第7話 バイバイね…… 8 ―戦いは校内へ―

 8


 屋上から校内へと落ちた時の衝撃でアイシンのチョークスリーパーは外れてしまった。

 ホムラギツネが屋上に穴を空けたのはこれが狙いだったのだ。


「エイーーーーッッッ!!!」


 校内に落ちた後もホムラギツネとアイシンの戦いは続く。

 場所は教室。基本は肉弾戦。

 ホムラギツネは爪を立てた手を振って、アイシンはパンチやキック、時には教室内の机や椅子を武器にした。

『時には』でいえば、ホムラギツネだって負けていない。火の玉を吐ける隙を見付けると、ホムラギツネは空かさず火の玉を吐いた。


 今のところ、アイシンは火の玉を避けられてはいる。だが、避けた事で背後にあったガラス窓が枠ごと吹き飛んだり、また別の火の玉を避けた時には、黒板ごと隣の教室との壁がブチ壊れたりしてしまった。


 壁がブチ壊れた事で始めに戦っていた教室と隣の教室の境目は無くなり、二人のリングは広がった。

 広がったからといってアイシンが戦いやすくなるかといえば、そうではない。

 ホムラギツネは火の玉=遠距離攻撃を行えるのだから、どちらかといえば不都合。ホムラギツネとの距離を開けてしまえば、火の玉を吐くチャンスを与えてしまう事になる。だから、アイシンはなるべくインファイトを望んだ。


 アイシンがインファイトが良いのなら、ホムラギツネはその逆だ。チャンスがあればアイシンとの距離を取りたがった。

 ついさっきもそうだ。自分の大振りの攻撃をアイシンが避けると、ホムラギツネは一気に駆け出し、机や椅子を蹴散らしながらアイシンと距離を取ろうとした。


 それを阻止しようとアイシンは近くに転がっていた机をホムラギツネに向かって投げた。

 はじめの『エイーーーーッッッ!!!』はその時の声だ。


 アイシンが投げた机はホムラギツネの体に命中し、ホムラギツネの動きは止まる。その隙をアイシンは逃さない。


「ハッ!!」


 と叫んでアイシンは跳び、強烈な跳び蹴りをホムラギツネにお見舞いしたんだ。


「ギィッ!!」


 と叫んでホムラギツネは倒れた。


 アイシンはインファイトを望んでいる。チャンスだ。


「フンッ!!」


 アイシンは鼻息荒くホムラギツネの体の上に乗り、馬乗りになってホムラギツネを抑え込む。


「先輩……さっきの話の続きをしましょう! 町を燃やしちゃいけません! 町を燃やせば大勢の人が死ぬんですよ! これは取り返しのつかない事です!! それに………ッ!!」


 アイシンは再びホムラギツネへの説得または説教を始めようとした。でも、話は途中で遮られた。

 ホムラギツネがアイシンの腹部を蹴ったんだ。


「うッ……」


 アイシンは腹を押さえて床を転がった。


「この……分からず屋……ッ!!」


 でも、すぐにアイシンはホムラギツネを睨み、立ち上がる。

 ホムラギツネもそうだ。アイシンの腹に蹴りを入れた後、すぐに立ち上がった。


「この……ッ!!」


「ギィッ!!」


 再び二人の殴り合いが始まった。アイシンは右ストレートのパンチを繰り出す。ホムラギツネはそれを素早く避けて、空かさずアッパー気味に腕を振り上げる。

 アイシンはスウェーバックか、はたまた『マトリックス』かの様な動きでホムラギツネの攻撃を避けた。次に出すのは左フック……しかし、どの攻撃も当たらない。二人の攻撃はどれも当たらなかった……そして、いつしか二人はお互いの肩を掴み、睨み合うだけになっていた。


「ハァ……ハァ……」


「ギィ……」


 両者はお互いの肩を掴みながら、ただ睨み合うだけ。今までずっと動き続けていた二人の呼吸は動きを止めた事で乱れ始める。アドレナリンで誤魔化されていただけで、英雄やバケモノになった二人にも体力の限界はあるのだ。

 その限界はもうすぐそこにあるのだろう……だから今の掴み合いも、殴り合いの前段階というよりもボクシングのクリンチに近い。少しでも体力が尽きるのを長引かせる為の休みだ。


 今までの二人の戦いは、常に拮抗。どちらかが有利になるなんて事はなかった。

 両者の力はほぼ互角、両者共に人を超えた超絶的な力を持ってはいるが、上手く使いこなせているかというと、そうではなかった。

 愛も萌音も元々は戦いどころか、喧嘩すら無縁の人生を送ってきた極々普通の女の子だったのだから、そのせいだろう。


 もし、この状況で体力が尽きれば、その者が敗者になる。いくら戦いに慣れていない両者でも、その事は分かっていた。だから睨み合い。無駄な体力を使わない為の休み。次の一手はどんな手を打つべきかを考える為の睨み合いだ。


「先輩……」


 一足先に次の一手を思い付いたのは、野性的になってしまったホムラギツネではなく、人間的なアイシンだった。


「私さ、先輩が……こんなにも分からず屋だったなんて知らなかったよ。でも、そう言えばそうだよね……先輩って、けっこー頑固な性格してるもんね? でも、今日だけは私だって譲れません。絶対に譲っちゃいけない事だから……」


 アイシンが思い付いた次の一手とは、それは攻撃じゃなかった。


「町が燃えたら人が死にます……人が死んだら、先輩はもう元の自分を取り戻せなくなりますよね? そんなになったら、先輩を止められなかったら……私は私を許せない。私は、町のみんなも、先輩も、みんな救いたいから……」


 それは、ホムラギツネへの三度目の説得または説教だ。

 アイシンは元々、ホムラギツネを倒しに来た訳じゃない。叱りに来たんだ。次の一手が攻撃である必要はなかった。言葉だけで良いんだ。言葉を伝えるだけなら、体を動かさなくても出来る。今のホムラギツネは攻撃を仕掛けるのをやめている。だからアイシンは話し出す。『今なら遮られる事なく、私は私の想いを伝えられる』……と考えたから。


「ギィッ……」


 ホムラギツネはアイシンが話し出すとアイシンの肩を掴む力を強めたりはするが、攻撃をしてこようとはしなかった。『今動き出すのは早過ぎる』と野性的になってしまったホムラギツネでも分かるのだろう。

 だから、アイシンは話を続ける。


「ギィッ……とか、それ何なんですか? 人間の言葉は話せなくなったの? もう先輩の意思はどこにもないの? ありますよね? 無いなら、先輩は馬鹿だよ! 馬鹿! 馬鹿! 何で……お父さんの事とか、家庭の事とか、相談してくれなかったんですか!」


 アイシンは責めた。ホムラギツネを……いや、自分自身を。『何故、私は先輩の変化に気付かなかったんだ……』と。


「お父さんが亡くなって凄く辛かったですよね? 先輩がバケモノになってしまったのは、そこに理由があるんですよね? 瑠樹くんが言ってましたよ。お父さんが亡くなってからは、『心の中にずっと暗くて重たいもやみたいな物が残ってる』って……先輩もそうだったんでしょ?」


 アイシンはホムラギツネの瞳をじっと見詰めた。

 ホムラギツネの瞳は、真田萌音の頃とは違って涼しげな瞳をしていない。ホムラギツネの瞳の奥には、暗く重たい泥の様な闇が見えた。

 その闇を見詰めながらアイシンは話を続ける。


「きっとこれって、悲しみとか、苦しみとか、辛さとか、そういう感情の事ですよね? 私、先輩が悲しんでいるなら、一緒に悲しみたかったです。苦しんでいるなら、一緒に苦しみたかったです。先輩の助けになるには、どうすれば良いのかって悩みたかった……」


 アイシンの話し方は懇願する様な言い方でもあり、それでいて萌音の苦悩を何も知らずに生きていた自分を謝る様な言い方でもある……そして、再びアイシンは言う。次の言葉を。


「私、先輩が大好きです……………先輩には幸せになってほしいです……だから……今からじゃ遅いですか? 私にも何かさせて下さい! "何か"……って無責任かもしれないけど、私、先輩の力になりたい! 私、また先輩と一緒に笑い合いたいよ! ねぇ、全部が終わったらまたカラオケ行こう! 私、また先輩の歌聞きたい!」


 アイシンはホムラギツネの肩を揺さぶる。『私の想いよ届け……』と願いながら。


「だから……だから……輝ヶ丘を燃やさないで……先輩言ったじゃん。お婆ちゃんが『輝ヶ丘は私の宝物だ』って言った時、『私もだ』って、『私にとっても輝ヶ丘は宝物だ』って………私もです、私も分かりました。この言葉の本当の意味が………先輩も愛してるんだよね? 輝ヶ丘での想い出を、輝ヶ丘で出逢ったみんなを………そうでしょう?」


 アイシンは問い掛ける。そして、気持ちのままに話していた自分が"とある事"を出来ていないと気が付いた。


「あれ? ……変だな?どうしよう……私、先輩を叱りに来たのに、せっちゃんの時みたいに出来てない。せっちゃんと違って先輩が頑固だから? ガツンって言えない………」


 アイシンは厳しい言葉で萌音を戒めるつもりだった。だが、気付けばアイシンの瞳からは涙が流れていた。言葉として出てくるものは、何も出来なかった自分を後悔する言葉と、町を燃やすのをやめてほしいという願いと、萌音への愛の言葉だけ……


「ダメだな……私はいつも感情のままに動いちゃう。馬鹿だよ………でも、それでも良いって思っちゃってる」


 アイシンはホムラギツネの肩から手を離し、そのまま少し背伸びをしてホムラギツネの首に両腕を回した。


「グ……ゥギィ……」


 アイシンのいきなりの抱擁に驚いたのか、ホムラギツネは鳴いた。


「グゥとか、ギィとか、もういいよ。あっ……ねぇ、先輩覚えてる? 先輩さぁ、 一時期サンドウィッチマンの物真似にハマって、会うたんびに『もういいぜ!』ってやってましたよね? あれ、正直全然似てませんでしたよ!」


 アイシンは抱き締めるだけじゃなく、笑顔を浮かべた。これは作った笑顔じゃない。頭の中に浮かんだ想い出が生み出した自然な笑顔だ。


「ダァ……ズゥ……ゲ……」


 それでも、ホムラギツネは人間の言葉とは思えない言葉で返す。


「だから……ダァとかギィとかいいって」


「ダァズゲェ……デ………ボボダン」


「だから、いいから……」


「ダァズゲェ……デ……」


「もういいって……」


 アイシンが何度も『もういいよ』と言っても、ホムラギツネは"人間の言葉とは思えない言葉"で返し続ける。

 その言い方は決して激しくない。静かだ。絞り出すような声で、ホムラギツネはアイシンの耳元に囁き続ける。


「ダァズゲェデ……ボボダン」


「もう……」


 アイシンは再び『もういいよ』と返そうとした。しかし、彼女の仮面を何かが濡らし、アイシンはやっと気が付いた。


「ボボダン……グゥルギィヨ………ダァズゲェデ」


「え? もしかして……先輩?」


「ダァズゲェデ………グゥルギィヨ」


「助けて……って言ってる?」


 アイシンはホムラギツネの首筋に埋めていた顔を上げて、ホムラギツネの顔を覗き込んだ。


 その顔は、涙で濡れていた。

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