第27話 思うままに進む道

「クエスト報告もまだまだ処理しきれないわね……もう少し頑張らないと」


 お世辞にも立派とは言えない家で魔具の放つ淡い光の中、一種ひとりの女性が樹皮紙に向かって石筆を走らせている。胸までかかる美しい黒髪に鼻筋の整った小顔の美しい女性にも関わらず肌は荒れ、切れ長の目元にはその顔に似合わぬくまがうっすらとできており日頃の疲れがたまっていることを物語っていた。


「ふふっ……もうあの子たちの報告を処理することもなくなっちゃったわね……頑張ってるかしら……」


 石筆を置き木角卓テーブルに片肘をつきながら夢のために大陸を渡った娘たちに想いを寄せていると、こんな真夜中にドアをノックする音が聞こえてくる。


「えっ……こんな真夜中に? あの子たち……じゃないわよね」


 警戒するのは当然である。こんな時間に仕事をしている彼女にも言えることではあるが普通はとっくに寝ている時間だ。考えているとまたも遠慮がちにゆっくりと扉を叩く音がする。彼女は意を決して扉に近づき、恐る恐るドアノブに手をかけ扉を開こうとした時、扉の向こうにいる者の声が耳に入る。


「やっぱり寝てるよな……ちょっと魔具の光が漏れてたから起きてるかと思ったけど……」

「まぁ普通は寝とるの」

「うん。やっぱり明日改めてこよう……」


 聞き覚えのあるようなないような声だ。だが悪意があるようには見えず彼女はゆっくりと扉を開いてみるとそこには灰色のシャツに黒いズボンそして膝丈の赤い外衣コートを纏った青年が立っていた。

 全身に武器を纏うその姿を確認すると彼女は扉を開いた手を途中で止めるが。


「あっ! 夜分遅くにすいません。あの……覚えてますか?」


 目が合うと丁寧な挨拶をする青年。そしてあの時の記憶が蘇る。


「えっ……? セキ……くん?」

「はい。おひさしぶりです。ちょっと急いできたらこんな時間になってしまって……」

「あんなに小さかったのに立派になって……驚いちゃったわよ」

「ははっ。ステアさんはあの頃と変わらずお若いですね」

(おぉぉ……やっぱ綺麗なひとは何歳になっても綺麗なままなんだー! でも……)

    

 ステアは十年前のセキを見ただけだが夫の最後を見取りその意思と愛娘を救う薬を届けてくれた恩種おんじんを忘れるはずがない。そしてセキは言葉では若いと告げ心を躍らせてはいるのの、その表情から明らかに日頃の疲労の蓄積が見えるステアの姿に心を痛めていた。

 

「も、もしかしてあの時の約束のために……?」

「ええ、その通りですよ!」

「あら……えっと……と、とりあえず汚い家だけど上がって?」


 ステアはセキに告げるとぱたぱたと家の中に戻り処理していた樹皮紙を木角卓テーブルの端に寄せる。

 慣れた足取りで台所キッチンへ向かうと紅石茶を入れるためのお湯を沸かし始めていた。


「すいません。お邪魔します……」

「お邪魔するかの」


 普通に礼儀正しく挨拶する衣嚢ポケット内のカグツチに外衣コートを脱ぎながら流れるようにデコピンをかます。

 よろけた隙にカグツチを収納したまま外衣コートを脱ぎ何事もなかったかのように木角卓テーブルに備え付けの椅子へ掛ける。


「明日にしようかとも思ったんですが……とりあえずと思いまして……」


 セキは頭を下げながら気まずそうに夜遅くの訪問の言い訳をしつつ部屋を見渡す。木角卓テーブルの脇にはすくすくと育っているガジュマルの樹が飾ってあり掃除が行き届いているように見える。

 

(あんまりじろじろ見るのも失礼かな……)


 物色欲を抑えながら椅子に腰かけてステアの姿を目で追っていると、

 

「あ、そんなこと気にしないで……?」


 紅石茶を入れたカップを持ち木角卓テーブルに戻りながらステアが返事をする。


「えっと……それでね……エステルなんだけど……もう精選に向けて中央大陸ミンドールに向かっちゃったのよね……」


 セキは先ほど聞いた話が真実だとわかりショックを受けるも顔には出さないように表情を引き締めているつもりだが、残念なことに向かい合っているステアにはしっかりと伝わっている。


「あ……なるほど……そうだったんですね……そ、そうですよねぇ……十年ですもんねぇ……」


 言葉を口にしながらステアの顔に合わせていた視線が手元に置かれた紅石茶の揺らめきを追えるほどに下がっていく。 

 

「――で、でも誤解しないで? あの子ったら勘違いしてたのかしら……『セキたちを南大陸バルバトスで、いつまでも待たせていられないから! やっと会いにいける!』って言ってたのよね……」


 セキの虚ろな瞳に一粒の光明ハイライトが描かれる。

 それと同時にセキはあの日を振り返るが改めてどこで落ち合う等何も決めていないことを思い出として振り返る。約束は結果的にお互い覚えていたようだが、子供の約束らしく先の話過ぎてお互いに現実味を帯びていなかったこともあったのだろう、と。


南大陸バルバトスの冒険を目指すならって……おれが帰ったからそっちにいるって思ったっぽいですね……う~ん……お互い若かったですからね~!」

 

 不安から解消されたセキの受け答えも紅石茶の揺らめきに合わせて瞳孔を揺らしていた先ほどとは打って変わって声が弾んでいる。

 その雰囲気を察したステアも目尻を下げながら相槌を返し。

 

「あら、そういうことだったのね~! それならよかったわ……。『カグヤ』ちゃんは南で待っているのかしら?」


 ステアも約束を違えたわけではないとわかり安堵した様子を見せると『あの時』一緒にいた女性の様子を伺った。それはセキにとって楽しい思い出ではないが……数少ない『カグヤ』を覚えてくれているひとに誤魔化すこと、ましてや嘘をつくことはとてもできず、セキは今はもういない『姉』との事の顛末をステアに告げた――



「ごめんなさい……そういうことだったのね……つい余計な所まで踏み込んでしまって……」

「あ、いえ謝らないでください。全てはおれの弱さが招いたことですから……でも、姉さんを覚えてくれているひとがいるっていうだけで、おれはとてもうれしくて……」

「とっても可愛らしくてひと懐っこい子だったもの。忘れるわけないわ……」


 ステアは目を瞑りあの日を振り返りカグヤの姿を思い出していた。

 年端もいかない少年と共に有った透き通るような深紅の髪をなびかせていたあの女の子を。


「そんなことがあってもうちの娘のためにわざわざ遠い道のりを……また訪ねてきてくれてこちらこそ本当に感謝しているわ……」

「ははっ! 『約束』ですからね。うじうじしながら約束も破るようじゃ、それこそ姉さんにどれだけ怒られるか分かったもんじゃないですよ」

「ふふっ……そうね……」


 セキとステアはしばらくの間あの頃の話に花を咲かせる。セキは幼い頃に両親を亡くしており故郷の村では母もとい祖母のような存在はいたが、カグヤとは姉弟のように育っていた。


 そして十年前に訪ねた際の半年というほんの少しの滞在期間。夫の訃報を知っても気丈に振る舞い旅の疲れを労ってくれたステア。セキは自身の母が生きていたらこんな温もりをくれたのだろうか、と思ってしまうほどに優しい時間を与えてもらった。いや、セキだけでなくカグヤもいつもより甘えん坊な一面をステアの前では見せ、そんなカグヤをエステルも姉のように慕ってくれる素直で優しい少女だった。


 カグヤの育った状況を知るセキは、カグヤが遠慮せずに甘えられる相手ができたこと。また慕ってくれる相手ができたことが無性にうれしかったことを覚えている。

 いつも自身の面倒を一生懸命に見てくれるカグヤがステアの前では子供のようだった。あの殺種的さつじんてきな料理を作るカグヤがステアと一緒に料理を作ると不思議と優しい料理が木角卓テーブルに並ぶ。


 セキとカグヤは南大陸バルバトスに帰る道中も父親がいなくともステアとエステルなら安心して病気の回復に努められるだろうと話していた。

 もちろん当種とうにんを前にそんなことは恥ずかしくて言えるわけはないのだが、あの頃の話をしながらセキはそっと思い出していた……


そして――


「でも、もう中央大陸ミンドールに渡って一種ひとりで頑張ってるなんてなぁ……ほんとにたくましくなったんですね……」

「あ、言ってなかったわね……一種ひとりじゃないわよ?」

「え――」


 セキの頭の中で様々な予想が駆け巡る。

 目の前のステアを見ればわかる通りエステルあの子美種びじんになっていることは間違いない――だとすれば、どこぞの有象無象がまだ冒険に慣れていないあの子に声をかけパーティを組んでいちゃこらしているというものに思考が落ち着く。

 無駄な回想に一通り耽った後に無言の威圧感プレッシャーを無意味に垂れ流し始める一種ひとりの男がそこにいた。


(よし……そいつはとりあえず殺しておこう)


「『ルリーテ』ちゃんっていうエステルより一歳年下の女の子も面倒見ることになってね。その子も一緒について行ってくれたのよ。そこのガジュマルの樹もその子が持っていた苗木がそこまで立派に育ったものなのよ?」

「え、女の子ですか?」

「ええ、そうよ?」


 セキは張りつめたものが一気に解けたように脱力する。

 ステアの言葉に一喜一憂する青年を見るその美しい瞳からはなぜか悪戯いたずらを好む子供の匂いを感じさせる。


「あら、うれしいわ~。頼りになるセキくんがこんなにエステルのこと気にかけていてくれたなんてね~。あ~でもルリちゃんもとっても可愛いからセキくん両手に花じゃない?」


 ステアはその顔に花を咲かせながら両手を頬に添え緊張から解き放たれたセキをうれしそうに追い詰める。


「あ……ですから、あの時はそういうつもりで言ったわけではないというか……幼き日の純真さというか……」

(おぉぉぉ……ステアさんに言われると何も言い返せな~い!)

 

 もちろんそんなことはステアは分かっている。カグヤと共にあの日訪れた少年はその真っすぐな瞳に見合ったようなとても素直で優しい少年だったのだから。

 セキはセキでセラといいステアといい年上の美しい女性にめっぽう弱いことを痛感している。何を言われても心が弾んでしまい照れが露骨に顔に現れてしまう。


「ルリちゃんはちょっと訳ありだから結果的にうちの子になったんだけど……それも含めてセキくんなら安心かな……エステル共々迷惑をかけてしまうかもしれないけど、二種ふたりともとっても素直に育ってくれた私の自慢の子供なの……お願いさせてもらっていいかな……?」


 ステアはルリーテが家に来た日を思い出すかのように少し遠い眼差しをした後、真っすぐにセキを見つめる――


「はい。元々そのつもりできたんですから。一種ひとり二種ふたりになっても問題ないですよ。むしろ世間に疎いおれのほうがお世話になる可能性も……」

「ふふっ……じゃあお互い助け合いながら頑張っていってね」

「ええ、そうですね。助け合うのが仲間との冒険ですから」

 

 セキの返事にステアは安心したようにほがらかな笑みを見せる。彼女も彼女で中央大陸ミンドールに渡った二種ふたりのことをいつも気にかけていたのだ。


「ちょっと……ううん、かなり心配はしてたのよね……それもセキくんが来てくれたらなんだかとっても心強くなったわ……」


 おそらくそれはこの村での生活のことも関係しているのだろう、と先ほどの男たちの話を思い出す。

 出会ってすぐに切り出す話題でもないため切っ掛けがつかめなかったセキはステアを見つめ返し。


「『白霧病』のこと……ですよね?」

「ええ……セキくんたちが届けてくれた薬のおかげで進行は止まったの。苦しいとかそういうのもね? でも髪の色は生えかわってもそのまま『白』だったわ……命が救われたんだもの。そんな色くらいは私にとっては些細なこと……でも、回りのひとたちからすれば怖いわよね……」


 今までにこにこと美しい笑みをセキに向けながら子供のように顔を綻ばせて二種ふたりの話をしていたステアがこの話になったとたんに髪を垂らし、うつむき、あの日からの日々を振り返り、悲しい目をしていることにセキは気が付いていた――


感染者キャリアから感染した事例はない……白霧病にかかるのは生まれた時のみ……知識としてはみんな知ってることよね……」


 ステアは何か見えないものがそこに詰まったかのように胸をぎゅっと手で押さえ。


「でも原因がわからないんですもの。どうしても接するひとの態度にはそれが表れるわ……ここの家の回りもね、前はもう少し賑やかだったんだけどやっぱり怖いのよね。一種ひとりまた一種ひとりと住む場所を変えていってしまって今ではすっかり寂れてしまったわ」


 ぽつりぽつりと呟くように声を出すステアをセキはじっと見守るように見つめている。


「あ、でも……それはしょうがないと思うしそんなことを気にせずに接してくれるひともいるわ。私は今、クエスト紹介所で働かせてもらってるんだけど、そこの方たちなんてエステルを実の娘のように可愛がってくれていたもの……」


 思い出したように紅石茶を手に取るとふるふると揺すりながら力ない言葉を振り絞る。


「そこの紹介所にくる探求士のひとたちもね。すごく気のいいひとたちなの。だからそれにどれだけ私たちは救われたか……」


 口にしないがステア自身もそうとうの苦労があったであろうことがセキにも容易に想像ができる。それほどまでにこの会話を始めてからのステアの表情は暗い影に包まれている。

 白霧病の感染者キャリアの親というだけで毛嫌いをするひとも決して少なくない。父を失った以上、幼いエステルを育てるために仕事を探すのも、今働いているクエスト紹介所が決まるまでは心無い嫌がらせも多く受けたであろうこともまたセキに伝わっていた。


「あの子もいつからか出掛ける時は帽子をかぶって髪を隠すようになっちゃってね……。でもそれが原因で文句を言ったことなんて一度もないの……」


 木角卓テーブルの上に置いた手が小刻みに震えながらも語り続けるステア。


「それどころかいつも私に謝ってばかりいたわ。『わたしの病気のせいでごめんなさい』ってね……悪いのはちゃんと精霊の加護の元で産んであげられなかった私たちなのにね……」


 語り続けるステアの目には涙が浮かんでいる。きっとあの頃のエステルの姿を思い出しているのだろう。


「――でも、それでもね。あの子は夢を真っすぐに追いかけてくれてるの。辛く当たってくるひとたちもいる中で挫けずに『章術士として成功して絶対お母さんに楽をさせてあげるからっ!』ってね……」


 ステアは卓上に乗せていたその手を強く握りしめた。


「それはきっと……ステアさんを見て育ったから自然と真っすぐになったんでしょうね」


 セキの言葉にステアを顔を上げる。


「セキくんはうれしいことを言ってくれるのね……私は章術士どころか探求士のこともぜんぜん分からないけど、あの子には思うままに進んでいってほしい……」


「ええ、思うままに進めるようにおれも協力させてもらいますよ」


 ステアの思いを受け止めるようにセキはステアの目を一転の曇りなく見つめる。

 もともとがそのつもりで来ている以上、そんなことを聞かされては心に灯している決意が燃え上がることはあれど揺らぐことなど決してない――そうセキの瞳はそう物語っている。


「我にかかれば思うままの道を進むなど容易なことだの。むしろ我が進む先こそが道であり進む方向なぞ自由だからの」


 外衣コートのポケットから這い出たカグツチもしっかり決意を見せる――意を決したような面持おももちの上に凛とした澄んだ瞳を覗かせていたセキが途端にうつむき両手で顔を覆っていた――

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