第93話 間詩

「エディさん……きみは……『反詩はんし』も受け取ったの?」


「『反詩』ってなんだよ……『次詩つぎし』だろ?」


「――えっ……あの『変質詩へんしつし』のことであってますよね……?」


 アドニス、セキ、エディットが三者三様の言葉を発した。

 魔術の名称はひとが名付けるものである。

 よって、正式名称として何と呼ぶか定まっていない術も多々存在する。

 この三者で呼び名が異なるのは地域で様々な呼び方をするためであり、誰もが正解であり、同じ術を指しているのだ。


「みなさん出身が違うためですわねっ! でも街では『間詩かんし』、が一般的ですのでそれに統一をお勧めしますわっ! それにセキの『次詩つぎし』ですと『詠み継ぎ』と混乱してしまいそうですわ」


 三種さんにんが少し納得のいかない顔を覗かせるが、本題はそこではないため、しぶしぶその提案を飲む。


 『間詩かんし』とは、象徴詩と属性詩の間に詠む詩である。

 象徴詩によって強化した属性詩を放出するのが通常ではあるが、この『間詩かんし』の特性はその象徴詩の力を変化させることができるのである。


「ま、まぁでも……結局使えないみたいなので……」


 肩を落としながら呟くエディットにアドニスが歩みよる。


「いや……そんなことはないと思う。ちょっと見てて? 二つ気になることがあるから……」


 エディットの横に立つと、アドニスは自身が元いた位置の地面を指差す。


「〈隆起の下位地魔術フィライズ・アルス〉」


 アドニスが指差した地が膨れ上がり、エディットの背丈ほどの突起が突き出した。説明のために下位の術を行使しているが、キーマたちはアドニスの扱う象徴詩じたいに目を剥いている。


「今のが通常だね。隣を見てて?」


 突起の隣を指差したアドニスがまたもや詩を詠む。


「〈沈下の下位地魔術フィライズ=リ・アルス〉」


 突起の隣が突如沈み込む。エディットが駆け寄るとそれは隣の突起と正反対の穴が空いているようにも見えた。

 当然のように詠んだ詩であるが、『間詩』を扱えるものなど極々一部であり、当然この場の誰もが使うことなどできない。

 エステルたちも空いた口をどうにか塞ごうと、手の平で口元を抑えるしかない状況である。

 だが、そんな思いを露ほども想定していなかったアドニスは、落ち着いて説明を続けていた。

 まるで魔術学校の教師のごとき冷静さ。

 場を弁えない者とセキ以外には比較的穏やかな表情を見せることが多いため、あながち適正がないということもなさそうである。


「僕は今、地を隆起させる術をさせて沈めたんだ。これが今の僕のはん……『間詩』の使い方だ。でも、反転させるだけが『間詩』じゃない。術の温度を上げたり、下げたりする使い方ができるひともいる」


 エディットはアドニスを見上げながら、説明に聞き入っているが、ドライとキーマは貴重な話だ、と姿勢を正して耳を澄ませているあたり、エディットよりも集中しているかもしれない状況である。


「きみが『間詩』に何を望むか、それは僕には分からないけど、それぞれで役割が違うことを覚えておいてほしい。それと――」


 アドニスがふいにセキへ視線を送ると、頷きながらセキは口を開いた。


「エディはもう『火』じゃなくて、『炎』だね」


「うん。だから『下位火魔術ヒルス』じゃない。『下位炎魔術ファルス』がきみの属性詩になっているはずだね」


 言葉上では、大きな違いはない。

 『火』と『炎』とは、純度の違いを指しているのだ。


 他の属性の性質を持たない、または限りなく純度が高い場合、魔力は『火』、『水』、『風』の三原色、または三原属性と言われる属性のみとなる。

 だが、他の属性の要素も持つ場合、それは複合色、または複合属性と呼ばれるものとなる、『火』は『炎』、『水』は『海』、『風』は『嵐』と成る。


 また、さらに属性の割合はひとによって異なるため、割合によって、それは『土』と呼ばれたり『雷』と呼ばれる属性と成ることもある。


 純度を維持したままに魔力を高める者はそうそうおらず、誰しもが成長する過程で他の属性要素も取り込んでいくことになり、エディットも同様に対象を焼き尽くす『火』以外の魔力が濃度を上げた証明と言えるだろう。


「えと……それじゃもう一度試してみても……?」


 エディットはアドニスの説明を頭の中で繰り返す。

 自身の手の平を見つめながら、エディットが今何を思うのか、それは今は彼女のみ知ることであるが、これから紡ぎ出す詩に現れることを一同は願っていた。


「もちろん。術は何度も繰り返して自分に馴染ませるものさ」


 アドニスはエディットから離れ、定位置へと戻る。自身が出した岩の突起が邪魔だったようで、右手で軽く払うと岩は粉々に砕け散った。


 エディットは目を瞑り軽い深呼吸をすると、ゆっくりと瞼を上げた。


「よし……! 〈再生の下位炎魔術リ・ファルス〉――ッ!!」


 エディットの突き出した手の平から、緋色の火球が放出される。

 だが、その火球じたいの大きさは普段と変わらぬものであった。アドニスは角を持つ左腕を前に構えていたこともあり、そのまま火球を手の甲で払い除けた。


「う~ん……まぁでも焦ることじゃ――」

「アドニス熱くねーの?」


 アドニスがエディットへ、労いの言葉を放とうとした際、セキがその言葉を遮った。

 アドニスが左手を見ると、セキに指の間から角の根本までを切られた際、治療として巻き付けていた包帯部分が緋色に燃えている。


「おっと……つい包帯を忘れていたよ」


 アドニスが右手で払うも火は一向に消える気配を見せない。

 だが、アドニス自身、消えない火に対して熱さなど一切感じてもいないのだ。


「あの……アドニスさん。それってほんとに包帯が燃えてるんですか? なんかアドニスさんの手の甲が燃えてるような……」


「消えない炎だったらおもしろいよね。アドニス……お前のことは忘れないよ」


 その様子を凝視していたエステルが口を挟むと、アドニスは払う手を止めて包帯を外し始めた。

 セキが憎まれ口を叩いているが、アドニスは事態の解決を優先しているようである。

 アドニスが包帯を外し終えた時、明らかにアドニスの表情が変わる。それはセキ以外に対しては温和な笑みを向けるアドニスが見せた愕然とした表情であった。

 火は無事に消えたようだったが、表情は厳しいままである。


「エディさん。もう一度今の術をお願いしてもいいかい?」


 唐突にアドニスがエディットへ注文を投げる。


「――えっ。あ――はい」


「みんなこのかすり傷を覚えておいて欲しい」


 アドニスが手の甲から角の根本にかけて、深々と斬られた傷を指差しながら、周囲に見せる。

 どの角度で見ても骨まで到達している深手であるが、傷を付けた張本人であるセキがこの場にいる以上、アドニスにとってはかすり傷なのだ。


「それじゃ行きます! 〈再生の下位炎魔術リ・ファルス〉!」


 アドニスは手の甲ではたくというよりも、その炎を傷口のある手の甲で受け止めた。

 炎は消えることなく、先程と同じように手の甲を燃やしている。

 だが、全員がその炎を見ている時、一つの事実に気が付いたのだ。


 燃えているのは正確に言えば、アドニスの傷口である。

 そして炎を纏った傷口が徐々にではあるが塞がっていく。

 完治とはいかないが、痛々しい傷跡がなだらかに癒され、薄い皮膜が張られると、炎は静かにその姿を消した。


不死鳥フェリクスの特性とエディさんの思いが共鳴したってところかな……?  恐ろしい魔術だね。これ……ようは『癒しラティア』や『再生グラティア』ってことだ。しかもこの場合、近距離ではなく遠距離で発動が可能ってことだしね」


 アドニスが癒された傷口を見下ろしながら呟いた時、エディットは全身を震わせていた。

 覚えることのできなかった『癒しラティア』。

 それは癒術士として劣っていることの証明をしたに過ぎない。

 それでもエステルを筆頭に温かなメンバーに恵まれたことで、それでも生き方を変えることなく旅を続けることができた。

 だが……心の奥底ではそれでも望んでいたのだ。

 大事な仲間を助けることができる力を。

 大事な仲間の傷を癒す力を。


 その小さな体が目一杯に跳ね歓喜の声を高々と上げようとした時。

 すでにルリーテの控え目な胸が眼前に飛び込んでいた。

 声をあげることなくそのまま押し倒されたエディットは力強く抱きしめられ、声はおろか呼吸さえままならない。


 だが、微かに聞こえるルリーテの、ほんとによかった――、という涙声に誘われて、自身の瞳からも大粒の涙が零れだす。

 側にしゃがみこんだエステルも声にならず鼻をすする音ばかりが耳に届く。


 事情を知らない他の面々はあっけに取られているも、その光景に心に温もりを覚えない者はいないだろう。

 静かに見守る一同の耳に届くのは、川のせせらぎと少女たちのすすり泣きの音だけだった。

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