第4話 中と外の英雄 10 ―カヨちゃん、助けて……―

 10


 ガタガタっ……とお婆ちゃんは山下の出入口の引戸を揺らしていた。

 遊んでいる訳ではない。鴨居から外れてしまった引戸を直したばかりだから、開けたり閉めたり揺らしたりして、問題がないか確かめていたのだ。


 そんな時、


「ん?」


 お婆ちゃんは店先に誰かが立ったのに気が付いた。


 その人物は項垂れる様に頭を下げて、陰鬱な雰囲気を纏っている。現在の輝ヶ丘は巨大テハンドが太陽光を遮ってしまっている為、夜の様に暗い。しかも、山下の近くには街灯が少ないから、長い髪が顔を隠してしまっているその人物の表情は全く見えない。

 でも、いつもなら明朗なその人物が陰鬱な雰囲気を纏っているのだから、お婆ちゃんは察した。


『彼女は泣いている』


 ……と。


 そして、お婆ちゃんは引戸から手を離すと、店を出て彼女……いや、

「萌音ちゃん? 萌音ちゃんなんだろ?」

 真田萌音に近付いていった。

 泣いている萌音に気付いている自分を隠して。

「どうしたんだい、萌音ちゃん? あんたも輝ヶ丘にいたのかい? 風見に家を借りたって言ってただろ?」


「カヨちゃん……」


 語り掛けられた萌音は、お婆ちゃんの質問には答えなかった。きっと、その余裕が無いのだろう。萌音は近付いてきたお婆ちゃんに、まるで倒れ込む様に抱きついたのだから。


「カヨちゃん……良かった。会えた……」


 真田萌音の瞳から溢れる涙は、頬を伝い、お婆ちゃんの肩を濡らした。


「ど……どうしたんだい?」

 そんな萌音を見て、お婆ちゃんは心臓がギュッと苦しくなった。

 真田萌音が幼稚園に通っていた頃から知っているお婆ちゃんでも、萌音のこんな姿を見るのは初めてだったから。

「涙なんか流して、何か辛い事でもあったのかい?」

 お婆ちゃんは萌音の項垂れて乱れた髪をかき分けて、濡れた頬を優しく拭ってやった。

「もしかして、何かされたんだろ。あの男に……」


 お婆ちゃんはキツネのお面の最後の言葉を聞いていた。だから、キツネのお面が最後に言った言葉が、萌音がストーカー男に襲われかけた日の事を言っているのだと分かっている。

 だから、お婆ちゃんは萌音が涙する理由はキツネのお面=ストーカー男にあるのだと思ったのだ。


「私も、あの気持ち悪い声をラジオで聞いたよ。アイツなんだろ? 輝ヶ丘にこんな事をしているのも……」

 お婆ちゃんはそう言いながら、襲われた自分の店を見て、そして太陽の光も奪われた暗い空を見た。

「……愛ちゃんが見付けた怪文書を書いたのも、全部あのストーカー男の仕業なんだろ?」


「うん……」


 萌音はお婆ちゃんの肩に顔を埋めたまま、コクリと小さく頷いた。


「ううん……でも、違うの」


 しかし、頷いたかと思うと、萌音はすぐに首を横に振った。


「え? 何が違うんだい?」


「私のせいだよ……私が、あの男を刺激してこの事件を招いたんだ。全部私のせいだよ」


 この言葉にお婆ちゃんは激しく首を振る。

「違うよ、萌音ちゃんのせいじゃないよ」


「ううん……」


 でも、萌音もまた首を横に振った。

 そして、萌音はお婆ちゃんをより強い力で抱き締めると、お婆ちゃんの耳元でこう囁いたんだ。


「カヨちゃん……助けて」


 ―――――


 愛が山下に真田萌音が現れた事を知ったのは、萌音が現れてすぐの事だった。

 愛が希望に『あとはここ任せても良いかな?』と言おうとした瞬間、外からお婆ちゃんと萌音の話す声が聞こえてきたのだ。


 その声を聞いた愛はすぐに1階に降りて、開け放たれたままの出入口の少し前で二人が山下に入ってくるのを待っていた。……のだが、


「ごめんね、桃ちゃん……今はカヨちゃんと二人にさせて」


 萌音とお婆ちゃんが店内に入ってきた時、すれ違いざまに萌音にそう言われてしまった。


 悲しいかな、愛はその理由を聞く事が出来なかった。ただ、「う……うん」と頷いて、2階へと上がっていく萌音とお婆ちゃんの背中を見送る事しか出来なかった。


 何故そうなったのか、それは暗く沈んだ雰囲気の萌音を見て愛は驚いてしまったからだ。

 そして、今の萌音が纏う雰囲気は、家が燃える光景を見た後の萌音のそれに近かった。


 だから、愛は待つ事にした。


『先輩に何かが起こったんだ……』愛はそう感じたから。

 それに、萌音は『今は』と言った。ならば『少し待てば先輩に会える筈。少し待って、先輩と話がしたい』と愛は思ったんだ。


 もし、冷静な者がここに居れば『事件を解決する為に、輝ヶ丘の大木に行くんじゃなかったのか?』と愛に聞いたかもしれない。

 でも、そんな指摘されても愛はやはり待つ事にしただろう。


 だって、愛は萌音と出会ってから何度も彼女に救われてきたのだから。


 部活や勉強、友達との関係が上手くいかなかった時、萌音は何時間でも相談に乗ってくれた。内容が悩みでも、愚痴でも、何でも聞いてくれた……、萌音は愛が笑顔を見せるその時まで、ずっと愛の心に寄り添い続けていてくれたんだ。

 そんな萌音が暗く沈んでいる。

《愛の英雄》としても、桃井愛……一個人いちこじんとしても、『今の真田先輩から離れたくない』と思って当然だろう。……いや、そう思える愛だからこそ、《愛の英雄》に選ばれたのではないだろうか。


 だから愛は待った。

「………」

 小上がりの端に座って、お婆ちゃんと萌音が2階から降りてくるのを。

 家から持ってきたスポーツドリンクを山下の台所にあったコップに五等分に分けて、希望達と一緒にちびちびと飲みながら。

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