第80話 寄り道

「い――いいから……逃げろ……俺は……ここまでだ!!」


 重鎧ヘビーアーマーに身を包んだ男の叫びが轟く。

 男の下半身はすでに珊蠕虫コーラルワームに食いつかれ、口内の無数の牙にすり潰されていた。

 血反吐と共に吐き出した最後の願い。


「クヘスッ!!」


「ダメだ……! あの傷じゃ助からない!! あの空洞に飛び込むぞ!!」


 茶髪の女性が『クヘス』と呼んだ重鎧ヘビーアーマーを纏った男へ手を伸ばすも、仲間の受精種エルフに遮られ撤退を余儀なくされた。

 クヘスを貪る珊蠕虫コーラルワームの背後には、十匹以上の珊海蛆コーラルスレーターが蠢いており、上空にはおこぼれに預かるためか、珊蝙蝠コーラルバットも飛び交っていた。


「くそ――ッ!! 前回と違いすぎる! こんな異常繫殖おかしいだろ!!」


 予想外の出来事が、次々に仲間を食らう状況に怒号の如く叫ぶ男は、その足に力を込めて空洞へと疾走する。


「もう三種さんにんやられてる……!! 残り三種さんにんでどこまで通用するか……でもここまで来たら泣き言を漏らしても始まらないさね~……」


 茶髪の女性も後に続き、既に悲観を通り越し半ば諦めにも似たぼやきを口にした。


「倒れた仲間の意思を俺たちが継ぐんだ……! 必ず精霊と契約するためにも今は逃げるしかない!!」


 茶色の長髪を振り乱しながら最後尾を走る適受種ヒューマンの男も、前を走る二種ふたりを鼓舞し続けていた。


 三種さんにんが空洞へと飛び込んだ後、それを追いかける魔獣たちは、獲物を追い詰める歓喜を全身で表現するように叫び巨躯を振るわせる。

 新鮮な獲物がいる以上、食い散らした残骸には一瞥もくれず、空洞へとその身を消していった。



◇◆

「戦闘の音だ……今なら脇道に抜けられるルートもあるけど……」


 通路を進みながらエステルは進路を決めあぐねていた。チピの犠牲の上で成り立った薄氷の上を歩くような自分たちの行動を、今一度確かめているフシが見られるが、


「はい。それでは助けにいきましょう」


「そうですねっ。問題ないようであれば見届けるだけでもいいわけですし」


 ルリーテとエディットはエステルが選ぶであろう選択に対して回答を行っていた。

 他者から見れば、この選択は本末転倒そのものである。救助のクエストを受注しているならばこれは立派な探求士の仕事となるが、今の目的は精霊との契約だ。

 立ちはだかる魔獣を倒さねば先に進むことが叶わないならば、果敢に挑むべきではあるが、回避できる戦闘をわざわざ行うことは愚者の行為だ。


 頭では理解している。だが、エステルの心はそれを良しとは決してしない。

 過去にチロを助けたように、エステルの冒険は理屈ではなく、心の声に従って己の行動を決める。それはいついかなる状況でも変わることのない土台そのものであるからだ。


 また、そんなエステルの選択を誇りに思っているからこそ、ルリーテとエディットも助ける、という選択を唇に乗せ、エステルの後押しをすることができる。

 エステルの探求士として青臭い矜持は確かに二種ふたりにも伝染しているのだ。


「――うん! ここで自分の気持ちを曲げてたらダイフクに笑われちゃうよね……!」


 肩越しに二種ふたりへ視線を向けたエステルは通路の先へ向き直しつつ、徽杖バトンを握り直す。

 通路出口では白煙が巻き起こり状況が不明瞭ではあるが、唸り声が絶え間なく鳴り響く状況は変わらず、好転しているとは決して言えないことだけは確かであった。


 前傾姿勢を保ったままに出口へと向かうに連れ、肉の焦げる匂いが鼻孔に纏わりついてくる。

 匂いに顔をしかめつつ、白煙が晴れつつある部屋の中を覗き込むと、そこには光沢に溢れた金色の髪を振り乱す女性がいた。



「〈二星連結ヴィーメルリエゾン〉! ――〈星間拘束メルトリクション〉!!」


 二つの星がお互いを繋ぐ黄みがかった魔力の帯を放出する。

 女性に迫る魔獣の群れに魔力の帯が拘束するように巻き付き動きを止めた矢先、一つの星が魔獣の群れの中へ滑り込む。


「――〈星之煌きメルケルン〉!!」


 滑り込んだ星が唸るような音を響かせると同時に周辺の魔獣を一掃する規模の爆発が起こった。

 エステルと同じ詩を詠んだにも関わらず規模が倍近くに及ぶ大爆発である。

 しかし、爆発の白煙を切り裂いて続々とその姿を現す魔獣。珊蠕虫コーラルワームに至っては決死の抵抗を嘲笑うかのように、爆発で抉れた珊瑚の隙間から顔を覗かせた。


 女性の表情に諦めの色は一切浮かんではいない。

 だが、そのしなやかな肢体の至る所に大小様々な傷を負い、気持ちに体が付いてくる時間は限られていることが明白であった。


「ふんっ! 貴方たちがわたくしに群がるほど精霊たちは自由を謳歌できますのよっ! いくらでも相手してあげましてよ?」


 気丈に振舞うその姿は、傍目に見ても劣勢そのものであるにも関わらず、艶やかな気品を失わうことはない。

 血に塗れてなお咆える姿さえ、見惚れるほどの強さが内から滲みだしていた。


 だが、魔獣たちはその姿に息を吞むことなく、本能という名の食欲のままに唸り声と地響きを以ってその光景を台無しとした。


わたくし……話の通じない方々は好きではありませんわ」


 これみよがしに溜息をつきながら、気持ちに火を灯すように徽杖バトンを横薙ぎに振るう。

 そこへ彼女の意識の外から見慣れぬ星が視界を掠めた。


「〈引月ルナベル〉――――ッ!!」


 彼女の背後から響く詩が耳を捉えた時、宙で耳障りな羽音を振り撒いていた珊蝙蝠コーラルバットが星に向かって勢いよく下降する。

 よくよく見ればそれは下降ではなく、星の引力に引き寄せられているのだ。上空に逃げようと抗うも引き寄せる力が上回り魔獣の群れの中へその姿を消した。

 さらに視界を見慣れた星が横切った際に、同じく背後から詩が届く。


「エステルさんお願いしますっ! ――〈中位火魔術ヒルライザ〉ッ!!」

「任せて――〈星之導きメルアレン〉――ッ!!」


 火球を飲み込んだ星から放たれる火の雨が、唸り声を悲鳴へと塗り替えていく。致命傷を負いながらも、進行を止めることのない魔獣の群れに、翠色の影が流れるように近寄った。


「……〈刃の下位風魔術ラミナス・カルス〉」


 古代詩エンシェントに分類される詩を、南大陸バルバトスですらないこのような場所で聞くことになるとは欠片も考えていなかった。

 幻聴ではない。呟くように発せられた詩声は、たしかに彼女の耳へ届いた。声の大小ではない。強固な意思を宿した詩は、他の音をねじ伏せるだけの響きを持っていた。


 翠色の影は、独楽こまのように自らを回転させ、遠心力を上乗せした風の刃の切れ味と速度が落ちることはない。

 半死半生の魔獣たちがその風に抗う術はなく、無常にその身を肉塊と化していった。


 そこで改めて彼女――ナディアはその身を翻し、背後に佇む少女たちに視線を投げた。


「まずはお礼を言わせていただきますわ……」


 徽杖バトンを持った両手を膝の前に置き、微笑と共に深々と腰を折る。

 しかし、ゆっくりと顔を上げた彼女の表情は既に纏っていた微笑を脱ぎ、切れ長の瞳でエステルを射貫いていた。


「どのようなご用件か……伺ってもよろしくて?」


 ごくり――と、喉を鳴らしたナディアは、自身を見つめる少女たちへ問う。


「えっと……ただ危なそうだったので手助けというか……業鬼種オグルひとの姿も見えなかったので……」


 エステルが軽く頬に差した紅を、誤魔化すように指先でかきながら問いを受ける。

 よくよく見ればナディアだけが構えているだけで、エステルたちは魔獣を掃討した後、武器を握りはしているものの、下ろしている状態だった。


「ふふふっ……では貴女たちは精霊との契約を優先する状況にも関わらず、特にもならない寄り道をしにきた――ということですの?」


「え~っと……結果的にはそう……なりますね」


 エステルの答えは想定外だったのか、途端に吹き出すナディア。構えていた徽杖バトンを下げながら、軽く腹部を抱えている。


「ふふっ……ふふふっ!! ……お~っほっほっほ!! 何よ貴女たち見た目は可愛いのにとっても『かっこいい』方たちだったのね……?」


 微かに残っていた緊張感を吹き飛ばす笑い声が、洞窟に染み込んでいく。エステルを射貫いていた瞳からも力が抜けたのか、やや目尻が下がったようにも見えた。


「感謝いたしますわ」


 ナディアはおもむろに歩み寄り手を差し出すと、エステルも八重歯を覗かせながら再会を喜ぶ握手をがっちりと交わした。

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