第1話 少年とタマゴ 7 ―快適なドライブは前途多難の幕開け―

7


「いや~本当助かりましたよ! ハハハッ!」


 少年はニコニコしながら運転する男に話しかけた。


「いやいや、困ってるときはお互い様だからね~、それにしてもあの自転車高いでしょ? 勿体ないね!」


 男は荷台に乗せられた少年の自転車を首で指した。


「へへ、まぁまぁです! ほんのちょっとだけバイト頑張っちゃった感じですかね! ま、明日にでも修理に出しに行きますよ!」


 と少年は笑った。……というか、車に乗ってからの少年の顔からは笑顔が絶えなかった。

 それは、車に乗れている快適さからなのか、

 それとも男の優しさに触れたからなのか、

 そのどちらでもある。

 だがそれだけではない。少年のキラキラと光る瞳の奥にはもっと別のモノがあり、その別のモノがこの笑顔を生み出しているのだ。


「ふぅ~ん、そっか。それで、自転車買って一人旅? もしかして、日本一周?」


 少年の自転車に積まれた大量の荷物の中には、テントや食料品など旅に必要な一式が積まれてあった。男の発言は冗談だろうが、もし本気だとしてもおかしくはない。

 だが、少年の回答は


「いやいや、違いますよ。一人旅つーか、引っ越しっすかね!」


「引っ越し? 君一人で? 家族は?」


「へへっ! 一人じゃないっすよ。ただ、俺だけ約束があったんで、家族より先に出発したんです! どーしても! 行かなきゃいけない約束なんで!」


「ふぅ~ん。そうなんだ」


「はい! だからちょっと奮発して良いヤツ買ったつもりだったんすけどね……パンクしちゃって」


 少年は助手席からトラックの荷台を振り返った。


「ハハハッそういうときもあるよね」


「へへっ! だから本当助かりました!」


 少年がそう答えると、男はニヤッと笑った。


「で、その約束ってなに?」


「え……? あ……えと……そうですね……んとぉ」


 男の質問に少年は突然戸惑いをみせた。

 男の質問は初対面にしては少し突っ込んだ質問ではあるが、会話の流れとして当然の質問とも言える。だが、少年は困った顔をして人差し指で生え際の辺りをポリポリと掻いた。

 この仕草、少年は自転車がパンクした時もやっていたが、実はこれ、少年が困った時に見せる癖なんだ。


「あれ? 言えないやつ?」


「え……? いやいや、そんな事ないですよ! えっとですね、友達と会う約束……ですかね!」


 と少年は答えたが、少年の表情からはさっきまでの満面の笑みは消えて、ヘラヘラとして誤魔化している。

 運転する男はその顔をチラリと見ると、もう一つ質問を加えた。


「へぇ~友達とね……これから引っ越しするのに、友達がいるの?」


「え? そうですね……俺、昔、輝ヶ丘に住んでたことあって……」


 と少年が答えると、胸に抱えていたリュックがゴソッと動いた……


 タマゴだ。


 タマゴは今、少年によって再びリュックの中に詰め込まれていた。

 少年がそのリュックの少し開けたままにしていたくちを覗くと、タマゴの目が口止めをするように少年を睨み付けていた。

 その目を見た少年はゴクリと生唾を飲み込んだ。そして、チラッと男の顔を見て男が前を向いているのを確認すると、リュックに顔を近付けて極々小さな声で……


「最後までは言わねぇよ……でもちょっとだけでも答えないとさ……」


 だが……そんな言い訳は通用しなかった。

 タマゴは『問答無用!』とでも言うように、リュックの中で飛び上がって少年に頭突きをくらわせた。


「イテッ!!」


「うわっ! ど……どうした?」


 突然の少年の叫びに男は驚いた。


「え……いや、ハハ! なんでもないです、なんでも、ハハハハ」


 少年は笑って誤魔化した。


 今、彼らの目の前の信号は丁度黄色から赤色に変わったところで、男は車を止めて体ごと少年の方に向き直った。

 額を撫でる少年を見た男は不審そうな目付きに変わった。


「兄ちゃん……大丈夫か?」


「え……えぇ……全然、全然大丈夫です!」


 少年は男が自分のデコの痛みを心配してくれてると思った。でも違う。


「いや、そうじゃなくて酒……飲んでないよな?」


「え……いえいえ! まさかぁ!!」


「本当に?」


「本当です! 本当です!!」


 少年は『うん!うん!』とニワトリみたいに首を動かした。


「ほぅ……まぁ酒臭くもないからなぁ」


「そうでしょ? 逆に言えば、今日の俺、コーラ一本しか飲んでないくらいっすよ!」


 少年は熱い眼差しで力強くそう言った。


「そうか? うん……じゃあそれはもう良いや。でも、今更だが一つ確認させてくれ」


「はい!」


「兄ちゃん、本当は家出とかじゃ無いよな?」


「え?」


 少年は固まった。男の急な疑いに『何故?』と思ったのだ。

 しかし、それは当然の疑いだった。男からの質問を受けた途端に、少年の態度は挙動不審になった。しかも答えても何か誤魔化してる感じ。そういう疑いを持たれても仕方がないだろう。


「もしそうだったなら困るなぁ、警察沙汰は勘弁だ」


「え! そんな……そんなんじゃないですよ!」


 少年は焦った。有らぬ疑いなのは確かだ。弁明しなければ……


「大丈夫です! 警察沙汰なんて、そんな……俺、どちらかって言ったら正義の味方ですから!」


「はあっ?」


 男は口をポカーンと開けた。『何言ってんだコイツは……』って思ったのだろう。


「本当に? 本当に大丈夫? 俺さ、警察嫌いだからさ関わるの嫌なんだよね、頼むよ」


「え……あ……そ、そうなんですね! 警察怖いですもんねぇ!」


 少年の焦りは終わらない。まだまだ目的地までは遠い。もし『ここで降りてくれ』なぞ言われたら堪ったものじゃない。


「それと、本当に大丈夫です! 俺、本当に家出じゃないですから! なんだったら母ちゃんに電話かけます? 確認取ってもらっても良いですけど」


 と少年がスマホを取り出そうとすると男は手を払った。


「いや、それは良いや。後でで……本当に家出じゃないんだな? そうじゃなければ問題はない。すまんな、疑って」


「後で? はぁ……いえ、こちらこそお騒がせしてごめんなさい」


『後で……』とはどういう意味だろうか?少年は疑問に思ったが、それ以上に思ったことがある。

 それは、タマゴへの怒りだ。


― このやろぉ……"コイツ"が頭突きなんかすっから、お兄さんに不信がられたじゃねぇか!勘弁してくれよな!


 でも、その頭突きのお陰で男からの"少年の約束"に関しての質問は止まったのは確かだ。

 信号は青色に変わり、男の車は再び発進した。


「で、さっき急に叫んだりしてさ、どうしたの?」


「あっ……へへ! いやいや、何でもないっすよ! おでこ掻いたら爪でガリッてやっちゃって……あぁ~血ぃ出なくて良かったぁ~!」


 少年は赤くなったおでこを指差しながら、下手な芝居でそう言った。

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