第224話 化物 その6


 渾身の……ありったけの力を込めたにも関わらず、手応えの一切がない。

 真紅に染まった視界だけが認識できる事実であり、


(……? これ布? ……外衣コート?)


 認識したと同時に、安らぎさえ覚える嗅ぎ慣れた匂いが鼻孔をくすぐった。


「何舐めた真似してんだ……テメェ……――ッ!!」


 怒号でありながらも、聞き慣れた声に必死に胸の内を叩き続けていた鼓動が落ち着きを取り戻す。

 彼女たちが恐る恐る頭から被せられた外衣コートを捲り上げた時、そこに在ったのはこの世の誰よりも安心を覚えたセキの背中だった。


「遅くなってごめんね。でも……もう心配いらないよ――」


 精選時あの時と同じように、言いながらセキは彼女たちへ微笑みを向け、


「あの大声わざとだよね? エステルの機転のおかげで間に合ったよ」


 エステルの真意を咀嚼したお礼の言葉を告げた。


「キヒッ!! ――キヒヒッ!! 下位ルス級とはいえ、あの数叩き落すたぁ~おもしれ~なぁ~っ!」


 再会の空気などお構いなし。とファウストが嬉々として立ちはだかったセキに視線を向け、


「おまけにその外衣コートはなんだぁ? 弾いた後の残り魔力とはいえ、破れもしねえのはただの布じゃね~だろぉ……?」


 剣技に次いで興味を示したのか、エステルたちをすでに視野の外に追い出したかのように質問を重ねた。


撃てんようだの」


「ああ……それは問題にならないかな」


 ファウストを尻目に、頭巾フードに潜むカグツチと意思を共有すると、


「お前。あの赤マフラーの連れか?」


 セキは興味を示すことなく質問を上塗りに返すが、その一言はファウストの懸念を取り払うものでもあった。


「キヒッ!! おいおいすでにゲルニやつともやり合ったってことかぁ~? なら……俺様の手間が省けたってこった」


「やりわけじゃねえよ」


 だけだ――

 含みを持つ言葉をファウストは汲み取ったのか。

 歪めた口元へ舌を這わす。


 ヒリついた空気に息苦しさを感じているのは、当事者たちではない。

 背後に佇むエステルたちだ。

 せめて情報を伝えるつもりなのか。捲り上げた外衣コートから顔を出していた。


「いやぁ~都合が良すぎて神に感謝してぇくれぇだなぁ~……! あとはそこの石精種ジュピアを連れて帰るだけじゃね~かぁ~っ!」


 両手を掲げまるで天を仰ぐように感謝の意を示すファウスト。

 自身にとって立ちはだかる障害などない。と言わんばかりの不遜な態度は崩れることを知らない。


「できると思ってんのか?」


「キヒッ!! できない理由が知りてーくれーだなぁ……」


 脱力したままに最小限の力を込め、腕を掲げたファウスト。


 その口角があがった瞬間。


「エステル――ッ!!」


「――えっ?」


 セキがその瞳を見開いた刹那の時、背後のエステルを突き飛ばした。


 ――と同時にエステルが立っていた場所へ突き刺さったのは、白き円槍ランスだ。

 いや――今はセキの腕をその切先で貫き、白きその身に赤黒い血化粧を纏っている。


「お~……一本残ってたのを忘れてたわっ! いきなり左腕の肘から先が無くなったようだが~……ハンデってやつか~? キヒヒヒッ!! 見かけによらず騎士道精神が溢れてるじゃね~かぁ」


「テメェ……――ッ!!」


 思わずエステルも駆け寄ろうとした時、グレッグとエディットが揃ってエステルの腕を抑える。

 さらに動こうとするエステルに向かって無言で首を振った。

 そしてゆっくりと……両者を視界に収めながらも徐々に引いていく。


「まぁ石精種ジュピアならともかく……その白髪のガキなんざ腕を失ってまで守る必要があったのかねぇ……?」


 ファウストにとって相手を乱す煽りですらない。

 己の心の内を取り繕うことなく、正直に打ち明けた結果がこの言葉なのだ。


「まぁ俺様の詩を叩き落としたのは褒めてやるがよぉ……お前程度のカス魔力で何ができるのか見せてほしいところだよなぁ……? いや……カス魔力すら感じねーなぁ……優秀な魔具……それとも宝物ほうもつってとこかぁ?」


 改めてセキの垂れ流す魔力を感じ取ったファウストが、あからさまな落胆の表情を見せる。

 もともと期待しちゃいなかったが――

 そんな幻聴が聞こえてもおかしくないほどに、はっきりと表情を曇らせた。


「見せて……やろうか?」


 聞く者全ての肩が等しく圧を受けるほどの響き。

 聞く者全ての背筋が空洞化したと思えるほどの悪寒。

 ――にも関わらず、


「おぉッ!! ぜひとも見せてくれよぉ~! る予定だった相手をお前に取られた以上、お前は俺様を楽しませる義務ってもんがあるからなぁ~!」


 すでに相手セキを見切ったと言わんばかりの傲慢な物言い。


「魔具かぁ~? それとも幻域の宝物かぁ~? そっちのがありがてえけどなぁ~」


 だが。

 あるならば見せてみろ――と。

 退屈凌ぎの玩具を寄越せ――と。


「おいおい……焦らすほどのとっておきかぁ~?」


「そんなに早くこの世と別れたいなら手伝ってやるよ……ッ!」


 瞳が獣の輝きを宿す。

 流れる魔力がなくとも……獣が如き殺気が膨れ上がることを肌がヒリつくほどに感じ取る。


 大気が悲鳴にも似た軋みを上げた時、その一言は紡がれた。


「……――〈始まりの火を灯せ〉」

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