第96話 森の静寂

「あっ……! セキとアドニスさん戻ってきたよ!」


 食事の仕方をしていた全員が二種ふたりへ目を向ける。

 セキは手ぶらだが、アドニスは両肩に葉で包まれたモノを抱えていた。

 この地に生息する深海樹から取った大きな葉は、ひと一種ひとり包むには十分すぎる大きさであり、これはエディットの提案であった。

 その肩にカグツチとベヒーモスの姿はなく、また不満顔を覗かせながらもおとなしく引っ込んだのであろう。


「言われた通りの場所だったね。深層よりも下だったことが幸いしたのか、体は残っていたよ……」


 アドニスが担いでいたモノを下ろすと、ドライとキーマがそっと葉をめくり、震える顎を引いた。


「ありがとう。これはたしかにクヘスとジャワだ……」


「うん。他の二種ふたりは、魔獣に群がられて、ほぼ全て喰われちまったからね。こうやって残っているだけでもありがたいさね」


 クヘスは上半身がある程度形を成しているが、ジャワに関しては潰された状態であり、かなり原型からはかけ離れた歪な形となっていた。

 エディットが気を使い、ドライとキーマに相談し、ジャワの顔周辺だけでも整えている姿が見受けられた。


 整えたジャワの顔を覗き込みながら頬を撫でるナディア。

 同様にアドニスもナディアの命を救ったことを感謝するように黙祷を捧げていた。



「さぁ……湿っぽいのはここまでにしようか……!」


 ドライが立ち上がり皆に振り返る。


「そうさねっ! むしろこいつらが死んだことを悔しがるぐらい……飲んで騒いでやろうじゃないか!」


 キーマも続けて立ち上がり、拳を眼前で握りしめながら力強く震わせた。



◇◆

「なんですのこれ……こんな美味しいお肉初めてですわ……味付けもわたくしこれとっても好みですわ……」


 食事の支度はルリーテが中心となって行っていた。


 ひとの手が入らない森ということもあり、自然の力をふんだんに取り込んだ食物を中心にしていたが、この祝いの席でメインを張る食材は何か奮発したいという気持ちがあったのだろう。

 幸運なことに朱頂肉ミルリリスという、花弁として肉を付ける花が咲いており、これを利用したのだ。

 滅多に手に入らない、かつ調理が困難な食材なため、このような野営の食事で出てくることじたいが珍しいという、貴重な肉に一同は目を輝かせて頬張る姿を見せていた。


「そういって頂けてとてもうれしいのですが、この朱頂肉ミルリリスは味付け前の下拵えが一番肝なので……この美味しさは下拵えを行ったセキ様のおかげと言ってよいと思います――」


「ルリにお墨付きをもらえると自信になるな~!」


 一同が肉にがっつく中、たんたんとセキを褒めているルリーテだが、とても残念なことに肉に夢中になっている面々は、耳を素通りさせている様子だった。


 酒もそのまま持ち歩く、ということはできないが、ドライとキーマが『凝酒』というとてつもなく濃い原酒を持ち歩いており、この自然溢れる川の水に数滴垂らすことで極上の味わいのお酒も堪能できたことは、忘れることができない思い出となるだろう。


「みなさんは南に行ったら何か目的があったりするんですか?」


 用意してあった肉の半分ほどを、一種ひとりで胃の中に詰め込んだエディットがふいに問いかける。

 酒を片手にセキと共に煙木タバコを嗜んでいたドライが顔を向けた。


「俺とキーマはあいつらを故郷へ連れて帰った後になると思うけど……俺たちは元々は幻域に興味があって集まったパーティなんだ。だから港町ハープ周辺でまずは慣れてから、幻域の情報を集めたいと思ってる」


 幻域とは様々な場所にその入口が出現する洞窟や湖、森のことを指している。

 一般的に神隠しや精霊の悪戯と言われ、ひとが行方不明になる現象もこの幻域に迷いこんだのでは、と最近では囁かれるようになってきていた。


わたくしたちは……居住権ですわね。まぁ『ジャルーガル国』以外なら贅沢はいいませんわ。そんな事情もあって決闘を挑んでましたの。でもそこまで欲張れるほど精選は甘くありませんでしたわ……」


「そうだったんだ……うん。相手が可哀そう……アドニスさんが立ちはだかるわけだもんね……それにナディアが三星ってことはアドニスさんの魔力強化もできるわけだし……」


 エステルがナディアの隣に座るアドニスに視線を移しながら軽く祈りを捧げるかのように目を瞑った。


「ああ……でも僕が手を出したのは結局セキの時だけだよ。だからあの三枚はナディア一種ひとりで戦った結果、勝ち取ったメダルだね。それと……えっと……まぁね……」


 アドニスが瞳を忙しなく揺らしながらナディアへ視線を向ける。


「残念だけど、わたくしではまだ、アドニスの魔力は強化できませんの……。パートナーと言いつつもまだまだ実力に差があるので、三星で行使できる魔力強化では弾かれてしまいますの。『星之結界メルバリエ』と同じように考えればいいですわ」


 章術士の本領とも言えるであろう、三星で発動することが可能となる仲間に対する魔力強化。

 純粋な戦闘支援として申し分ない魔術ではあるが、術者と対象者に力量差がある場合、発動することは叶わないのだ。

 これは一星で行使できる『星之結界メルバリエ』も同様であり、事実エステルはセキに対して発動ができないことを以前確認していた。


 やや重くなった空気。そんな状態を打破すべく、アドニスが言葉を紡いだ。


「まぁ……それはそうと……もうそろそろ『さん』付けも取れていいんじゃないかな? ナディアとは打ち解けてるようだしね」


 アドニスの言葉を他所に『セキの時だけ』、という言葉にドライとキーマが貴重な肉を落とすほどに動揺を見せている。

 結局、怪触蛸獣クラーケンの討伐以降、魔獣と出会っておらず、あの時だけの印象だが、ドライたちにはこの二種ふたりがやり合うという光景がどのような惨劇になるのか、想像もつかないような状態である。

 そんな二種ふたりも、セキの固定している左腕をまじまじと見つめながら思案している姿も見受けられた。


「あっ……うんっ! わかった! アドニス! それならわたしも気軽に呼んでくれなきゃだよっ!」


 エステルが八重歯を覗かせながら名を呼ぶとアドニスは口角を上げ、


「あははっ。なるほど……こちらこそナディア共々よろしく。エステル。あ、もちろん『ルリ』と『エディ』もそうしてほしいかな」


わたしは徐々に慣れていったらということで……」


「えっ! あたしはこの喋り方変えるの無理ですっ!」


 比較的きっぱりと断られることになったアドニスに対して、エステルやドライたち、そしてもちろんセキも含めた笑い声があがる。

 その後、酒の勢いも増し、エディットの種族、そして実年齢の話を出した際にドライたちはおろか、アドニスまでもが思わず逆に敬語になりかけたことで、またもやセキに指を指されながらバカにされることとなった。

 また、アドニスが年上ではあるがセキと一歳差ということにも、一同は酒を噴き出しており、二十七歳のドライやキーマに、似たような年齢だと思ってた、と言われたことはそうとうショックだった様子だ。


 そして、極めつけはルリーテの種族である。

 この精選を共に戦い抜いたという信頼が、ルリーテにそう決断させたのだろう。

 石精種ジュピア特有の象徴詩を操っていたことで、皆薄々は考えていたことであるが、皮手袋グローブを取り、指先を見せた時の驚きは下手をすれば怪触蛸獣クラーケン不死鳥フェリクスの件よりも、上だったかもしれない。


 夜が来ることのない森の中。

 時間を忘れて喜びを噛みしめ、夢を語り合った一同は酒のせいもあってか、一種ひとり、また一種ひとりと満足そうな笑顔と共に地に横たわっていく。


 ほんの数日間でありながら数年、数十年の積み重ねを全て出し切ったと胸を張って言うことができる充実感。

 そして緊張から解放されたことによる心地よい疲労感を胸に抱き、エステルたちは森の静寂と共に眠りにつくのだった。

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