第1話 約束の日は前途多難 7 ―少年の決意―

 7


「降りろ!」


 男は叫びながら、ナイフを指示棒の様にして車外を指した。結局男はナイフを少年から離してくれる事は無かった。


「……」


 少年は言われるがままに車を降りようとドアを開けた。

 しかし、何故だか男は、降りようとする少年の腕を引き車内に戻した。


「やっぱダメだ。お前なんか今までの奴と違うわ、俺から降りる」


 そう早口で言いながら、語尾を閉める前に男はリュックを持ったまま先に車を降りていった。

 男に無理矢理引っ張られた少年は仰け反る形で倒れ、車の天井を仰ぎ見た――天井が波のように揺れて見える。


 ― あぁ……頭がぼんやりする。まさか殴られるとは思ってなかった……クソッ……口も鼻も血でグッチョリだ。気持ちわりぃ……


 少年は流れた血を手の甲で拭った。


 ― あの野郎、さっき何つった?


 少年の脳内で男が発した言葉が繰り返される。


「今までの奴……そう言ったよな」


 少年は自分自身に確かめるように、呟いた。


「やっぱりか……それじゃあ、やっぱりこれは……」


 少年はダンボールジョーカーの人形を強く握った。


「………生きててくれ……俺が絶対助けっから!」


 ―――――


 車を降りた男は反対側へと回り、半開きのままのドアを開けると、仰向けに倒れた少年の腕を無理矢理取って車から降ろした。


 少年は逆らう事なく車から降りて、腕を引かれて大人しく男に付いて行く。

 男は奪ったリュックを肩に背負っていた。リュックの口はまだダラリと垂れたまま……


 男は最前に少年が見た、"拓けた場所"へと歩いていく。その先に有ったのは、寂れた工場の様な建物。

 少年は建物を睨む。暴れはしない。少年はただ冷静に、今起きている全てを目に焼き付け、状況を整理する事に努めていた。


 現在、少年の目に映る物は目の前の廃工場の様な建物と、それを取り囲む木々の群れだけ。

 辺りに人気ひとけはなく、人を拐うにはもってこいの場所だ。

 廃工場の正面に設置された目視で高さ3mくらいのシャッターは開け放たれていて、少年から見て向かって右側の工場の外部には鉄骨の階段があった。


 男の方は外部の階段には目もくれず、ただ真っ直ぐに正面のシャッターへと向かっている。

 少年はシャッターの奥を凝視する――太陽の光が差し込む入り口の辺りまでは埃っぽい地面が薄暗く見えているが、その先は奥に行けば行く程暗闇が濃くなっていて何も見えない。


 目に見える物からの情報を頭に叩き込むと、次に少年は考え始めた。


 ― コイツ、仲間はいるのか? それとも一人なのか? これから俺に何をしようとしているんだ……


 少年は何故男が自分を脅し、拐うのか、その理由を考えた。

 強盗か、誘拐か、いたずら目的という線もある。そしてもう一つ、


 ― 何でこんなに無防備なんだ……自分が優位な立場つったって、なんで俺に目隠しも何もしないんだ? 全部見られたって構わないっていうのか?


 少年は、"足がつく"可能性のある物を男が隠そうとしていない事にも疑問を感じていた。

 少年を連れ込もうとしている工場に、少年を乗せてきたトラック、それとサングラスや帽子など一切していない男自身の顔……だが、男の顔に関してはすぐに答えは出せた。

 もし隠していたのなら少年は男への警戒心を解かず、男に付いてくる事はしなかっただろうし、少年を拐う為に『敢えて隠さなかったのだろう』という考えに至った。


 ― そうなるとトラックも同じだ。コイツは俺が警戒しないように演技をしていた。"自転車が壊れて立ち往生している少年を助ける優しい男"……の演技を。だったら俺にトラックの存在をアピールしなきゃいけないし、トラック自体を俺に見せないとだ。じゃあ車に乗せる直前に目隠しを……ってそれも難しいか


 ― でも、本性を現した後だったらどうだ? それは……出来るな。ナイフを突き立てる事が出来るんなら目隠しなんて簡単だ。なら何でコイツはそれをしないんだ? もし俺が逃げ出して警察に駆け込めば、警察がコイツを特定するのなんて簡単になる……


 ― 逃げ出す訳が無い……そう考えてるって事か? だとしても、コイツの目的が強盗だったと仮定して、俺から金を奪った後どうする?


 その疑問を自分自身に投げかけると、推測出来る答えは一つしかなかった。

 その推理が正しければ、無防備とも取れる男の行動の理由も理解出来る。


 それは、一番出したくはなかった答えだった。

 だが、それしかない答えだった。


 ― 殺人……か。コイツは最終的に俺を殺そうとしてる。そうとしか考えられない……顔を見られようが、"足がつく"物を見られようが関係ないんだ。コイツは初めから俺を帰そうとなんか考えていないんだから……なるほどな。そういう事かよ……


 シャッターの目の前まで来ると、男はより強い力を込めて少年の腕を引き、工場の中へと連れ込んだ。

 少年は拳を強く握った。

 それは痛みからじゃない、悔しさからでもない、少年が心に抱くものは、


 ― ちくしょう……でも、このままコイツの良いようにはさせねぇ……必ず……必ずッ!!


 ……決意だ。


 ――――


 男が担ぐリュックの中で、タマゴは静かに瞳を閉じていた。

 あのとき、少年は『まだだ……』そう言った。

 タマゴは信じる。今はまだ動く時ではないと。"その時"は必ず少年が教えてくれると。

 『今だッッ!!』という合図を待ち続ける。


 ―――――


 工場に入ると少年は、男に促されシャッターの右側に設置された階段を上らされた。

 人ひとり通れるだけの狭い階段を、最前までとは違い男の先を行かされる。横腹には『言うことを聞け』とナイフが突き付けられている。


 工場の中は暗い。

 天井を見上げると、微かに輪郭だけが見える窓がトタン板なのか何なのか、デコボコした何かに封じられていて、壁面にも窓があるようだが、それも同様にナニモノかで塞がれている。

 正に暗闇の世界。

 男が足元を照らすスマホのライトだけが頼りだ。


 暗闇の中でカン……カン……と鉄を叩く様な音を響かせ、少年と男は階段を上り続ける。しかし、それも終わる。少年は二階部分に着いた。


「こっちだ……」 


 二階に着くと再び男が前を行く。男は少年の腕を掴み、歩き出す。

 暫くすると男はスマホのライトを足元から壁面に向けた。


「あっ!!」


「喋るな……」


 そこにあったのは錆色の無機質な扉。

 男はドアノブを回した。

 開けた瞬間に部屋の中からは目映い明かりが漏れる。同時にムッとする熱い空気が流れ出て、噎せてしまいそうになる程のタバコの臭いが少年の周りを漂った。


「蒸すな……サボりやがって……」


 男がボソリと呟いた。


 ― サボる?……他にも仲間がいるのか?


 扉を全開にすると男は、少年の腕から手を離し、肩を強く押した。


「あっ!!」


 躓く様に部屋に足を踏み入れた少年は、最前に抱いた疑問の答えを知る。


 男の仲間がそこには居た。

 それは二人、男が二人。

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