第156話 竜の力

「ぐあっ――ッ!!」


「きゃあッ!!」


 背中へ受けた衝撃に身を委ね、リディアを抱きしめたままに砂地を転がっていく。


「外れた!? たっ……助かったっスか!?」


「よ……よかった……今のうち……――え?」


 立ち上がり元居た場所へ目を向けたリディアがその身を硬直させた。

 その反応に釣られアロルドが振り向いた。


「リディアさんは美種びじんだから抱きしめたくなるのは分かるけどな~……実戦で相手から目を離すなって……お前はほんと物覚えが悪いなぁ……」


 砂地に残る真一文字の軌跡。

 周囲を彩るように飛び散った鮮血。


 そこに左足の膝から先を失ったセキが佇んでいた。


「まぁ盾になろうとした気概は認めるよ。おかげでお前を蹴り飛ばすだけでなんとか間に合ったからな」


 鋭利な刃で切断されたかのような傷口は、止め処なく朱の雫を砂漠に垂れ流している。

 さらに不意を突いた獅蠍混獣マンティコア自身、追撃の危険を感じたのか、大きく跳ね距離を確保していた。


「せ……セキくん……足……」


 リディアが口元を覆いながら囁いた言葉にセキが視線を向ける。


「心配いりませんよ。これくらいの怪我は慣れっこですし、リディアさんが無事で何よりなのでっ」


 状況を忘れたような自然な笑みをリディアに向ける。

 強がりですらなく、セキの本心から漏れ出た発言だと、なぜかこの場にいる誰もがそう理解した。

 さらに言うならば、痛みや苦痛を一切表情に出すことがないセキの仕草に、リディアはおろか、フィルレイアさえ、背筋に冷たいモノが走ったことは確かであった。


「アドニス! お前の詩で傷口塞げるか? 治癒である必要はなくてただ――」


わたしの詩で凍らせるわよ! でも貴方……戦い方が……」


 討伐という目的のために自分の体を失うことに一切の躊躇がない姿は、まるでひとの形をした別の生き物であるような感覚にさえ陥る。

 だが、フィルレイアはそれ以上の言葉を紡ぐことはなかった。


「助かる――できれば傷口を凍らせるだけじゃなくて、氷柱つららみたいに足の長さに合わせてもらえるとうれしいかな」


精選あの時も感じてたけど……セキきみは……まぁ今はそれどころじゃない……か。僕が前で時間を稼ぐ。その間に足を」


 距離を取った獅蠍混獣マンティコアに向かって歩を進めるアドニス。


「ナディア! そのまま奥の岩へ走ってほしいっス! リディアさんも!! ――って! ちょっと待つっス!!」


 これ以上の醜態、いや醜態を見せることすらできないほどに戦いの次元ステージが異なることを感じ取ったアロルドが避難の意思を明確に示した。


 しかし、その声よりも早くリディアが駆け出していたのだ。

 逃げるわけではなく、セキとの距離を縮めるように。


「――あ……さすがに危ないので」


 セキが横目と共に制止するように手の平を向けるとしゃがみ込む。

 そこでリディアが拾ったものは、


「こ……この足はちゃんと私が持っておくから……戦い終わったらくっつけられるように……」


「おぉ……ありがたいですけど、そんな大事そうに抱えると……」


 砂に塗れた傷口から溢れる血は、リディアの胸元を見る見るうちに赤く染め上げていく。


「終わったらちゃんと謝罪も……」


「おれが文句言うのはアロルドだけなので、リディアさんは特に……」


 どこまでも女性に甘いセキである。

 その言葉を聞くとリディアは首を振りながら、アロルドの元へと駆け出していった。


「そこまで徹底して甘いならそれはそれで美徳とでも言うのかしら?」


「美徳なんてこたーないよ。おれの体を構築する細胞たちが、美種びじんさんの前ではいい恰好を魅せろって叫ぶだけだから」


 すでにアドニスが交戦を開始しているにも関わらずの会話である。


「はぁ……それじゃ~塞ぐわよ。かなり冷たいけど我慢なさいな。それと――もうあの子たちのお守りもないからわたしも遠慮なく撃つわよ」


「ああ……アドニスももう地形を考慮してないようだし……」


 セキとフィルレイアの周囲を取り巻く空気が急速に張り詰めていく。

 竜の契約者たる者たちの心境の変化に大気が怯えるように――


「エステルたちに帰るって約束してるからな……いきなり破るわけにはいかないんだよ……――ッ!!」


 リディアに向けていたセキの穏やかな瞳が……獣のそれと変わり――


「竜の力の使い方。獅蠍混獣やつに教えてやろうか――」


 砂塵舞う地に響く咆哮が、死闘の幕開けを告げたのだった。

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