第3話 慟哭 7 ―負けるな……―

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 傷付いた勇気の体……本来なら、歩く事すらも無茶な状態だ。いつ倒れてもおかしくない状態、走るなんて事は常人なら不可能に近い行為。

 しかし、勇気には自負がある。『自分は英雄だ』という自負が。だから、勇気は英雄として動かずにはいられなかった。『警官達を助けられるのは自分だけだ……』と気力を振り絞って、勇気は走った。


「………」


 走り出して暫くすると、男と警官の言い争う声はより鮮明に聞こえてきた。


 いや……警官達の語調がさっきまでと違う。もう警官達は男と言い争ってはいない。どちらかと言うと悲鳴だ。『男を説き伏せようとしていた威圧としての叫びが、恐怖からの叫びに変わっている……』と勇気は感じた。


「嫌だ嫌だ! 助けて!」


 あの若い警官も叫んでいた。


 ― 何が起こっているんだ……


 勇気は急いだ。もう少しだ。ドンドン、男達の喧騒の声が近くなってくる。


「嫌だ! 俺は死にたくない!」


 また若い警官の声。同時に、車が動き出す音が聞こえた。


「何なんだ……何をしているんだあの男は」


 目の前には短い坂道。もう少しで男達が居る場所が見える筈なのに、坂の上からだと前方の木々の葉の群れが邪魔をして見えない。

 勇気は急いで坂を駆けた。


 ドカンッ!!!


 爆発音だ。その音と同時に、坂道の中腹からでも熱い明かりが見えた。


「何なんだ………ハッ!!」


 坂を降り切ると見えた。メラメラと燃えるパトカーの姿が……


「………」


 勇気は絶句した。先に受けた検問の場所から、少し進んだ場所にパトカーはあった。いや、炎上するパトカーに驚いて勇気は絶句したのではない。そのパトカーの近くに居る者の姿を見て、勇気は絶句したのだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 その者を見た途端に、勇気の動悸は乱れ、呼吸は荒くなった。それは体の痛みや、体力の消耗からではない、


「ば……化け物……化け物だ」


 それはパトカーの近くに立つ者、勇気の瞳に映る者、禍々しくも白い、異形の者のせい……


 勇気はまだ正義達が言う《バケモノ》の存在は知らない。しかし、勇気は自然と『化け物』、その言葉を使った。


「あの男は……化け物……化け物だったのか」


 勇気は直感した。今、自分の瞳に映る化け物が、あの男である事を。

 そして、勇気の視界の隅には《王に選ばれし民》が現れた時と同じく、黒い影が……煙の様に浮遊する闇の塊が、現れ始めていた……


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ― どうした……落ち着け。落ち着くんだ……


 自分自身にそう呼び掛けるが、落ち着こうとすればする程、逆に呼吸は乱れていく。


 ― 何なんだ……何なんだ……アイツは……


 気が付けば勇気は、膝をついて倒れていた。吐き気が込み上がり、胃液が口から漏れる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ― 立て……立て……立て……負けるな……負けるな


「負けるな!!」


 勇気は再び自分を奮い立たせ、立ち上がった。大きく足を一歩前に踏み出し、勇気は再び走り出す。


「うぉぉぉぉぉ!!!!」


 白い化け物は勇気の存在には気付いていない。


「フハハハハッ!」


 化け物は再び大きく笑うと、後ろを振り返った。


 化け物が振り返った先には警官達がいる。彼等の内、一人が


 パンッ!!


 銃を発砲した。


 しかし、


「フハハハハハハッ!!」


 化け物には効かない。それを化け物自身も分かっていたのか、撃たれても動揺一つ見せなかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 勇気は走った。『このままでは警官達が殺されてしまう!』そう思いながら、もつれそうな足を懸命に回して。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 勇気はパトカーの横を通り過ぎた。その先は緩やかな下り道、道の途中ではカラーコーンが散乱していた。おそらく動いたパトカーが飛ばしたのだろう。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 もう少しだ。もう少し先に化け物はいる。下り道が終わったその先に。化け物は警官達に囲まれていた。しかし、化け物は「フハハッ!」と高笑いを上げている。


 ― 笑うな……笑うな化け物がッ!パトカーの中にはきっとあの人が居たんだ。あの若い警官が……その人の命をお前は奪ったんだ! それなのに……それなのに……


「お前が笑うなッ!!!」


 勇気は再び無茶をした。痛む体を圧して、勇気 は化け物に向かって飛んだ。化け物は目の前、長い手を伸ばし、勇気は化け物に掴みかかる。


「………んッ!!!」


 勇気に背中を見せていた化け物は勇気の登場に虚をつかれた。


「何だ!!!」


 そして、気付く。勇気の存在に。


「お前は! さっきのクソガキかっ!!」


「うぉぉぉぉぉ!!!!」


 勇気は化け物が着たコートの襟を右手で、左手で化け物の左腕を掴み、雄叫びを上げながら化け物を林道の脇へと引いていった。


 警官達は化け物とは違い、勇気が化け物に向かって駆けていている事に気付いていた。だから、先に銃を撃った警官に続けての発砲を誰もしようとしなかったのだ。しかし、誰一人として、まさか勇気が化け物に掴みかかるなどとは、想像してなかっただろう。


「うぉぉぉぉぉ!!!!」


 勇気は化け物と共に、ただ一本だけパトカーに飛ばされずに残っていたカラーコーンを巻き込みながら、林の中へ飛び込んだ。


 林道を外れたすぐそこは急な傾斜。勇気は化け物と共に傾斜を転がった。


「離ッ……離せぇ!!!」


 傾斜を転がり落ちる途中、化け物は勇気を強引に振り払った。化け物の力はやはり強い。勇気は弾みながら林の中へと転がっていった。


「クソがぁ……邪魔しやがって! コラァ!!」


 化け物はすぐに立ち上がる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 反対に勇気は体の限界が近付いていた。立ち上がろうとしても、


「うぅ……」


 足が滑り、立ち上がる事が出来ない。


「クソ……」


 なんとか目の前の木を支えにして立ち上がる。


「負けるか……負けて堪るか」


 しかし、そんな勇気を化け物は笑う。


「フハハハハハハッ! そうか、そうか! 分かったよ、お前死にたいんだな? そうだろ? ハハハッ! じゃあ、お前から先に殺してやるよ!」


 化け物は右手に生えた銃を勇気に向けた。


 ―――――


「そうだった……俺は、この後おかしな声を聞いたんだ」


『自分に何が起こったのか……』と思い出そうとしていた勇気は、雨で濡れた体を震わせながら立ち上がった。気付けばもう陽は暮れ始め、雨は更に強くなっていた。


「どういう状況だった?思い出せ……もっと思い出せ……」


 木の陰から出ると、勇気は雨空を見上げた。雨に濡れれば濡れる程、眠った記憶が甦る気がしたんだ……

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