第227話 化物 その9

「お前が嫌うような……努力や信念の積み重ねって置き換えてもいいぞ」


「ギヒヒッ! ……テメェほんとに……ひと……かよ――」


 左肩から右脇腹を朱色の閃で染め上げたファウストは力無く倒れ込む。

 最後の最後で半歩後退した優れた反応速度の賜物か、即死だけは免れていた。


「見ての通りだ……お前の目が曇ってんのは分かってたけどな」


 ファウストは血塗れの死に体を引きずり、岩に背を預けた。

 セキはのんびりと安らかな死を迎えさせる気などない。

 確実な止めを刺すべく足を踏み出そうとするが、


「キヒッ!! ギヒャヒャッ!!! しくじったぜ~……まさか石精種ジュピアの飼い主がこんな化物バケモンだったとはなぁ……ッ!」


「飼い主じゃねえ……仲間だ」


 負け犬の遠吠えとして、処理をすることに迷いはなかった。

 幾度となくこのような者を見て来た経験のなせる業であろう。


「キヒィーッ!! 笑わせてくれるぜ!! あの雑魚ザコどもとおめーでどう釣り合いが取れてんだぁ~?」


 話の場を設けるべき相手ではないのだ。

 戦いの駆け引きという視点で言葉を交わすならばまだしも、戦いはすでに決着しているのだから。

 虚しく響くだけの戯言でセキの心を揺らすことはできないはずだった。


「それとも雑魚ザコを引き連れておめー自身が優越感に浸りてえってことかぁ~? キヒヒッ!!」


 だが、この期に及んで洞察の末、呪とも言える言葉をファウストが打ち込んだ。


 この場を力で捻じ伏せることは容易だ。

 小太刀を薙げばそれで済む話なのだから。


 だが、それをすればファウストの言葉を暗に認めたことになる。

 そんな無言の約定に搦めとられたことに、セキは歯を軋ませた。


「お前らも自覚してんだろぉ~? 自分らが身の丈に合わねえ武器を手にしてるってよぉ~?」


 ファウストの視線はセキの背後へ移った。

 そこで応戦するようにエステルが一歩踏み出した。


「セキは……そんなことで優越感に浸ったりしない」


 揺らぐことのない自信を瞳に宿し、ファウストと視線を交わす。


「おいおい……おめーが答えるのかよ。上手い事パーティに潜り込んだ一番のお荷物に見えたんだがなぁ~」


「てめぇ……もう死ん――」


 彼女に対する侮辱にセキの殺気が揺らめきを増す。

 瞳孔を開き歩を進めようとするも、エステルがセキの袖を掴み歯を食いしばった。


「まだセキの力になれないことなんて分かってる……でも――」


「キヒヒッ! 章術士は大器晩成だからぁ~! な~んて言い訳でも口ずさむのかぁ? 大方騒ぐだけ騒いで尻拭いは他にやってもらってんだろぉ~?」


 エステルの脳裏に式典セレモニーの一幕がぎった。

 ルリーテがいなければあの場は――

 その瞳の揺れをファウストは見逃さなかった。 


「キヒヒッ!! セキそいつがいりゃ~誰もおめーの力なんぞ当てにする必要がねえからなぁ~」


 アドニスがかさねの討伐をセキに依頼をした際に感じとった胸の痛みを思い出す。

 何も知らぬファウストの言葉で、なぜここまで心に刺さった棘が揺さぶられるのか。分かっていて今まで自分を誤魔化していたのではないか。

 そんな思考が滴る血のようにゆっくりと染み込んでいく。


仲間なかまぁ~信頼しんらいぃ~都合のいい言葉だよなぁ~! 無能にもってこいの隠れ蓑だぁ~! ありのままの自分を――な~んて夢を見てんだろぉ~? 能無しは弱いままでいい理由をいつも探してるからなぁ~?」


 唇を震わせるエステルの頭に千幻樹の一件が鮮明に写し出されていた。

 セキの強さに追いつくために手段を選んでいる場合ではなかったのではないか。

 握りしめた拳の震えはすでに自分の意思では止められなかった。


 だが――

 そんな都合の良い言葉をいつまでも吐き出させるほど、隣に立つ男は甘くはなかった。


「おれ相手でなくなった途端元気だな?」


 セキはファウストの言葉で止めを躊躇したことを後悔するが後の祭りだ。

 言葉に限らずこの男は存在じたいが毒にしかならない。


 死神に自ら手を伸ばすような――

 共に踊ることさえ楽しむような――


 出会う形がいつ、どのような形であろうともこの男は変わらない。他者を蔑み、見下し、口元を歪ませているのだろう。

 心の隔たり。などという言葉では軽すぎる。そう、痛切に感じていた。


 それを改めて理解した以上、すべきことは一つだと言うことも。


「キヒヒッ!! まぁでもお前らには感謝してるぜぇ~? こんな化物バケモン相手にここまで俺様が生き延びたのは、足手纏いのお前らがいてくれたおかげだからなぁ~!」


 ファウストもセキの瞳を見て悟ったのだろう。

 セキは脅しという行為に価値を見出す男ではないと。

 そんな労力を掛けず、非情となるだけで我を通す力があると戦いの中で理解していたからだ。


「パーティ? 仲間ぁ~? 笑わせるなよ~! 鎖につながれていないだけの奴隷だろ? あるじがいなければ何もできねえ。キヒヒッ!」


「負け犬もここまで吠えりゃ満足だろ?」


 ファウストの歪んだ笑みは鼓動が脈打つ限り続く。

 この男は後悔や失望に心を塗り潰されることがないのだ。


「お~い~キレ過ぎだろ~? ――って、あ~なんだおめーガキが好みなのかぁ~?」


 血を吐き出しながらも喋る姿は他者から見れば滑稽そのものだ。

 それを理解しながらもファウストは喉を震わせることを止めなかった。

 まるで最後の一呼吸を待つかのように。


「飽きたら教えてくれよ~キヒヒッ! もっとイイ女を用意して待ってるぜぇ~?」


 セキの腕が、反射の領域を超えた速度を以って小太刀を掴んだ瞬間だった。


「あの世でなぁ~……――〈砲射の仙位明魔術ディカノン・ハルレナス〉」


 血塗れの手で誰の意識にも触れることなく、握りしめられていたのは吸榴岩きゅうりゅうがんだ。


 瞬きすら許さぬ時間を経て、ファウストの魔力全てを飲み込んだ吸榴岩きゅうりゅうがんが、その場を光で包み込んだ。

 皮肉なことにファウストの魔力で彩られた発光は、清らかささえ漂わせるほどに純白の閃光を解き放っていた。

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