第5話 俺とお前のオムライス

第5話 俺とお前のオムライス 1 ―昔々―

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 その日は、三月に入ってまだ間もない月曜日。朝から久々に肌寒く、小雨がずっと降っていた。


 ここは輝ヶ丘小学校。

 輝ヶ丘に住む子供達の殆どが通う、創立100年以上にもなる歴史のある小学校だ。………といっても、庶民的。どこにでもある小学校でもある。

 そんな輝ヶ丘小学校の二時間目がついさっき終わった。約20分後には三時間目がやってくる。今は僅かな休み時間。しかし、まだまだ子供の輝ヶ丘小学校の生徒たちにとっては、この20分という時間はひと遊びするのに十分過ぎる程の時間だった。

 だけど外では遊べない。でも大丈夫。生徒達の間では《せんねんまんのチョンマゲ》という誰が考えたか分からない謎のゲームが流行っていたから。外に出れなくても十分だった。


 そのゲームは4人以上で始めるのが条件で、まずはみんなで円を作り、ジャンケンをする。そして勝った者が『せん』と言いながら誰が一人を指差す、次は指された者が『ねん』と言いながらまた誰かを指差し、今度は『ねん』と指された者が『まん』と言いながら誰か一人を指差す、最後に『まん』と指された者の"両隣の二人"が、握り拳を縦に二つ重ねて頭の上に置き『チョンマゲ!』と叫べば成功。どこかで誰かが間違えればその者の負け。ゲームが成功すれば『まん』と指された者からまた『せん』と指差しが始まる…………それがルールだ。負けはあっても勝ちはなく、四回負けた者は『完全敗北』で円から抜けなければならない。


 この遊びに、当時小学二年生の赤井正義は熱中していた。何故なら《せんねんまんのチョンマゲ》がクラスで流行り出してから、正義は『完全敗北』し続けていたからだ。

 赤井正義は諦めの悪い少年だ。だから『今日こそ絶対負けねぇ!!』と心に誓いながら、今日もまた勝負に挑んでいた。


 だが……


「キャハハハハ! 正義負け~」


「本当弱いな! 雑魚ぉ~」


「キャキャキャキャキャ! 次負けたら正義は完全敗北だぞぉ!!」


 円を作った友達3人からの強烈な煽り。でも、仕方ない。今日もまた正義は、"三連続"で負けてしまったのだから。


「ぐぬぬぬぬぬぬぅ……」


 もう後は無い。完全敗北が近付く焦りと、上手くいかないイライラで、正義の顔はくしゃくしゃになっていた。


「な……なめんなぁ!!」



 ……と言ってみたものの、結局正義は四回戦目も負けた。

『まん』と言って友達を指さねばならぬところを、握り拳を頭の上で二つ重ねて『チョンマゲ!!!』と叫んでしまったのだ。


「ハイ、正義の完全敗北が決定ぇ~」


「なんだよチョンマゲぇ~~って! キャキャキャキャキャ!」


 友達の"子供特有の辛辣な物言い"が正義の心に突き刺さる。


「ぐぬぬぬぬぬぬぅ………うるせぇ!!」

 くしゃくしゃになった顔を真っ赤に染めながら、正義は机をバンッ!と叩いて椅子から立ち上がった。

「もう! 何が面白いんだよコレッ!」


「なんだよそれ、正義がやろうって言ったんだろ!」

 正義とその友達4人は、正義の机を囲んで円を作っているのだが、正義の正面にいる《上沼かみぬまたかし》が異議を唱えた。


「うるせぇ!!」

 しかし、短気で喧嘩っ早い正義はすぐに言い返す。その姿は歯を剥き出しにした犬だ。でも、小学二年生の正義はクラスで一番背が小さい。猛犬には見えない。ダックスフンドか言えてコーギーだ。


「じゃあ、もうやるなよ!」


「うるせぇ!! まだやる!!」


「はぁあ? もう完全敗北しただろ?」

 これは正義の左側にいる《小林こばやし紋土もんど》だ。


「それでもやるの! もう一回!!」


 これじゃあただの駄々っ子だ。友達3人も呆れた顔をし始めた。


「じゃあ、正義がまた完全敗北したら俺達にウマウマ棒奢ってよ」

 これは右側の《山本やまもと拓海たくみ》だ。彼が言う《ウマウマ棒》とは一本10円で買える激安駄菓子のこと。


「な、なにぃ! う……うぅ……」

 激安とはいえ、子供にとっては10円だって大金だ。正義は賭けが生じる事を躊躇した。でも、

「……わ、分かったよ!」

 振り上げた刀を今更下ろす事は出来なかった。


「じゃあ、最後の勝負だからな!」

 上沼隆だ。


「うん……」

 正義は頷いた。

 幼い正義でも気付いていた。連日連敗を続けて今更汚名返上なんて出来ない事を。だが、子供ながらにも意地がある。幼い正義には、このまま負けたままで終わるという事がどうしても出来なかった。

「じゃ……じゃあ行くぞ! 最初はグー!」

 正義は椅子に座り直すと、逸る気持ちで友達よりも先に拳を大きく振り上げた。

「ジャン! ケンッ!」

 と拳をリズム良く上下させた、その瞬間……


 ドンッ!!


「グェッ!!」

 正義の背中に何かがドンッ!! とぶつかった。それもかなり重たい衝撃……というか今も重い。重たい何かが、机の上に突っ伏す形で倒れた正義の上に乗っている。

「な……なんだぁ? やめろぉ~~」

 正義は何が起きたのかも分からぬまま小さな体をジタバタと動かした。


「黙れチビ!!」


 正義の上に乗った何か……いや誰かが怒鳴った。ソイツはもう一度正義の背中をドンッと押して正義の上からどくと、再び怒鳴った。


「この野郎! やるってのかよ!」


 この言葉は正義に向かってじゃない。誰か別の人間に向かって言っている。


「イテテテテ……」

 やっと身が軽くなった正義は机に突っ伏した形のまま後ろを振り向いた。

「あっ!」

 すると、丸々と太った背中が息を荒げて上下しているのが正義の瞳に映った。それを見た瞬間、正義には誰か分かった。

「おまっ……山田かぁ!!」

 そこに居たのはクラスで一番の乱暴者で、一番背のデカイ、太っちょの山田だった。


 山田と正義は気が合わない。正義と山田は一年生の時からずっと同じクラスなのだが、今まで何度も喧嘩をしている。

「お前ぇ!!」

 正義はぶつかってきたのが山田だと知ると、頭に血を上らせた。山田が気に入らない奴だっていう理由もあるが、それよりも山田が謝らなかった事が気に食わない。それに山田は謝らないどころか、鼻息荒く肩を鳴らしてドスドスと歩き始めた。

「ちょいちょいちょいちょいちょいッ! 待て待て! 山田ぁ!! 謝れよ! 痛ぇだろ!!」

 正義は机から起き上がると、小さな体をダダダッと走らせ、山田の前に立ち塞がった。


「うるせぇ!」

 だが、今日の山田は正義を相手にはしない。山田は自分の目の前に立った正義に一瞥もくれずに、小二とは思えない程の大きな手で正義の体を払う様にして横に流した。


「わわわっ! 何すんだよ!」


 しかし、正義もしつこい。無理矢理横に流されても再び山田の前に立つ。


「謝れって!」


「うるせぇ! どけ!」


「どかない!」


「どけ!」


「どかない!」


「どけ!」


「どかない!」


退け……」


「どかな………え?」


 最後の『退け……』この声は正義の背後から聞こえた。それも正義の頭の上から。クラスの中で一番背の小さい正義でも、頭一つ分以上違うのは山田くらいだ。でもその声は、"いつも山田と言い合いをする時と同じ高さ"から聞こえた。

「………」

 驚いた正義が後ろを振り向こうとすると、


「退けって言っているだろう……」


 再び背後から、静かに囁く様な声が聞こえた。そして、その声の主は山田と同じ様に正義を横に流した。

 その力は静かな声とは反対に、山田と同じくらい強くて正義は簡単に横に流されてしまった。しかも油断していた背後からだったから、正義は構えられずにバランスを崩してしまった。

「うわっ! わわわわわっ!」

 バランスを崩した正義は、躓きそうになるのを『けんけんぱっ』の様にピョンピョンとね何とか立て直そうとしたが、三度目のピョンで跳ねた拍子に、すぐ近くにあった机の角に股間をぶつけてしまった。

「痛ってぇ~~~ッ!!!」

 脳天を貫かれた様な激しい痛みで頭が真っ白になった正義は、冷たい木目の床にもんぞりうって倒れた。

「痛えェ……痛えェよぉ」


「だ……大丈夫かよ」

 駆け付けてくれたのは隆たちだ。


 そして、


「大丈夫! せっちゃん!!」

 桃井愛だ。

「どうしたの? 今日は何したの?」

 愛は友達とトイレに行っていたから正義に何が起こったのか分からない。


「な……何したって、俺はやられたの! やったのアイツ!!」

 正義は『アイツ』を指差した。そのアイツは山田と睨み合っていた。背は巨漢の山田と同じくらいデカイ。でも、ただデカイだけの山田とは違って手足がスラリと長くてスタイルが良い。後ろ姿でも頭も顔も小さい事が分かる。

「ん……?」

 だが、正義は不思議に思った。

「つか………アイツ誰??」

 何故なら、正義には見覚えのない奴だったから。


「誰って転校生だろ?」

 隆はそう言うが、正義は知らない。


「転校生? 何それ? 知らないよ?」


「なんで知らないの? 先週転校してきたでしょ?」


「愛、だって、何でも何も……」


「あっ! そっか」

 小林紋土だ。

「正義は先週ずっと休んでたから知らないんだ!」


 そうなんだ。正義は先週ずっとインフルエンザで寝込んでいた。だから知らない。クラスに転校生が来た事を。


「え~~誰ぇ? 誰なんだよぉ???」

 正義は"転校生"を睨みながら、頭をガシガシと掻いた。

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