第43話 真実の行方

 灰と化した宝石に言葉を失う。

 時間にして数秒にも満たないであろうその後にルリーテの意識に直接何かが語り掛ける。


「〈 ―――――― 〉」

「〈 ラミナス 〉」 

「〈 ―――――― 〉」 

「〈 ―――――― 〉」 

「〈 ―――――― 〉」  


 言葉なのかどうかさえ解らぬままルリーテの中へ流れ込む。

 だが、聞き取れた言葉は他の言葉とは異なりはっきりとルリーテの意識に刻まれることはなぜか実感できた。


『この言葉を聞いている貴方が誰かは分からない。でも……望むことができるなら私の大切な――最愛の弟に力を貸してあげてほしい。あの子はすぐに無茶をするから……そして受け入れてくれるならば私も貴方と共に…… ――〈 騎士エクウェス 〉』


 ルリーテの頭に響き渡ったその声は極めて優しく、日の光をふんだんに浴びた草原に立っているかのように足元から頬に至るまでを温もりで包み込み、あたかも抱きしめられているような錯覚に陥る。

 

「――リ……ルリ!」


 気が付くと両肩を掴み悲壮な表情で肩を揺さぶるエステルの姿がそこにあった。


「――え……わ、わたし……」

「突然のことでショックなのはわかるけど……大丈夫……?」


 エステルの言葉と自分の手の平で灰と化した宝石を見た瞬間に自分が取り返しのつかないことを犯したという自覚が溢れ出す。

 自分では止めることなどできないほどに両手は震えあがり、灰化した宝石はその隙間からこぼれていく。


「――わ……たし……そんな……そんなつもりで宝石をみたわけでは……」


 言い訳を口にしたいわけではなかった。この取り返しのつかない事態をどうすればいいのか。ルリーテは混乱パニックに陥った自身の頭で考えることすらできない。

 その様子を見たエステルがセキに向き直り、


「ち、違うのセキ……! さっきまでのルリの態度は失礼だったけど……でもこんなことになるなんて思ってもいなくて……」


 意識が定かですらないルリーテの代わりとしてセキに謝罪を口にする。

 だが、セキ自身が先ほどのルリーテ以上に心ここにあらず、とでも言うように灰になった宝石に目を奪われていた。


「せ、セキ……わざとじゃないからとか、そんなことで許されることじゃないのはわかってる……で、でも……この宝石がどれだけ大事なのかの意味だって……ルリはきっと誰よりもわかってるから……それにルリがたまたま受け取っただけでわたしだって同じにように見たいって思ってた……だから……」


 エステルの必死の懇願もセキの耳には届いていない。

 だが、その姿を見ていたルリーテが恐る恐るセキの前に踏み出していく。


「あ……の……謝罪で済むようなことではないと……十分理解して……います。で、ですが……これはわたしの招いた過ちです……なのでい、怒りの矛先はわたしだけに……わたしであればどんな罰でも……受ける覚悟です……だからどうか……」


 目の前に来たルリーテの、止まることのない震えを宿す手の平を、セキの目が追いかける。

 そこで一切微動だにしなかったセキが狼狽するルリーテの目を見つめ。


「灰に還ったってことは……ルリーテさんは……あの宝石から象徴詩を受け継ぐことができたの……?」


 言葉を放つセキは逼迫した祈りであるかのような焦燥感をその眼に宿らせている。

 ルリーテにはその真意は測りかねたが、ただありのままの事実を伝えることしかないことは理解していた。


「は……い……聞き取れなかった詩はありますが……理解できた詩もありました……」


 ルリーテがからからに乾いた喉を必死に震わせて出した答えにカグツチが言葉を紡ぐ。


「だから何度も言ったであろ? カグヤほどお主を大切に想っている者はおらんとの……」


 その言葉と共にセキの瞳から一筋の涙がこぼれ落ち、そのまま力無くその場に膝をついた。


「あの宝石は『濁結晶』じゃなかったんだ……姉さんの想いと共に『純結晶』を……」

「カグヤ自身最後の言葉でもお主に恨み言の一つも言わんかったんだからの……それをお主が認めなかっただけの話だからの。幸せの記憶と共に想いを残したカグヤをどうして信じてやれなかったんだかの……」

「――姉さんはっ!! やっとまともな暮らしを取り戻して……!! それを……それをおれなんかのために失って……エステルとの約束だってずっと……ずっと本気で楽しみにしてたんだよ!! それを失ってどうして納得できるだなんて思えるんだよ!!」


 涙と共に吐き出すようなセキの慟哭が静寂の闇に響き渡る。削れるほどに嚙み締めた歯は鈍い音をその耳に残し、床に落としたその手は血が滲み出るほどに強く握りしめられていた。

 己の弱さを呪うように身を震わせる青年がどれだけの眩しい思い出を塗り潰してしまったのか、どれだけの尊い記憶を焼き焦がしてしまったのか、目の前に立つ少女には想像もつかない。


「セキ……だから……」


 吠えるセキにそっと寄り添う。

 いくら思い出を塗り潰そうと記憶を焦がそうとセキとカグヤの積み重ねた大切な想いがなくなることなど決してない。二種ふたりのお互いを尊重し信頼しているからこそ分かり合える姿を、幼き日のエステルは羨望の眼差しで追いかけていたことは紛れもない事実だからだ。


「大事なセキを守れたからだよね……セキならきっと約束守ってくれるってカグヤお姉ちゃんは信じてたからだよね……」

「おれは姉さんのようにはなれない! ――魔術もろくに使えないただの刀でしかないんだよ!! 姉さんはなんだってできた……いつもおれのフォローばかりだった……おれじゃなくて姉さんが生き残ってればエステルのこれからの冒険だって――」


 両手を床につき懺悔のように言葉を叩きつけるセキを見てなお、エステルはセキの前に歩を進める。

 膝をつき、床を破壊するほどに力を込めているセキの手を包むように触れ。


「でも……わたしが欲しかったのは『刀』じゃないよ……もちろん魔術が得意な『魔術士』でもない。ひどいなセキ……忘れちゃったのかな……わたしは一緒に冒険をする『仲間』が欲しかったんだよ……あの時何もなかったわたしの言葉を信じてくれたきみが『仲間』として冒険をしてくれるって言ってくれたから……だからわたしは今ここにいることができた……」


 真っすぐに瞳を見つめ、『あの時』の言葉を胸に抱きセキの心に語りかけるように優しく言葉を紡ぐ。


「あ……の……」


 ルリーテもエステルの隣に膝をつき、セキを見つめる。


わたしはっきりと聞いたんです……『私の大切な最愛の弟に力を貸してあげてほしい』って……象徴石の継承で自身の言葉を残すには本当の気持ちでなければなりません……だから――」


 ルリーテの言葉と共にセキは言葉を失う。


「あっ……ああ……姉さん……」


 止め処なく溢れる涙。

 その涙はカグヤの死を引きずるために流していた潤滑油ではない。カグヤの死を受け止めて背負うために必要な区切りと決意の表れなのだろう。

 二種ふたりの少女は目の前の青年にそれ以上の言葉をかけることなく、ただそっと抱きしめ自身の温もりを与える。身体が感じる寒さではない、青年の心に必要な温もりを。

 些細なきっかけから生じた誤解の末にたどり着いた真実。

 セキが全てを背負うにはまだ早すぎるとも、共に背負う仲間を得た瞬間でもあった――



◇◆

「――死にたいんだが」

「まぁ止めんがの」


 昨晩、落ち着くまで見守っていたエステルとルリーテだが、セキ自身が心の整理をするための時間は必要と考えた末、自分たちの宿に戻っていた。

 光星の日差しが部屋に差し込む頃にセキは目を覚ますと頭を抱えながら物騒な言葉を吐いていた。


「あんな姿をいきなり二種ふたりに見せることになるなんて……」


 呪いの言葉を唱えるように苦悩する青年をカグツチは木円卓テーブルの上から眺めている。


「うむ……だが今そうやって軽口が叩けるということは、お主の胸に深々と刺さっていた棘も全てとは言わんが抜け始めたということなのかの……」

「うん……そうだな……あの二種ふたりにはいくら感謝してもしきれない……」

「おい、我はどうした」

「お前はヒノの件があるからダメだ」

「それはあやつが我の誇りプライドを上手く刺激してくるのが悪いんであっての……」


 日差しに負けないほどに心が晴れ渡ったセキが冗談交じりの会話をカグツチと交わしていると昨日のように扉を叩く音が聞こえる。


「――? はい、空いてますよー」


 大方予想はしていたが、セキの予想と違ったのはルリーテ一種ひとりが表れたことだった。


「あ……おはようございます……朝早くからすみません……」


 ルリーテは視線を落としながら小屋に入ると扉を丁寧に閉める。


「い、いや……別にそれは気にしてないけど……えっと……昨日はひどい醜態を見せることになって申し訳ないというか……」


 セキはしどろもどろになりながら、取り繕おうとするがルリーテは特に気にかける様子もなくセキの座る寝台ベッドの前に立つ。

 昨日とは全く異なるしおらしい雰囲気のルリーテにセキは鼓動を̝高めている。


「き、昨日のことというかうやむやになってしまったので……」

「え、うやむやというか……早く忘れてほしいというか……」


 油汗を流しながらルリーテから視線を外す。


「いえ……そ、そのことではなく……セキ様からわたしが象徴詩を奪ったこと……です。結果、大切にしていた宝石を奪ったのですから贖罪を……わ、わたしの出来ることであればなんでも……命がご所望であれば――」

「いや、逆だよ……ほんとに感謝してる。ルリーテさんが姉さんの意思をおれに伝えてくれなかったら……おれはずっと姉さんの想いを勝手に誤解したままだったんだから……だからそういう物騒なことはなしで……」


「で、ですが……」

「おれはあの『死結晶』は魔力源にしかならない『濁結晶』だと思ってた。姉さんには失礼だったけど……でも……ルリーテさんが受け継いでくれたことで『純結晶』……そうだね『象徴石』だったことがわかった。おれは覚えることができなかったんだしね。受け継ぐことができたルリーテさんが使ってくれればいい」


 ルリーテの瞳をじっと見つめながら感謝の意を伝える。

 だが、ルリーテはそれでも納得がいっていないようで表情に影を落としたままである。


「な、ならば本来はエステル様が受け継ぐべきだとわたしは思います……」

「ははっ! それはそれでありだったかもしれないけど、もう覚えちゃったんだから気にすることもないって……」

「いえ……手はあります……」


 思い詰めるルリーテの負担を少しでも軽くしようとするセキの前でルリーテが小さな手に不釣り合いだった皮の手袋をとる。

 露わになったルリーテの素手を見たセキが驚愕と言える表情の色を見せる。いや、素手ではなく正確に言えば『爪』だ。

 手袋の下に隠されていたその『爪』はセキやエステルのそれとは異なり翠玉の輝きを放つ宝石そのものだった――

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