にその首が胴体に別れを告げることになる。


(まずいッ――――)


 セキが地を蹴り彼女と少女たちの間に割って入る。その手に持った小太刀で受け止めにかかった矢先、その剣尖は雷のごとく鋭角に軌道を変え、セキ自身の首元へと襲い掛かった。


(――やべェ……!)


 セキのもう片方の手に握られた薄切苦無クナイが、すんでのところでその刀を受け止めていた。

 カグヤの剣技そのものを誰よりも熟知しているセキだからこそ、あの状態から首元に刀身が食い込む程度で止めることができたのだ。

 受け止めてなお刀身から発せられる魔力の風は猛り狂い、首元の肉を食い荒らしていたが、やがて一連の攻撃動作を終えた彼女はその姿を自然魔力ナトラの流れへと還していった。



◇◆

「セキもその首の傷……どうにかしないと……!」

『チピィ……』


 すでに宿に戻り二時間程度が経過していた。

 あの後、セキが即座にルリーテとエディットを担ぎ全速力で宿を目指し、戻るや否やエディットは小部屋の寝具ベッドにルリーテを寝かせ、赤い百合の花のごとく咲き誇る腕だったもの、を治療している。

 セキたちからかなり遅れて到着したエステルも手伝いを買って出たが、エディット自身に制止され大部屋で祈る他ない状態だった。

 セキの首の傷も決して浅くはないがルリーテに比べれば微々たるものであり、エディットも放っておけない視線をセキに送ったが、何よりもルリーテを優先させてほしいとセキ自身が懇願していた。


「エステルもダイフクもありがと。でも大丈夫。これくらいの傷は南でしょっちゅう経験してるから。それとエディの治療後に本格的な治療が必要だよね? 大金がかかるならおれが南に戻って狩りをして稼いでくるから」


 努めて穏やかな口調で答えるセキ。意識しなければ先ほどの出来事に容易く心を乱されることが想像できていたからだ。

 自前で用意していた傷止め用の葉を首元に貼りつけ手で抑えつけている。このような傷の治療は今までも自身で行ってきた経験が生きていた。


「ありえんの……たかが下位ルス級の魔術でお主に血を流させるなど……」

「あれは……確実に姉さんの剣技だった。あの状態でおれの首がくっついてるのは日頃の行いの賜物だろうな」


 剣もとい刀の技量はカグヤとセキで比べた場合、互角もしくはセキに軍配があがることは生前から両者の共通認識だった。カグヤの恐ろしさはその剣技に加えて石精種ジュピア優位性アドバンテージである豊富な魔力量を行使し、強靭な象徴詩の魔術をも同時に乱発するという、その美しい容姿からは考えられないデタラメな暴を振り撒くことにあるからだ。

 だが、あれほどまでに心の乱れた状態のセキでは、感情を持たぬ魔力の塊であり、その上カグヤの力量を持っていた彼女の攻撃を受け切れたことじたいが奇跡と言って差し支えない事実でもあった。


「わたしたちが不用意すぎたのはわかってる……ほんとにごめん……」


 カグツチに軽口を叩いていたセキにエステルが、か細い唇を震わせて謝罪の意を示すが、


「違う。おれが動揺のあまり出遅れすぎた。二種ふたりのほうが遠いのに明らかにおれより早くルリの下へ駆けつけてくれたんだから」

「でも――」


 その時、小部屋の扉がゆっくりと開け放たれた。

 そこから顔をだしたのはエディットではなくルリーテであった。その右腕は痛々しく包帯で巻かれているが腕の形を成し、指先も同様に包帯で隠されているものの手の形をしていることが伺える。


「ご心配をおかけしました……」


 その姿に声を掛ける間もなく飛びつくエステルだが、セキは己を疑うかのようにその目を見開いている。

 カグツチとチピもルリーテの足元に集い安堵の吐息を漏らしていた。


似種草にじんそうで裂かれた肉の補強をして内部の血管周辺は血脈樹けつみゃくじゅの蔓で繋ぎました。無理をしない、かつ安静にしていれば一月ひとつきほどで安定して二月ほどで完治できるはずです。もしあたしが癒しラティアを覚えていればもっと――」

「いえ、エディそれは違います。貴方がいくら中位ライザ級の術を行使できたとしてもあの状態の腕は治せません。もっと上位の詩でなければ……だから、このパーティの治癒術士が貴方でなかったらわたしはきっと腕を諦めるか大金を払って治癒を行ってもらう必要があったと断言できます。ほんとに……本当に感謝しています」


 温かい安らぎの空気が二種ふたりの間に流れている。エディットの瞳を見据えて伝えたルリーテの心からの感謝の気持ちが、今朝起こったエディットの傷跡さえも覆うように。


「――え、ちょっと待って。なんであの腕が詩なしで治るの……?」


 その空気を台無しにする男に一同の視線が集まった。カグツチもルリーテの腕をまじまじと眺めて同じことを呟く寸前であったが、この空気を察しエステルたちに便乗することを決意していた。


「あ、そっか……セキはクヌガさんが隠し通しちゃったから腕のことを知らなかったんだよね」

「隠すって……クヌガさんの漁師らしい腕くらいちゃんと覚えてるけど……」

「いえ……あのセキ様。クヌガ様は過去に右腕の肉を魔獣に食いちぎられてしまっていたんです」

「うん。それでその治療をしたのがエディでその時に結構クヌガさん失礼なこと言ったみたいで掘り返さないでくれって……ね?」


 セキは探知を行えない分、目による索敵が得意だ。それは同時に観察眼にも直結する。ひとの傷跡等は時間が立てばたしかに目立たなくなるものではあるが、その跡を完全に隠すには、詩での治療を行うかその傷じたいを隠す治療を別途行う認識がある。

 そしてそれを行っていない傷跡ならば特に口には出さずともセキは気が付き、見分けを付けることなど容易であるはずだった。

 あれだけクヌガに絡まれてなお、セキが気が付かないほどの治療を詩を行使せずに行ったエディットにセキは驚愕を覚えていた。


「はい……当初はかなりな言われようでした……飲み薬のほうに辛味の香辛料を混ぜようかと思っていたくらいです」


 エディットが頬を膨らませながら当時の思いをはき出す。エステルとルリーテもエディットの治療薬の効果は、本種ほんにんからの治療でなくともクヌガたちからの治療で経験済のため、幾分驚きも軽減されていた結果である。


「あとセキさんそれ粘皮樹ねんひじゅの葉ですよね? 血止めに便利なのはいいですが、先に適切に消毒しないと効果が薄いので来てください」

「……はい」


 セキはカグヤとの旅や一種ひとり旅を数多くこなし、その数だけ大小数万の傷を自分で手当てしている。

 親代わりの種物じんぶつが癒術士なので治療をしてもらうことも少なくはなかったが、旅の途中ではそれも叶わず重症の手当も行いそれなりの自負があった。

 ひとの作業に茶々を入れるようなことを嫌うため口出しをする気も当初からなかったことは真実ではある。

 だが、セキはここでエディットの治療に対して文句を言うのは止めよう、改めてそう心に誓いを立てることとなった。

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