第1話 少年とタマゴ 8 ―アイツは俺の親友だ―

8


「"アイツ"は来る、そうだろ? ……必ず来る! "アイツ"はそういうヤツだ!」


 勇気は愛にそう語り掛ける様に言った。


 愛は、勇気が発する『アイツ』という言葉の中に、親しみや友情がある事を知っていた。

 そして、勇気が"アイツ"に絶大なる信頼を寄せている事も。


 だからだろう、勇気がいつも通りの日常を送れているのは。


 その信頼は愛の中にもあった。

 "アイツ"に対する信頼が。

 けれど、日に日に迫る"今日"という日への恐怖が、その信頼を忘れさせていたんだ。


「そっか……そうだよね!」


 愛は思い出した。

 その信頼を……


「絶対来るよね! だって、せっちゃんだもん!」


「あぁ、そうだ……」


「うん!」


 愛の顔に本当の笑顔が戻った。

 その場を取り繕う為のモノじゃなく、嘘を誤魔化す為のモノでもない、心からの笑顔が愛に帰ってきた。


「ふふっ!」


 愛は笑った、何か楽しい想い出を思い出した時に出る笑いだ。

 何を思い出したのだろうか?

 しかし愛はその事を語る事なく、今度は「あ……」と吐息を漏らすと勇気の顔をジーっと見詰めた。


 それに気付いた勇気が


「ん? どうした?」


 と聞くと、 「ふふっ……」愛はもう一度笑って、ピンっと人差し指を立てた。


「……勇気くんの言葉、いっこだけ否定させて」


「え……? なんだ?」


「せっちゃんを一番理解してるのは……」


 愛は立てた指を勇気に向けた。


「……私じゃなくて勇気くんだよ!」


 愛は満面の笑みでそう言った。

 その笑みは子供の間違いを嗜めながらも、『可愛い』という感情が抑えられずに笑ってしまった新米ママの様だ。



 だが、



「ふっ……」


 そんな愛を勇気は鼻で笑った。


「えっ……なんで笑うの!」


「何を言うかと思ったら……」


 勇気は愛から顔を反らし、校舎越しの空を見詰めながら牛乳を一口飲んだ。


「……なに馬鹿な事を言ってるんだ」


「えっ! 何それ!!」


 と反射的に驚きはしたが、愛はすぐに気が付いた。


「あ……」


 勇気が照れているという事に。

 何故なら、勇気の顔を見るとその顔はほんのりと紅く染まっているのだから。


「もぉ~う!」


愛は牛のように鳴いた。


「誤魔化さなくたって良いのに! せっちゃんに会えるの勇気くんだって嬉しいんでしょ?」


 愛は知っている。

 勇気と"アイツ"の絆の深さを。

 いや、それは愛だけではない。きっとあの頃の同級生ならば皆が知ってる事だ。

 もし今、すぐ横に果穂が居れば彼女も愛に同意しただろう。


 しかし、勇気は愛の問い掛けに 「ふぅ……」とため息を吐いて返した。落ち込んでいるとか、愛の質問にムカついているとかじゃない、これはこれまた照れ隠し。

 ジャケットのポケットに両手を突っ込んで空を見詰める勇気の口元は、何やらむにゃむにゃと動いた。

 愛がじーっとその口元を見ると、勇気の口は段々とプルプル震え出した。


「あー! 笑ってる!」


 愛が指摘した瞬間、


「ぷっ……はははっ!!」


 勇気は遂に吹き出した。


「ちょっとぉ! 何笑ってんの!」


 勇気の笑いは止まらなかった。


「いや、はははっ!!」


 勇気は背中を丸めて少し屈む姿になって、自分でも抑える事の出来ない笑いに抵抗した。


「な……なに笑ってんのよぉ?」


 愛は困惑した。訳が分からないから。


 勇気は涙目になった顔を上げて、愛に向かって『違うんだ』と手を振ってジェスチャーで伝えようとした。

 しかし、伝わりはしない。

 勇気が笑う理由は、自分自身が可笑しくなってしまったからだ。照れ隠しをして必死に格好つけようとする自分が可笑しくて堪らなくなってしまったのだ。


 でも、そんな事が愛に分かる筈が無い。


 困惑する愛は腰に手を当てると「ふんっ」と鼻を鳴らし、未だ「プププ……」と笑いに耐える勇気に近付いた。

 愛はちょっと怒っていた。どうやら自分が笑われていると思ったみたいだ。


「はぁ……はぁ……」とやっと笑いが治まった勇気が愛に顔を向けると、


「どいて!」


 愛はムッとした怒り顔でシッシッと手を払った。


「ふぅ……」ともう一度ため息、勇気はまたオーバーリアクションで両手を広げた。

 でも、このリアクションとは正反対に素直に勇気は体一個分横にずれて愛が座れるようにスペースを空けた。


 スペースが空くと、愛は勢いよくドンっとベンチに座って、刑事ドラマの主人公みたいにキリッと勇気の顔を見た。


「勇気くん、う・そ・つ・か・な・い・の!」


 愛は人差し指を立ててリズムを刻んだ。


「嘘?」


「そうだよ! さっきはあんだけ私を問い詰めたクセに! 自分の事になると誤魔化そうとして! ズルいよそんなの!」


 愛は立てた人差し指をクルクルと振り回した。


「私とせっちゃんは確かに幼馴染みです! 幼稚園からのね! でも、流石に勇気くんには負けるんだから!」


 愛の指は軽やかに舞う、まるで指揮者の指揮棒だ。

 愛の言い分も正しい、確かに先程までの自分に手のひらを返す様に勇気は自分の気持ちを誤魔化した、それも愛と同じ理由で、照れて誤魔化したのだ。だが、愛は勘違いをしている。勇気はそんな自分が可笑しくて堪らなくなった。もうそんな誤魔化しをしようとなんてしていない。

 けれど、勇気が正直になるその前に愛は動いてしまった。


「おいおい……勘弁してくれよ」


 勇気がまた『I don't know』と両手を広げようとすると、


「何が、勘弁してくれよ……なの!!」


 愛が犬みたいに吠えた。


「突っかかるなって……」


「突っかかってないわよ! べぇ~~!!」


 舌を出して怒る愛の顔を見た勇気は思った『フレンチブルドックみたいだ……』と。


「はぁ……」


勇気の口からため息が漏れた。今度のは本当のため息だ。


「やれやれ……」


 口に出してそう言うと、自分を睨む愛に顔を向けた。


「確かに、君が言う通り親友というものを誰か一人に決めろと言うのならば……俺にとって"アイツ"がそうかも知れない」


「あ……認めた!!」


「あぁ……認めるさ。否定しても何にもならないからな」


 そう言うと勇気は牛乳をチューっと飲んだ。


「もう!! もっと早く素直になってよぉ~」


 愛は文字通り胸を撫で下ろした。


「本当さぁ……勇気くん、いい加減そういうキャラ辞めた方が良いよ。もっと素直になってさ、勇気くんはせっちゃんの一番の……」


「おいおい……人の話を最後まで聞いてくれ……」


 勇気は愛の言葉を遮った。


「あぁ……"アイツ"が俺の中での一番の友人だっていうのは認めるさ……だがな、俺がこの町に越してきたのは小二の時だ。桃井はもっと古くからの"アイツ"との付き合いだろ? 家だって近所だ。"アイツ"を一番理解しているのは、桃井……それはやはり君だよ」


 本心だ。これが勇気の本心。

 勇気は愛に『"アイツ"と会えるのが嬉しい筈』と言葉にされてしまった事と、"アイツ"と自分との仲が愛にも特別なモノだと見えている事――『勇気が一番の理解者だ……』という愛の指摘がソレだ――に照れはしたが、勇気は別に嘘はついていない。勇気自身は愛の方が"アイツ"の理解者だと本当に思っているのだ。


 でも、愛はこの勇気の言い分に納得はしなかった。


「な……なんでようぅ!」


 愛は口を尖らせた。


「だって二人は親友でしょ? 何するのだって、誰と遊ぶ時だって二人はいつも一緒だったじゃん! 私よりも濃ぉ~い時間を過ごしたでしょ! せっちゃんの事、一番知ってるのは勇気くんだよ! 勇気くんに決まってる!!」


 でも勇気だって、その愛の言い分は認めない。


「おいおい……なんか変な言い方するなよ」


「だってそうじゃん!」


 愛ももう意地で対抗している。

 勇気が自分の主張を肯定しない限り彼女は反論を続けるだろう、そこにあるのは正義や固い意思じゃない、意地だ、意地でしかない。拗ねてごねる子供みたいなものだ。


「はぁ……」勇気は困った顔で眉の上で垂れた前髪をかき上げた。


「何故そこまで強情なんだ……」


 やはり口喧嘩というモノは女性の方が強いのか。それとも彼の方がこれが無意味な争いだと気付いたのか。


「分かったよ桃井、それで良い。それでも良いさ……」


 勇気は愛の主張を受け入れた。


「何よその言い方!」


「おいおい……まだ突っかかる気か?」

 

「だから! 突っかかってないもん!」


 校庭に愛の叫び声が響く。


「ははっ! 分かった、分かった! 俺が"アイツ"の一番の理解者さ! それで良いさ! それよりも、桃井に元気が出て良かったよ!」


 最後の一言は少し皮肉っぽかった。


 そして勇気は、『もう終わりだ……』とでも言うようにパンの袋を開けた。


「ほら、元気が出たなら腹が減るぞ」


「もう減ってるわよ!」


「減ってるのかよ……」


 そう愛はさっきからずっと、とっくの昔から腹ペコだ。だからかもしれない。腹が減ってヒステリックになっていたのかもしれない。


「ならば昼飯にしよう、さっさとしないと昼休みが終わるぞ。腹が減っては、勝てるものも勝てなくなるぞ」


 愛は「分かってるよ……」そうブーたれて、弁当箱を包んだ巾着袋を開けた。


「私たちさ、大丈夫だよね? せっちゃんも来るし、明日も絶対に来るんだもんね!」

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