第58話 リコダの魔獣

「警備が厳重なのは探求士の抜け駆け防止ってよりも魔獣討伐の意味のほうが強そうだな~」

「匂いに釣られてるのか淀みなく誕生地に向かっとったの」

『チピ~?』


 想像以上の警備体制を敷いているが、それに納得できるほど断続的に魔獣が現れるという状況に眉をひそめているセキ。

 セキの頭の上から共に眺めるカグツチにくわえ、チピも付いてきておりセキの肩で羽を休めながらつぶらな瞳で誕生地を見つめている。


「海側も警戒してるっても、結局海に浸ってる部分から侵入はされちゃってるよなぁ……」


 宿泊所とは異なる背の高い建物の上へ飛び移り、誕生地の周りの海へとその視界を広げると、目視できるだけでも数十体の魔獣が誕生地の珊瑚の中へと消えていくことが確認できている。


「中へ入り込めば精霊の食べ放題と思っとるからの。実際のところそんなに卵の数があるのかは知らんが、自然魔力ナトラの匂いはどんどん濃くなってるからのぉ。この匂いが安定した時が開始の合図ってところかの」

「安定する前に荒らしちゃうと卵にも影響ありそうだから、極力そっとしておくほうがいいんだろうね。警備も内部まで入らないように注意してるみたいだし」


 煙木タバコを取り出し火を点けると、今度は魔獣ではなく周辺の探求士や警備の騎士、兵士の観察を始めた。

 時折、魔獣が大挙して押し寄せる場面で危険はあるものの防衛の陣形を崩さずに安定して討伐する姿をセキは黙って見ていたが、


「警備は安定してるけど、そこらの窓から覗いてる貴族っぽいやつらの好奇の目はどうも好きになれないな……。ぶん殴りたくなる」

「まぁひとなんぞそういうもんであろ。それにそういうやつらばかりでもなさそうだしの」


 カグツチの細指が指し示す方向に視線を落とす。

 貴族風の男とその娘と思われる二種ふたりが従者と共に大量の食糧の差し入れをしているようで、警備の兵士や騎士たちが嬉々としてその荷を運んでいる姿が入り込んでくる。


「お~ほんとだ。嬉しい気持ちはわかるけどちょっと危ないな」


 セキが薄切苦無クナイの一枚を目に見えぬ速度で貴族の娘後方へと投げる。薄切苦無クナイは速度を落とすことなくその先の地中から突如として現れた『巨蠕虫ジャイアントワーム』を穿つ。

 ひとを丸飲みできるほどの巨大な円形の口を閉じることなく、巨体が音を立てて地に落ちる。

 開け放たれた口内は獲物をすり潰すためなのか、細かい牙が体の奥まで生えており、その牙を艶やかに彩っているのは消化液だった。


 貴族の娘は青ざめた顔でその亡骸から遠ざかっていく。


「きっとこれであの女の子が何かの拍子に真実を知って、甘いラブストーリーが始まるはず……」

「うむ。お主は期待を裏切らずに安定して失望させてくれるやつよの。黙っとりゃいいものを……」

『チピィ……』


 カグツチだけでなく、チピからも失望の声があがっていることはセキにもはっきりと通じている様子だ。

 セキは警備の目が引き締め直されたことを横目で確認すると、投げつけた薄切苦無クナイを引き寄せながら、軽やかに建物の上から飛び降りていった。



◇◆

「なんかエステル機嫌悪い?」


 宿泊所の最上階、夜光石が淡い光を町に届ける時間帯になり個別に行動していた面々が顔を合わせ開口一番の言葉であった。

 ちなみにチピは周辺の薬草確認から逃げ出しセキに付いていったことにより、エディットからびっくりするくらい説教を食らっている最中だ。


「ぬあぁ~! 雰囲気悪くしないように気を付けてたのにそういうこというー-!!」


 集合時点で口角をヒクつかせていた以上、怒りの矛先探しをしていたことが想像できるが、セキはセキで安易に踏み込んだことを悔やむばかりであった。

 ところどころでエステルの過去の恨み話まで遡るため、話の進みが想像以上に遅くなったが、セキたちに内容を伝えることには辛うじて成功した様子だった。


「わたしだってセキが来てくれてる以上、あの連れに何か文句言うつもりはないよ! いちいち突っかかってくるハーヴィがぁぁ――」


 名前を出すたびに咆えるエステルをなだめにかかるセキとルリーテ。だが、ルリーテの表情はどちらかと言えば笑顔に分類されるような朗らかな表情である。


「ハーヴィは万死に値しますが、一種ひとりで抱え込まずに言葉にして頂いてうれしいですね」


 背筋を伸ばしその目で弧を描きながら、ふいにルリーテがその気持ちを伝える。エステルは思いがけない言葉に目が夜空の星のようにまたたいている。

 ――が。


「ぬがぁぁー! うれしいですね、じゃないよー-! 顔を思い出すだけでもムカムカしてるっていうのにぃぃー-っ!」


 ルリーテが作り出そうとした空気も四散するほどの怒号を響かせるエステル。もう一つの怒号の持ち主であったエディットのほうは終わりを告げたようで、その象徴とも言える白い羽根を床に引きずり、とぼとぼとセキの元へ歩いてくるチピの姿がそこにあった。


「ダイフク~。今度からはおれも一緒に付き合うから、黙って逃げ出したらダメだぞ~それにほらっ――羽も汚しちゃって~」

『チィ……ピィ……』


(エディとセキのどちらが飼い主なのかわからなくなってきたの……)


 言葉と共に床に下ろした手の平へ飛び乗るチピ。セキは手の上で羽の埃を撫でるようにはたいている。

 まったくもう、と腰に手を当てて鋭い視線を向ける少女は、カグツチ同様の思いをエステルとルリーテも感じとっていたことに気がつくはずもなかった。



◇◆

「――って感じだったから、それなりの魔獣の数は覚悟しておいたほうがよさそうかも」


 エステルの逆立っていた毛先がやっと地に向き、話ができる状況になったこともあり、各自で得たこの町、そして精選情報の共有を行っていた。

 ルリーテももちろん参加はしているが、軽食作りをするためにキッチンから遠巻きに話を聞いており、時折問題なく動かせる右手を握っては開きその顔を綻ばせていた。

 大広間の木円卓テーブルでは、エステルが自前で用意していた魔獣の生態を記載した樹皮紙を広げている。


「うん。それでキーマさんからの話だと例えばセキが倒した『巨蠕虫ジャイアントワーム』なんだけど……そうやって内部に入りはするけど卵はそうそう見つからないから珊瑚じたいを食べちゃうみたいなの。これ……えっとわたしがクエスト記録と一緒に作ってる魔獣記録なんだけど……」

「そうですねっ。魔力をたっぷり含んだ珊瑚なので個体にも影響があるようで、強化されてしまうようです。それで区別のために呼び分けをしていて、この場合は『珊蠕虫コーラルワーム』というようにですね」


 エステルは自身で作成した魔獣記録の中から『巨蠕虫ジャイアントワーム』の注意事項に記載済の『珊蠕虫コーラルワーム』の項目へその白い指を走らせる。


 耳をそばだてていたセキもエステルとエディットの説明に顎を引き、納得の表情を見せた。単純な物量戦でも自身は問題ないが、悠長に契約している暇がなくなることは頭の片隅に留めながら。


「だから強化前ではあるけど、リコダのクエストはそういう魔獣を中心に戦っておいて慣れておこうと思ってるんだけど……」

「はい、わたしも賛成です」


 エステルの背後に二つの皿を持ったルリーテが賛同しながら現れる。以前にカグツチが焼き菓子を購入していたことを覚えていたようで、似たようなクッキーが皿の上へ所狭しと並べられていた。


「このような甘いお菓子はエステル様のほうが得意なのですが、夕食は用意されているので良い機会かと思い挑戦してみました」


 一つの皿を木円卓テーブルの中央へ、もう一つの皿は分かりやすくセキの前に置かれるが、そこにカグツチとチピも群がるため結果的にバランスの良い配置となったようだ。


「ふむ。素晴らしい配慮だの。あちらで食ったのも美味かったがこれはさらに美味いの……」


 丸形のクッキーを頬張り、ぽろぽろと欠片をこぼしながら満足そうに咀嚼を繰り返す。もう一つ両手で掴みあげると隣で控えていたチピに向ける。


『チピィーピ!』


 カグツチの持つクッキーをつつき欠片を次々と口に運んでいる。先ほどまでの落ち込んでいた姿から一変し、美味さに羽を広げてはしゃいでいる様子だ。


「そのほうがよさそうだね……数こなすためには動きの癖とか理解しといたほうがいいし」

「あたしも賛成ですねっ! 蠕虫ワーム系も普段はなかなか見かけないのであのウネウネに打撃が通るか確認しておきたいですっ」


 精選までの残り期間は残りわずか。

 キーマが表情を曇らせながら語った言葉は今でもエステルの胸に刻まれている。精霊に選ばれる資質は、このような努力でつかみ取れるかさえわからない現状ではあるが、最後まで足掻き尽くすことに、この場の誰一種ひとりとして迷いを持つ者はいなかった。



◇◆

巨蜥蜴ジャイアントリザードまだ生きてる! 巨蠕虫ジャイアントワームも一匹地中だから足元注意して!」


 エステルの指示が飛び、それに合わせてエディットが背後へと飛び退く。そこに間合いを強引に詰めようと襲い掛かる巨蜥蜴ジャイアントリザードの眉間を薄切苦無クナイが貫いた。


「後は巨蠕虫ジャイアントワームだけ! 位置が分からないから岩場の上へ!」


 見渡す限りに広がる泥炭の地。

 泥炭という命を終えた植物の堆積は、道連れを求めるかのごとく踏み込んだ者の足を引きずり込む。

 ところどころに泥にその身を食われているかのように沈みかけた岩が点在し、背の高い木々は湿原を取り囲むように生えているのみで近場にはその姿がない。

 少々冷たく心地よかった風も、光を帯びた草原とは比べ物にならず、鼻につく匂いを乗せた風はまるで死を運んでくるかのようだった。

 ここはリコダから北上した先に存在する湿原地帯。

 エステルたちはあれから十日間、この湿原地帯の一角に通い詰めクエストを兼ねた戦闘を続けていた。


「焦って降りないように気を付けよう!」

「はいっ! 危うく食べられるところでしたのでっ」


 エステルが位置を知らせるように自身の乗る岩を徽杖バトンで叩き続け蠕虫ワームを誘導している。このように手慣れた対応も十日間の積み重ねの結晶であった。

 現在もルリーテは後方待機のため戦闘には参加しておらず、手数が不足気味な状態である。

 初日から三日目まではこの問題が顕著に出ており、危険と判断した場合はセキも攻撃に参加するようにしていたが、四日目以降はほぼエステルとエディットで対処できるようになっていた。八日目以降はセキも軽く戦闘に加わりパーティとしての位置取りと戦闘を意識できるようにまでなっていた。


「エステルよ。エディから許しも出たので最後の一匹はルリに仕留めさせてはダメかの?」


 エステルの隣の岩でルリーテと共に待機しているカグツチから要望が入る。当のルリーテは『あの日』から一切戦闘行為は行わず、エディットの言いつけを忠実に守っていたかいがあり、昨晩、完治に向けて少しずつ右腕を使うことをエディットが許していた。


「エディ――ほんとにいいかな?」


 エステルもその気はあるようで、岩場の上で息を整えるエディットに尋ねる。


「はいっ! ちゃんと我慢して頂いたかいがあり、経過は順調です! ですがひさびさの魔力使用なので魔術は一回で様子を見て欲しいです!」


 エディットの答えにエステルがその視線をルリーテへ向ける。ルリーテはゆっくりとその視線に頷くと背負っていた樹裸弓ベアボウをその手に握りしめる。


「ルリ――おれに気にせず蠕虫ワームが出たら自分のタイミングで撃っていいよ。射線が重なっててもね」


 セキがルリーテの岩場の下に位置する湿地に飛び降りる。ここ最近は岩場の上で蠕虫ワームを誘導し、岩を這いずってくる際に迎撃していたが、ルリーテの位置から岩の影になることも想定されるため、セキは自身が身を隠すことができない代わりに蠕虫ワームも同様に無防備となる湿地へ誘導しようと試みていた。


「ありがとうございます。セキ様――〈弓の下位風魔術アルクス・カルス〉」

「うむ。言いつけも守れとったようだの」


 ルリーテの詩で翠色の魔力が脈打つように弓を包み込んでいく。ゆっくり――だが力強く明滅する魔力の光は解き放たれる時を待っていた。

 その魔力を眺めるカグツチもなぜかご満悦の様子だ。

 当のルリーテは粛然として岩場の上で構えており一切の気負いは見られない。

 そこにセキの顔目掛けて地中からその不快な鳴き声とともに巨蠕虫ジャイアントワームが姿を現した。


『ギギィーー!!』 


 その位置はちょうどセキが重なる位置ではあったがルリーテは刹那の迷いもなく、その引き絞った弦から指を離した。

 弦に押し出される矢筈に翠色の魔力が螺旋を描くように絡みつく。

 さらに弦から解き放たれた矢は矢筈から羽根へその魔力の螺旋を移しながら渦の勢いを増していく。

 鏃へ到達した魔力の螺旋は荒ぶりながら獲物へと飛び掛かった。

 セキが当然のように見切り頬を掠めていった矢は巨蠕虫ジャイアントワームの口内の牙をその暴風で削り取りながら喉奥を風の刃が食い破る。

 それでも勢いは衰えずその先の岩を荒々しく削りとっていき、矢が半分ほどその姿を岩の中へ隠した時、そのけたたましい唸り声を止めることとなった。


 撃った本種ほんにんでさえ呆然と立ち尽くしている状態に、


「ファッファッファ! まぁ我の言う通りにすればこんなもんかの」


 してやったりと叫ぶ一匹の竜の声だけが泥炭に染みこんでいった。

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