第78話 小鳥の願い

「み、見てくださいっ……また精霊さんたちが隙間から……!」


 セキを見送った後、少女たちはその場で精霊を待っていた。

 先ほどまで部屋を眩い光で彩っていた精霊たちは、居場所を求めて散開していくも、次々に床や壁の隙間から精霊の光が漏れ出てくる。

 だが、部屋に漂う光の粒は一つとして、少女たちへ興味の明滅を向ける者は現れなかった。

 当初弾ませていた胸も繰り返すにつれて、精霊の光が見えただけで心臓を握られるように締め付けられ、精霊を映す瞳も力強さが失われつつあった。


 いつしかエステルたちの佇む部屋から、珊瑚の放つ色とりどりの光に舞う精霊の姿はなくなっていた。


「奥へ……さらに奥へ進もう……百や二百でダメなら……千でも二千でも好機チャンスを掴み取りにいこう……!」


 エステルは自身の胸に当てた手を握りしめ、渇いた喉を必死に震わせた。諦め首を垂れるのは後でいい、そう言わんばかりに奥の道を見据えた彼女の表情は、不安を募らせる心を奮い立たせるかのように燦然と輝く瞳を携えていた。


「はい――ッ! 一つ……ただの一つの光を宿せればいいのですから! ここで諦める意味はありませんね……!」


「行きましょうっ! きっとあたしたちを認めれてくれる子はいるはずですからっ!」


 エステルに呼応した二種ふたりの少女も、浸食されつつあった怯えた心を振る立たせるように口を開いた。

 チピも主の意気込みを後押しするように鳴き、エステルの胸元に収まるカグツチもその瞳を閉じながら大きく頷いている。

 珊瑚の光が埋め尽くされた部屋から、淡い光が連なる通路へと足を向けた少女たちは、その足に込めた力で精一杯に地を蹴り、希望に向かって走り始めていた。



◇◆

 少女たちが向かった先は希望が食い物とされる惨劇の舞台だった。

 生まれた精霊の光が、次々と魔獣に喰われその短い命の灯を終える場面に立ち会ったエステルたちは魔獣の数に怯むことなく自身を奮い立たせていた。


「大岩の壁を背にするとよいかの。珊瑚の壁では隙間から何が出てくるかわからんからの」


「はい! グー様! 〈引月ルナベル〉――――引き寄せるよ!!」


「こっちは任せてください! ルリさん背後の敵を――」


「はい――見えていますよエディ。〈下位風魔術カルス〉――ッ!!」


『チピッ!! ピィィ!!』


 混沌とした戦場にその身を置き、誰もが今の状況にセキの顔を思い浮かべることになるが、歯を食いしばり甘えた考えを捨て去っていた。

 普段戦闘に関しては一切口を出さないカグツチも、セキの言葉を受け状況把握と助言を行うほどに混戦となっている。

 チピは鳴き声で精霊を狙う魔獣の位置を届け、エステルたちが自身の身を守りつつも魔術で狙撃を行っていた。


「まぁ助けたからと言って精霊が契約しにくるわけでもないがのぉ……」


「うん。わかってる……でも――この精霊たちを見捨てて、他の精霊と契約なんて……!」


「エステル様の言う通りです。精霊たちの犠牲の上でのうのうと精霊と契約を望むなど……!」


「この子たちの旅立ちをしっかり見届けてから、あたしたちもゆっくり契約をしましょうっ!!」


 一進一退の攻防に見えながらも、精霊たちが天井の隙間から次々と逃げ出していく。精霊の光が全て部屋から退避したことを確認したエステルの思考は退路の確保へと移っていた。


 しかし獲物エサである精霊が全て逃げ出したことによって、散漫だった魔獣たちの動きがエステルたちを捕食する、という行動で統一されたことを肌で感じ取っていた。


「あたしたちの通ってきた通路までは遠すぎます! 奥の通路へ逃げ込みましょう!! 殿しんがりはあたしに任せてくださいっ!!」


「ならばわたしが道を切り開きます!! 〈刃の下位風魔術ラミナス・カルス〉――ッ!!」


 エディットの叫びに即座に反応。ルリーテが先頭となり暴風の刃を振るい徐々に、だが確実に通路への距離を縮めていく。

 二種ふたりの間に位置取ったエステルは時にルリーテのサポートを、振り向いてはエディットに襲い掛かる魔獣を引き寄せる等、戦闘のバランスを調律しているが、全ての攻撃をいなせるわけではない以上、少女たちの纏う服はその朱色の染みを広げつつあった。


 向かう先の通路は暗がりではあるが、魔獣が出てくる気配はない。さらに道幅も狭く四方八方から襲い来るという状況から脱却できることは予想できる。

 切り裂いた魔獣の紫色の血、自身から溢れる朱色の血に塗れながら、ルリーテは握りしめた小太刀を力の限りに薙ぎ払い、通路の入口へと差し掛かった。


「エステル様! エディ! 通路は安全です! 早く――ッ!」


 通路内を確認したルリーテの叫びをその背で受けるエステル。

 咆哮と共に押し寄せる魔獣は多少、数を減らしたところで、怯む様子はない。

 エディットは背を向けてルリーテの元へ走るには危険が伴うと判断し、


「エステルさんあたしの後ろへ!!」


 珊蜥蜴コーラルリザードを掌底と共に押し出したエディットが咆え、エステルが後方へ飛び退く。

 その際、三匹の珊蝙蝠コーラルバットが牙を剥こうとするも、通路入口からルリーテの矢に射貫かれその身を地に落としていた。


「これでどうですかっ!! 〈中位火魔術ヒルライザ〉!!」


 エディットが渾身の火球を魔獣の足元へ向けて放つ。

 火球によって開けられた大穴はさらに珊瑚へ亀裂を走らせ、渇いた甲高い軋り音を響かせつつ魔獣たちの足元へその貪欲な大口を開いた。

 陥没した大穴は部屋の大きさからみれば微々たるものであったが、エステルたちが通路まで退避するためには十分な時間を稼ぐことができるサイズであった。


 ――だが、同時にエディットの足元も陥没し、自身も穴へ引きずり込まれることとなる。


「――あっ……」


 身体を捻り手を伸ばすも虚しく空をきる。――が、同時にエステルの詩がぽっかりと開けた穴へこだました。


「――〈引月ルナベル〉ッ!!」


 エディット自身がエステルの元へ引き寄せられる。

 その勢いのままにエステルに抱き着くエディット。互いを抱きしめ合いつつ、頬を緩めた時、ルリーテの叫びが二種ふたりの耳へ届いた。


「まだ残っています!!」


 ルリーテの叫びに二種ふたりが顔を向けた時、その瞳に四匹の珊蜥蜴コーラルリザードが迫っている姿を映し出していた。

 一匹をルリーテの矢が即座に貫き、残りが三匹。

 もう一匹をエステルが徽杖バトンで弾きながら穴へ落とし、残りが二匹。

 エディットがさらに一匹を蹴り上げるも、最後の一匹が蹴り上げ後のエディットの胴体へ食らいつこうと牙を剥き出しに迫る――


『チピィーーー!!』


 チピがその一匹の目を掠めるように飛びこんだ。

 一瞬ではあるが、視界を奪われた珊蜥蜴コーラルリザードは反射的に体をうねらせ顎を閉じ、その牙がエディットの体に届くことはなかった。


 ――しかし。

 珊蜥蜴コーラルリザードの身体から伸びる尻尾が捻らせた勢いのままに鞭のように、チピの小さな体を捉えていた。


『ギピッ――』


 チピの体が、内臓を口元へ吐き上げるような呻きと共に打ち上げられ、鮮血に染まった羽根が宙で踊る中、羽ばたく力さえ奪われたチピは地に叩きつけられた。

 状況は悪化の一途をたどり、チピがへたり込むその場所は、陥没した穴の対岸であった。


「ダイフク!! そっちは魔獣が固まっておる! 戻れ!!」


 その光景に誰よりも真っ先に声を挙げたのはカグツチだった。

 朦朧とする意識の中で、歪な形に折れ曲がった翼に力を込めようとするも、チピの体は言うことを聞かない。

 

「ルナ――うぐぅぅッ!! 〈下位火魔術ヒルス〉!!」


「チピィーーー!! このォッ!! 〈中位火魔術ヒルライザ〉ァーー!!」


 迫っていた最後の一匹をルリーテの矢が貫く。

 さらにエステルがチピを引き寄せようと試みるも、珊蜥蜴コーラルリザード珊蠕虫コーラルワームの巨躯が邪魔をしてそれも叶わず、咄嗟に攻撃魔術で掃討を試みる。

 エディットも続き、チピをその巨躯の影に隠した魔獣を火球で薙ぎ払った時、チピはその小さくつぶらな瞳を確かにエディットへ向けていた。


 チピの背後には無数の魔獣が押し寄せるも、チピを獲物エサとして認識している個体はいない。

 魔獣にしてみれば、あまりにか細く矮小な存在など歯牙にかけるまでもなく、狙うは精霊または肉体魔力アトラを豊富に持つひとだけだと言わんばかりだ。


 エステルが詩を詠みあげようとした時、チピはエディットへ向けた瞳を閉じ、動かぬ羽の代わりに首を振った。



 そして小さな微笑みを向けた直後……――その白い身体は魔獣に踏み潰され、朱色の染みが勢いよく噴き出し魔獣の足を微かに濡らした。



「――――――――」



 魔獣の咆哮が絶え間なく響く空間の中で、エステルたちに一瞬の静寂が訪れた。


「――ダイフ……ク?」

「あっ……ぁああ――――! …………お……お前らァーー!!」


 カグツチが目を見開き、静寂を惜しむ気持ちなど即座に引きはがしたエステルが激昂する。

 限度を超えたその身の衝動を抑えるすべを捨て、魔獣に向かおうとするエステルだったが、その腕をエディットが掴み引き留めた。


「エディ!! なんで止めるの!! ダイフクが……――あいつら許さないッ!!」


 エステルは朗らかな笑顔を彩っていたはずの八重歯を獣の牙の如く剥き出しにしながら、エディットを睨みつける。


 魔獣との戦闘。それは常に死の匂いが付き纏うことは承知の上だ。

 そして探求士という職は、その死の匂いへ自ら踏み出す者たちを指すということも重ねて承知している。

 だからと言って目の前で起きた死を、探求士だから――と納得したかのように体裁を取り繕う必要などどこにもない。

 エステルは掴まれた腕を振り払おうと力を込めるが、


「――おち……落ち着いてください! チピあの子の最後の意思を無駄に……しないでくださいッ!」


 魔獣の群れへ憎しみをぶつけたい衝動はエディットも同様――いやそれ以上である。それでもその場に留まることを――敷いては引き下がることを選択した。

 あの場を一番冷静に見ていたチピが最後に望んだことであり、それは主である自分……そして自身のかけがえのない仲間を守るためにとった選択であることをエディットは理解していたからだ。


 血を滲ませるほどに拳を握りしめたエディットの言葉に歯を軋ませるエステル。

 だが、ここで衝動に流されれば精霊との契約どころか、無事に帰ることさえ危ぶまれることは明白である。

 何よりも……チピがそれを望まないことを、そのブレーキの壊れた頭でさえ理解してしまった。

 怒りのままに震えていた体を意思の力で無理やり抑えつけ、代わりに喉を震わせる。


「……わ……かった……」


 力無く顎を引いた後、エステルは自分自身の弱さを責めるように徽杖バトンを握りしめる。

 エステルの袖を掴んでいたエディットの力も緩み、お互いが視線を下げながら通路の入口へと振り向いた時。


 揺らめく翠色の髪が迫り、


「セキ様のために使うことのできなかった力を今……――使います」


 魔獣の狂気の雄叫びが響くはずの状況で、渇いた無機質の声だけがエステルとエディットの耳へはっきり届いた。

 それは一切の温もりを感じさせず、氷塊を押し込まれたように、二種ふたりの背筋に滑り込んでいった。

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