第113話 もう一つの落着

 大神殿から徒歩圏内。

 ここは貴族や上級の騎士が利用する宿の一室である。


「ワーグ!! ワーグどこだ!! 雇い主を置いて消えるとはどういうことだッ!!」


 静謐な雰囲気を醸し出していたはずの宿は、一種ひとりの男の怒号によって、破られた。

 勢いに任せて荒々しく自室のドアを開くエムスン。


「おや……エムスン卿。ご帰宅ですかい?」


 エムスンがグラスを片手に飄々と返事をするワーグに詰め寄り、


「何を暢気なことを抜かしいる!! あの状況でこの俺を残していくとはどういうことか説明しろ!!」


「まぁまぁ……そう怒鳴りなさんな。それにあの状況でやつらがあんたを殺すわけないでしょう?」


 手の平をエムスンに向けのんびりとした口調でなだめるも、一向に鼻息が収まる気配はない。

 そこに。


「キヒヒッ。 まぁおっさんそんないきり立つなって……」


 ワーグの背後の部屋から響く声。

 薄暗い闇から、限りなく白に近い金色の髪を揺らし、一種ひとりの男が現れた。


「『ファウスト』!! 貴様いるならなぜこなかった!! おかげで俺は――」


「落ち着けっておっさん……だが……よくやった……」


 エムスンの怒気など意にも介さず、目にかかった髪をかき上げる。

 凶暴さの欠片もない理性的な瞳は、温かみというものを宿すことはない。

 そんな冷たい瞳を若干細めながらエムスンに向けた。


「くくっ……そうですね。団長……まさかこんなところで石精種ジュピアにお目にかかれるとは……」


 ファウストの目に射貫かれ硬直するエムスンを余所に、ワーグが口元を吊り上げる。


「だが、アロルドだけならともかく……フィルレイアもいるんじゃ~なぁ……イースレスも挨拶だけして帰ってるわきゃねーしな」


「どうします? ここから港町ハープまではかなり警備に力を入れるでしょうし……港町ハープ周辺に何種なんにんか置いておくのはどうですかね?」


 

 ワインを注いだグラスを差し出しながら提案を行うワーグの意識は、すでにエムスンの存在を認識しているかさえ怪しい状態だ。

 ファウストは受け取ったワインを一口啜ると、


「だな……近年じゃまず見かけることなんてねえからな……邪魔が入らないタイミングを探るか……そうと決まりゃー……」


「くくっ……ええ。こんな町に用はないですね。伝達は入れておきますが、引き上げて備えるのがいいかと」


「――なっ!! 何を勝手ばかり言ってるんだ!! 高い金を払って契約してやったんだぞ!! おいファウスト!! 自分の立場を分かっているのか!」


 二種ふたりの方針が決定するや否やエムスンが激昂と共に口を挟みだす。

 その姿にワーグはこれ見よがしに溜息をつくが。


「あーおっさん。契約はここで満了だ。金を出せ。俺たちはもう引き上げるからよ」


「そっ……そんな理屈が通ると思っているのか!! 分かっているのか!? はぐれ星団のお前らなんぞこの俺が国に一声かけれ――」


 ファウストが放った言葉は到底許容できるものではない。

 エムスンは部屋に戻ってきた時以上に声を張り上げ、ファウストを指差した時、


「〈穿針の下位明魔術アキュラ・ハルス〉」


 ファウストが詩を呟くと。

 指先から放たれた指の太さ程度の白き針が、ブレることなくエムスンの額を音もなく貫いた。


 エムスンは貫かれた勢いのまま、どすっ、と一言も発することなく背後へ倒れる姿は種形にんぎょうのようであり、閉じることのない目が虚空を見つめていた。


「処理は後で団員呼んでやらせときますよ。金品は奪ってジャルーガルの屋敷のほうにも何種なんにんか向かわせるようにするんで」


「ああ。頼むぜ。ヒヒッ……まぁ石精種ジュピアの魔力の結晶に比べれば、このエムスンブタの財産なんざ……」


 額に穴を開けた張本人であるファウストは、エムスンに一瞥くれるどころか、嘲弄の一つもすることはなく、意識は魔力の結晶に向けられている。


「まぁまぁ……団長の言うことは最もですがね。いつの間にか団員がアホみたいに増えてるんで、ちんけな野盗じゃ維持できないんすよ」


「カスが群れたところでなぁ……まぁそっちは任せた。さぁ……準備に取り掛かるぞ」


 二種ふたりが去った後、部屋は静寂という落ち着きを取り戻し、残されたのは物言わぬ種形にんぎょうと化したエムスンだけだった。

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