第3話 慟哭 8 ―聞こえてきた声に彼は心を殺されたのか―

 8


 何があった……もっと、もっと、深く思い出せ。


 そうだ……化け物に銃を向けられた俺は、情けない事に思わず怯んでしまったんだ。


「あ………」


「フハハッ! どうしたその顔は? 怯えているのか? ハハッ! お前、死にたいんだろ?」


 そして、化け物は俺を笑った。

 その笑顔は正に邪悪で、禍々しかった。笑顔を作るその口は、本来なら右目がある筈の場所にあって、反対に口がある筈の場所には、右目なのか左目なのか、どちらかの目があった。その他は覚えていない。いや、覚えていないと言うか、見ていないんだ。正直この時の俺は、敵の顔をまじまじと観察する程の余裕を持っていなかったんだ。情けない事に、俺は化け物が発する威圧感に圧倒されてしまっていたんだ。


「ふざ……けるな! 誰がお前なんかに殺られるか!」


「フハハハハッ! よく吠える犬だ!」


 化け物は俺の言葉を笑った。だけど、俺もハッタリをかました訳じゃない。俺はこの時、確かに化け物と戦おうとしていた……それなのに、それなのに、何故俺は今こうして無様な格好でいるんだ……思い出せ、思い出せ、


 それから……それから……


 俺を笑った化け物は、俺に銃口を向けながら歩き始めた。ジリジリと化け物は俺との距離を詰めてきた。

 そんな奴に、俺は啖呵を切った。


「笑っていられるのも今の内だ……」


 何も言葉に嘘は無かった。俺は化け物を黙らせるつもりだった。警官の命を奪ったアイツの笑い声を聞くのは反吐が出る思いだったんだ。


 そして、俺は化け物が向ける銃を足を振り上げ、蹴った。


「ハアッ!!!」


 アイツは俺が反撃してくるとは思ってなかったのだろう。油断していたアイツは隙だらけ、簡単に蹴りをくらわせられた。


「うッ……何すんだクソガキッ!!」


 それから俺は、支えにして立ち上がった木を回り、林の奥へと走った。体の痛みや苦しさはどうでも良かった。それよりも、警官達からなるべく化け物を遠ざけようと思っていた…………


「BANGッ!!! BANGッ!!!」


 そんな俺を、化け物はふざけた口調で撃ってきた。だが、奴の攻撃は俺に当たる事は無かった。アイツは俺の思惑通り、俺を追い掛けてきていた。だから走りながらの射撃だ、上手く狙いを定める事が出来なかったんだろう。俺にとっては幸いだった。

 それから暫く走り続けた俺は、少し開けた場所に出た。その場所は木々が密集していなくて、点々と生えている場所だった。

 相手は銃を使っている。それなら、なるべく敵が隠れる場所が少ない方が戦いやすい……そんな場所が何処かにないか……と俺は考えていた。だから、あの場所に出た時、丁度良い場所を見付けた……そう思った。

 そして、俺はその場所で…………そうだ、そうだった。その場所で俺は、戦う為の力を得ようと、腕時計を叩いたんだ。だけど……だけど……あぁ、そうだ。だけど、結局力はまた、俺のところへは来なかったんだ。


「な、何…………はぁ……はぁ……はぁ……」


 腕時計が何の反応も示さない事を知って、俺の呼吸は再び乱れ始めた。


「フハハハハハハハッ!! 何だ? 何をしている?」


 俺に追い付いた化け物は、再び俺を笑った。


「フハハハハッ! そう言えば、昨日会ったあのガキもソレと似たもんを着けてたなぁ! だが、お前はソレを使う事が出来ないみたいだなぁ! ハハハッ!!」


 屈辱だった……屈辱でしかなかった。


 俺は、今まで自信過剰に生きてきた。敢えて、敢えてだ。その生き方は俺の信念に基づいてなのだから。何故か、それを言うと、自信さえ持っていれば、たとえ現在では過剰な事でも未来では本物になる……そう信じていたからだ。そして、その信念は今まで外れる事は殆どなかった。


 英雄に関する事以外ならば……


 何故なのだろうか……何故、英雄の力だけは、どんなに信じていても、俺に与えられる事はないんだ……どうして、どうして……腕時計よ、お前が答えを知っているなら教えてくれ。ははっ……どうせ答えてはくれないんだろ?そんな事は知っている。何故なら、いつもそうだからだ。


「どうしてだ……何で! 何でだ!!」


 馬鹿みたいだ。化け物と対峙していた時の俺も、同じく腕時計に問い掛けた。この時の俺は『今こそが本物になる時だ』と確信を持ってしまっていた。何故なら、今ここで化け物と戦える奴は俺しかいなかった。ならば目の前の化け物を倒すのは俺なんだ……と信じたからだ。力を与えられない事にずっと耐え続けて、そして今その時が来たんだと……この時の俺はそう信じてた。それなのに、また力は与えられなかった……


 そうだ……この時だった。あの声が聞こえ始めたのは。


 どんな声色だったか。思い出せない。男だったか、女だったか、それも今になっては思い出せない。


 不思議な声だった。兎に角、不思議な声だった。


 何と言ったんだったか……その声は何て……



『お前の居るべき、場所を、はき違えるな』



 そうだ……そう。こんな感じだ。いや、感じじゃない。確かにそう言った。


「なに……」


 そして、俺はこの声を、初めは目の前の化け物が発しているのかと思った。


「あ? 何だよ?」


 化け物は首を傾げた。それはそうだ。化け物には声は聞こえていなかったのだから。


『お前に似合うのは、光でも、せいでもない、闇と、死だ』


「何を言っているんだ……」


「は? お前こそ何言ってんだ?」


 この辺りか、声の質が化け物とは違うという事に俺がやっと気付いたのは。いや普通の人間とも違う。どこかくぐもって聞こえる感じ、水中で音を聴いている感じだ。そして、思った。その声は俺の耳に届いているんじゃないんじゃないのか? ……と。もしかして、俺の脳に直接流れ込んできているんじゃないのか……と。


『友を間違えるな……お前の友は、死であり、恐怖だ』


「何だと! お前は誰だ! 友を間違えるなとはどういう意味だ!」


「は? 何だ?お前、一人で話して、気でも狂ったのか? ハハハハハッ!」



 気でも狂った……



 嗚呼、そうだ………そうだった………



 ―――――


「気でも狂った……」


 勇気は化け物の言葉を思い出すと、記憶を探るのを止めにした。


 自らの記憶を探っている内に、勇気の乱れた呼吸は落ち着き、吐き気も、全身の寒気も無くなっていた。だけど、化け物の言葉を思い出すと同時に、もう一つ失くなったものがある。それは、生気だ……


「そうだよ……」


 亡霊の様な青白い顔で、勇気は雨の中を歩き出した。


 勇気が雨空を見上げていた場所のすぐ目の前には、小さな川があった。勇気はその川に近付くと、水面を覗き込んだ。


「俺はあの声に惑わされておかしくなったんだ。そうだ……そうだった……全部、全部俺のせいだ……」


 勇気は呟いた。水面に映る自分の顔に向かって。


 水面にポタポタと落ちる。雨粒が……いや、勇気の涙が。


「俺のせいだ……全部、俺の、俺の……」


 涙と共に勇気は膝から崩れ落ちた。


「あの人達が死んだのは、俺のせいだ……俺が……俺が……弱いから、あの人達は……」


 勇気の瞳から流れる涙は、慚愧の涙。


 勇気は全てを思い出したんだ……

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