第294話 生き残り

 光沢が失われ、年季を感じさせるくすんだ銀。刃先が欠けても目的に支障はない、と言わんばかりの槍。

 眼光に宿す強烈な光は、蓄えた髭の印象とは不釣り合いなほどに鋭い。


「ご丁寧に門を開けるから期待しとったが……この盗っ人風情が……!」


「ま……待ってください。門を壊しちゃったのはすいません。まさかひとがいるとは思ってなくて……」


 エステルは一歩前へ歩み出る。だけに留まらず、深々と頭を下げた。その姿にグレッグたちも続くと、肩に圧し掛かっていた重りが落ちたように、老種ろうじんの気が緩んだ。

 彼女たちに向けていた切っ先を天に向け、片手を腰に添える。


「ふんっ。礼儀を知っとる以上、野盗扱いするのも無理があるな」


「爺さんがここの主? いくらなんでもここに――」


 最後尾から疑問を口にするセキへ、エステルが目力を込めた一睨みを送る。するとセキは幾度かの軽い頷きを返し、譲ります、といいたげに指先を向けた。


「この先のブロージェに向かってて……それで森の中にこんな大きい屋敷が見えて……ですね」


「ふんっ。なるほどな……だが、ブロージェはもう……」


「あ……それは知っています。わたしの生まれ故郷なんです。生まれたばかりなので覚えてないんですけど……一度見ておきたくて……」


「そう……か。それは申し訳ないことをしたな……」


 エステルの態度を見て、明らかに態度を軟化させた。さらに、生まれ故郷という言葉を聞くと、萎れた花のように力無く肩を落とす。


「すぐ出ていくので……お騒がせしてすい――」


「いや、待て。跡地まではまだ距離がある。ここで休んでいくといい」


 老種ろうじんの態度の変化は、訝しむよりもエステルたちに一つの関係を想起させた。「こっちじゃ」、と肩越しに投げる言葉に、彼女たちは無言の同意を確かめるよう頷き合い、老種ろうじんのあとへ続いていった。



◆◇

 門から見て屋敷の裏手に案内されると、奥に一軒家と呼んで差し支えない立派な木造家屋が姿を現す。年季は屋敷と同程度に見える。だが、住んでいる家は傷みにくいのだろう。町に連なる家屋と変わりは見えない。

 家に近づくと周囲を囲う壁の蔓が一部剝げており、出入り用と思われる小さな扉も見えた。


「まぁこの有り様では……誰か住んでるとは思わんじゃろな」


 言いながら老種ろうじんは、家の中へエステルたちを招き入れた。


「客など久しぶりすぎてな。まぁ自由に座ってくれ」


「はい……突然の訪問なのに、ありがとうございます」


 老種ろうじんは、慣れた手付きで鎧を脱ぐと、奥の部屋へ姿を消した。

 エステルを筆頭に、長椅子ソファーに腰を下ろす。


 通された部屋は応接室と思われる広めの部屋だ。吊るされた照明が優しく灯されている。外観の印象と同様にどの家具も古い。が、丁寧に使い込まれているようで、磨き上げられた木造家具特有の温かみを持ちながら、金属製に負けない艶をその身に帯びていた。

 特にエステルたちよりも背の高い柱時計は、まるで紙細工のように施された細かい透かし彫りも相まって、部屋の奥に鎮座しつつも存在感を醸し出している。


「まぁ大したもんはないが、体を休めるくらいはできる。それにブロージェのことなら少しは……――!?」


 今度は慣れない手つきで丸盆トレーに、カップを乗せて戻ってくる――が、明かりに照らされたエステルの顔を見るや否や、丸盆トレーを床に落とす。


「――あっ大丈夫ですか! 床拭きます」


 エステルが立ち上がると、老種ろうじんの視線も彼女の顔を追いかけた。さらに見開いた目が瞬きを挟むことなく、喉を震わせた。


「す……ステアちゃん……かい?」


 駆け寄ろうとしたエステルの動きが止まる。そして全員の視線が迷いなく、一点に向けられた。そう、立ち竦む老種ろうじんに――だ。


「お母さんを……知ってるんですか……?」


 床に落としたカップのことなど、すでに忘れているかのようにエステルに見入っている。さらにエステルの告げた言葉に肩を跳ねさせ、瞳を見つめたままに浅く頷いた。


「わたしはステアの娘……エステルです」


「あの……子が……あの赤ん坊だった子がこんなに大きく……本当に……本当に立派になって……」


 皺の目立つ顔へさらに深い皺を隠すように両手で覆う。そこで振り絞るように声を響かせると、老種ろうじんは両膝を床に落とした。



◆◇

「そうかい……ブレンのやつも……本当にすまなかったねぇ……」


「いえ……そんなことないです! あの魔獣は国をあげても討伐できなかったって……だから『モルト』さんが謝ることじゃないです……!」


 モルトと名乗った老種ろうじんはブロージェの門衛だったという。エステルがステアから聞いた話も含め、モルトに説明すると懐かしむような感情と、悔やむ感情が入り混じったように表情を強張らせていた。


「それでもやはり国……いや、民を守れなかったことは……守護を担うものとしてはのぉ……王も……最後まで悔んどった」


 魂までもが吐き出されてしまいそうな。そんなため息をつく。モルトにとって忘れることのない忌まわしい記憶そのもの、ということだろう。


「王は騎士団長にご子息を託し、最後まで国と共に在ったそうだ」


 天井を見上げる空虚な眼差し。モルトは口にすればするほどに鉛を飲み込んでいるかのように体が重く、そして息苦しさを感じていた。


「儂らはその前に国が各所に建てた避難宅を任された。そのうちの一つがここじゃ」


「だからあんなに大きな建物が……」


 それでも、償いの意味も込めた経緯の説明を止めることはなかった。それが自分の示すことができる誠意だと。しかもそれが顔見知りの娘であれば、なおさらだ。


「うむ。ご子息は無事に避難はできたそうじゃが、今どこにいるのかまではわからんくなってしまった……」


「そこにモルトさんも行かなかったんですか……?」


「騎士団の腕利きが付いていたからの。儂らは不測の事態に備え、逃げ込める場所を確保しておく役目……じゃな」


 滅びてもなお忠義を貫く姿勢。老いに負けることなどない、とモルトの瞳がエステルにそう語りかけている。


「だがまぁ……ブロージェが滅び、周辺の生態系も種々ひとびとにとって、悪い方向に崩れた」


 見えないはずの当時の状況が、映し出されているかのように、エステルたちはモルトの瞳から目を離すことができなかった。


「近場にあった町も、一つまた一つと無くなり……一緒に来た仲間たちも……失った」


 あくまでも平静を装っているが、目元の歪みは心の傷が癒えていない証拠だ。


「どこかの町に避難する……とかはダメだったんですか?」


「それも考えた……が、もし……万が一。何かがあってご子息がここに辿り着いたとき、誰もいなかったら――な~んて考えたら動くことができんかった」


 手を仰ぐように天に向ける。誰に告げられずとも、意味のない……いや、限りなく薄い、ということはモルト自身も自覚しているのだ。


「それに……最近――いや、十年近くか。魔獣もおとなしく……というよりもめっきりいなくなっての。ひとがいなくなったことで、逆に……安全になってしもうたのかもしれんな……」


 そこでモルトは軽く頬を叩いた。


「すまんすまん。気の滅入る話ばかりしてしまったの。だから……よかったらステアちゃんの話もしてやろう」

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